4.ダイアナという娘
ルージュの猫を解放してやった後も、しばらく森の怪人の捜索を続けたが、森の怪人らしき気配は感じられなかった。
警戒して隠れてしまっている可能性もある。
人語の通じない恐ろしい人食い魔物ではあるが、向こう見ずであるわけではない。
人間を襲うのはか弱いからであり、初めから武器を構えている狩人や、ましてや人間のふりをした人狼なんかにむやみやたらと勝負を挑むほど知能は低くないと言われている。
それでも捜索を続けた理由は、少しでも彼らの縄張りを把握しておきたかったからである。
さて、その収穫はというと、あるにはあった。
被害者と思しき誰かの遺留品、どうも熊ではなさそうなマーキング、そして、食い散らかされた骨の残骸だった。
「ああ、ああ、こりゃ酷い」
アンバーが眉を顰めながら言った。
「いらない骨だけ置いていったようだね。頭蓋骨の他、太い部分は全部持ち去っているようだ。こんなに散らかされて」
「ちゃんと埋葬してやりたいところだけれど、ひとまず報告をしないとね」
「うん。気の毒だが、もう少し勘弁してもらおう」
軽く祈りを捧げ、アンバーは周囲を見渡した。
「さてと、まだまだ探索したりないが、ここらで引き返した方が良さそうだな。日が落ちれば奴も動き出す。それに、滞在の準備とやらをしなきゃなんないからね」
嫌味っぽく呟く彼女に、私は静かに頷いた。
「そうだね。報告の前に拠点へと戻ろうか」
相手をしなかったことが気に障ったのか、アンバーは深く溜息を吐いた。
その後は元来た道を戻り、山林を抜けて、そのままの足で拠点を目指した。
この辺りまでは馬車で送ってもらったものの、ここから拠点までは自分たちの足で向かわねばならない。
まだ日は高かったものの、早め、早めに移動しておいた方がいい。
荷物を抱えながら、私たちは歩みだした。
馬車からだと流れるように移ろっていた景色が、徒歩だといつまでも視界に広がる。
その空気を存分に味わいながら歩んでいると、ここが不吉な噂のある場所だという事を忘れてしまいそうだった。
「綺麗なもんだね。ただの観光なら楽しかったんだけどなぁ」
呆れながら呟くアンバーに私もまた頷き、答えた。
「せめて今だけでも楽しんでおこう」
ミエール城への滞在も、聞く人が聞けば羨ましがる事だろう。
だが、生憎、心から楽しむことなんて出来なさそうだとつくづく感じていた。
依頼自体も楽な仕事ではないし、心身を休めるはずの場所もまた、緊張が絶えないだろう。
それでも、滞在すると決めた事に後悔はなかった。
あの城の何処かに、今もルージュがいるかもしれない。
そうでなくとも彼女の猫が山林にいたのだ。
この近くの何処かに今もいるはずだ。
引き受けた依頼を疎かにするつもりなどないが、ルージュを仕留める機会があるならば勿論逃すつもりはない。
そのためにも、まずは荷物を運ばないと。
そんな事を考えながらアンバーと共に歩んでいると、不意に背後から呼び止められた。
「あ、あの……ちょっといい?」
気配を感じなかったため、アンバー共々驚いて振り返ると、そこには見知らぬ娘がいた。
年頃は私たちとそう変わらないだろうか。
近隣住民と思われるが、少々風変わりな黒い衣服を身に纏っていた。
髪は漆黒、そしてその目は、満月のような黄金色をしていた。
「お二人は、魔物を狩る猟師さんなのよね?」
恐る恐る訊ねてくる彼女に、アンバーが答える。
「そうだよ、それが何か? もし依頼があるなら、組合を通して貰うよ。今は別の仕事をしているところだからね」
やや冷たい印象のあるその言葉に、彼女は首を横に振った。
「い、いえ、違うの。依頼したいのではなくて、あの、あたし、どうしても確認したくて。あの……ミエール城の城主様に依頼されて、ここまで来たのよね? それで、ミエール城にしばらく滞在するんでしょう?」
「うん、そうだけど……それがどうかした?」
「絶対にやめた方がいいわ」
はっきりとそう言われ、私はアンバーと顔を見合わせた。
何か事情があるらしい。
そう察したものの、相手の素性が分からない以上、何とも言い難い。
どう反応すべきか考え込む私の横で、アンバーがすぐさま返答した。
「まず、あんたは何者なんだ? どうしてそんな事を言う」
「あ、あたしは……あたしは、ダイアナっていうの。ううん、あたしの名前なんてどうでもいいの」
ダイアナはスカートをぎゅっと握りしめたまま、私に向かって言った。
よく見れば、暑くもないのに汗まみれだ。
緊張しているのか、恐怖を感じているのか。
「とにかく、お願いだから、あたしの忠告を聞いて。あのお城に帰っちゃ駄目。組合の拠点があるなら、そこにいた方がいい。何なら、こんな依頼、投げ出して何処か遠くに逃げたっていい。城主様は本気で人食い鬼退治なんて望んでいないのだもの!」
声を張り上げ、直後、ダイアナは我に返ったように青ざめた。
周囲をそっと窺う彼女に、私は静かに問いかけた。
「ダイアナだったね、どうしてそんな事を知っているの?」
すると、ダイアナは困ったように私を見つめてきた。
懇願するように、とも言える。
何も訊ねて欲しくはなかったのだろう。
「それは……言えない」
沈黙が私たちを襲う。
どう答えるべきか。
私もアンバーもしばし迷っていると、ダイアナの方が口を開いた。
「どうしてもお城に戻るのなら、荷物の大部分は拠点に置いていった方がいいわ。最悪、諦めてもいい荷物だけまとめてお城に戻って。狩りのための武器も最低限にした方がいい。大事な物は持ち歩かず、いつでも、身一つで逃げられるようにしておいて」
その助言は、どうも無視できそうにないものだった。
アンバーがそっと訊ねる。
「あんたはあの城の関係者なのか?」
すると、ダイアナはおずおずと頷いた。
「そうね……そんな所よ。とにかく、あたしは伝えたから」
そして、そのまま何処かへ立ち去ってしまった。
しばらくその背中を見送り、私はアンバーと顔を見合わせた。
アンバーは我に返ると、私を軽く睨みつけてきた。
「さてさて、これでまた一つ、お城に戻りたくない理由が出来たわけだが」
「分かっているでしょ、アンバー。君が行かないなら、私一人でも──」
「勿論、分かっているさ。だが、今のお嬢さんの忠告は無視できない。あの城で何かやばい事があったら、アタシは迷わずあんたを服従させる。いいね?」
「好きにしたらいいさ」
ムッとしてそう言ったものの、アンバーの言う通り、今の助言を無下には出来なかった。
あれほど周囲を気にし、汗もかいていた。
怯えていたのだろうか。
だとしたら、誰に。
ミエール城の城主というからには、ハニーの監視がないか気にしていたのかもしれない。
彼女はあの城で働いている者なのだろうか。
様々な疑問がよぎる中、私たちは再び拠点を目指したのだった。
さて、拠点に戻ったのはいいが、予定は少々変わってしまった。
ここで全ての荷物を回収し、ミエール城に向かうつもりだったのだが、ダイアナの忠告に従う事になった。
つまり、荷物の殆どを拠点の倉庫に保管し、肌身離さず持ち歩く貴重品と、着替えや消耗品など最悪捨てる事になっても代わりが効くものだけを小さなバッグに移し、ミエール城へ向かう馬車に乗ったのだった。
ミエール城に戻ると、私たちの部屋は既に用意されていた。
当然のように別々の部屋に通され、内心戸惑ってしまった。
考えてみれば持て成しとしては当たり前かもしれないのだが、アンバーと別々の部屋で眠るのは久しぶりで、心細く感じてしまう。
それに、少し心配だった。
私が一緒でなくて、アンバーは大丈夫だろうかと。
だが、心細さも束の間の事で、ベッドに入ってしまうと一日の疲れがどっと押し寄せて来て、あっという間に眠りについてしまった。