10.師匠の教え
飛び掛かったアンバーの背中を、私はしばし見送ってしまった。
動けたのは、その数秒後。
たった数秒だが、狩人にとっては反省しなければならない隙でもある。
だが、幸いと言っていいのか、死人使いの注意はアンバーに向けられていた。
強大な力を持つ狼の姿の人狼が全力で向かってきたのだから当然だろう。
視線も、そして、彼女の武器となり、盾となる人形たちも、全てがアンバーの方を向いていた。
これをチャンスと言わず何と言う。
私はそのまま気配を殺し、死人使いの背後へと回っていった。
派手な真っ向勝負は、本来私の役目ではない。
見習いの頃から私がペリドットから褒められていたのは、俊敏さや力強さではなくその正確さだった。
対魔物用拳銃を取り出して、その背中に銃口を向ける。
人形には通用しなかったが、では、本体はどうだろう。
しっかりと見定めてからは、心を無にして引き金を引いた。
破裂音がして、一瞬だけ人形と死人使いの動きが止まる。
弾は狙い通りの場所に命中した。
魔物とはいえ、子供のような姿をした相手が倒れ伏す様子は気分が良くない。
だが、その直後、その罪悪感も掻き消えてしまった。
死人使いは撃たれた反動で倒れかけたものの、すぐに何事もなかったかのように振り向いてきたのだ。
目を光らせ、彼女はさらなる人形を呼ぶ。
天井から新たに落ちてきた数体の人形が向かってきて、私は慌てて身を引いた。
武器をナイフに持ち替えて、すぐさま応戦する。
だが、その親玉たる死人使いに接近することが難しくなってしまった。
──落ち着かないと。
戦いながら、私は混乱しかける自分の心を諭した。
ペリドットのもとで修行していた際、死人使いを相手にした実戦はなかった。
依頼がなければ彼らを仕留める理由もない。
だから、彼らに触れるのは座学のみだったのだ。
出来れば、他のベテラン組合員が一緒の際に挑みたい相手だった。
だが、そんな事を今言っても仕方がない。
戦いながら、必死になって、学んだ知識を繋ぎ合わせることしか出来ない。
ペリドットは何と言っていただろう。
彼女もまた死人使いを仕留めた事は何度かあった。
生き物のように動く人形は、ナイフで糸を切ってしまえば操れない。
では、本体を仕留めるにはどうすればいいのか。
悩みながら全ての人形の糸を切ると、そこへ戦っていたアンバーが近づいてきた。
彼女を追ってきた人形たちの糸も切ってしまうと、アンバーは苦笑しながら呟いた。
「助かったよ。爪も牙も効かなくてね」
「威勢よく飛び出したくせに」
呆れながらそう言うと、アンバーは答えた。
「御免って。でも、無策だったわけじゃない。師匠に教わった死人使いの退治法に倣ってのことさ」
「退治法?」
「おや、カッライス。もしかして師匠の話、忘れちゃったのかな。まあいいや。あいつらはね、普段使っている銃弾や塗薬があまり効かないらしい。だから、あんたの銃やナイフじゃ、奴を殺すことは出来ない」
「……なるほど、それは困ったな」
「だろ。でも、心配はいらないよ。毒なら私が持っている」
「持っている? 調合した薬の中にあるの?」
「違うよ。これだよ、これ」
そう言って、アンバーは大きく口を開いて見せた。
鋭い牙が見える。
おとぎ話に出てくる悪い狼のような表情で、彼女は言った。
「奴ら、他の魔物の体液が苦手なんだ。勿論、人狼の唾液なんかもそうだ」
その話を聞いて、ようやく私も思い出せた。
多くの魔物たちに効く毒が効かない種族もいる。
その中には、他の魔物の体液が通用する場合もあるから、状況に応じて用意するようにという話だ。
当然ながら、その手段として人狼を猟犬のように使えなどということは教わらなかったが、アンバーがそのつもりならば問題ない。
「つまり、君が噛みつけば弱るってことか」
「そゆこと。援護は頼んだ」
そして、アンバーは再び走り出した。
共に猛牛のように突っ込んでいく彼女に走ってついて行くのは難しい。
だから、私が出来る事は、彼女の道を阻もうとする人形を離れた場所から銃で怯ませる事くらいだった。
糸を切れないとなると動きは一瞬しか止まらない。
だが、それでも、その隙が、アンバーの味方となった。
不安があるとすれば、もう一度、アンバーが囚われてしまうことだ。
死人使いだって、それを狙っているだろう。
今は牙を剥こうとも、糸をつけてしまえば絶対服従の操り人形となるのだから。
けれど、アンバーの方もそれは分かっていた。
自身を捕らえようとする糸を何度も避け続け、死人使いに接近していく。
その間、私の方も接近していき、怯ませた人形の糸を切ってしまった。
だが、キリがなかった。
減らしても、減らしても、新たな人形は呼び出されてくる。
やがて、援護射撃が間に合わなくなったところで、アンバーが捕まってしまった。
「ぐああ、放せよ!」
暴れる彼女のもとへと近づこうとするも、また新たに呼び出された人形たちが、今度は私の前を塞いだ。
気づけば死人使いが私の背後にいた。
慌てて距離を取ろうとしたが、そこへ人形たちが一斉に襲い掛かってきた。
抵抗虚しく捕まった私を淀んだその目で見つめてくると、死人使いは静かな声で言った。
「お姉さんはダメと言ったけれど、やっぱりあなたも放ってはおけない。そんなに一緒にいたいのなら、あなたも人形にしてあげる」
そして、死人使いの指先から、無数の糸が現れた。
嫌な汗が出てきた。
体はぴくりとも動かず、アンバーも間に合わなさそうだ。
ろくな抵抗が出来ない状態で頭を過るのは、ルージュの顔だった。
服従の呪いとも呼ぶべき秘術に囚われ、アンバーに救い出されるまでの絶望の数日間。
あの時に目にしたルージュの顔が浮かび上がる中、視界が眩んでいく。
だが、そこへ割り込んできた者がいた。
黒い毛玉のような何か。
よく見れば毛を逆立てた猫だった。
あの黒猫だ。
蛇のような声で威嚇し、死人使いを睨みつけている。
アンバーに比べれば脅威にはなりそうにもないが、それでも死人使いは少し怯んでいた。
「何なのよ。退いてよ」
そう言って死人使いがその猫を追い払おうとした直後、その体が背後から強く押されるように揺らいだ。
アンバーだろうか。
そう思ったのだが、姿は見えない。
何が起こったか状況が掴めないまま、死人使いの体は膝から崩れ落ちた。
床に倒れ伏したその体は起き上がらない。
その様子を呆然と見つめていると、私の体を拘束していた人形たちが突如動かなくなった。
床にがらがらと倒れるその様を見渡していると、同じく離れた場所で人形と格闘していたらしいアンバーが、呆気にとられた様子で動かなくなった人形を見つめていた。
その顔をしばし見つめ、私はハッとした。
「アンバー……姿が……」
戻っている。
すぐに傍まで近づき、その体にマントをかけてやった。
我に返ったアンバーは受け取ったマントを羽織り、思い出したように震えだした。
「うああ、寒ぅいっ! 着替えっ! アタシの着替えはどこっ?」
震える彼女の代わりに部屋の隅に投げ出してあった着替えを拾い、手渡してから、私は再び突如動かなくなった死人使いの傍へと向かった。
黒猫が本当にもう動かないか見張っているその隣まで来て、そっとしゃがんでみる。
触れてみても動く気配はない。
やはり死んでいる。
うつ伏せに倒れるその背中には、ナイフが刺さっていた。
間違いなく、対魔物用ナイフだ。
私の分は腰に下がったケースの中にある。
じゃあ、誰のだろうと柄に刻まれている名前を確認してみれば、そこにはアンバーの名が刻まれていた。