9.少女の人形
別の出口が何処かにあるはずだ。
もしくはうまいこと回りこんで玄関を目指せるはず。
そうは思うが余裕はなかなか生まれない。
人形たちは次々に現れ、私たちの行く手を阻んできたし、何処かへ誘導されているかもしれないと分かっていても成す術がなかった。
そうして逃げる事しばし、何処をどう走ったかも分からなくなるほど彷徨った挙句、黒猫とアンバーに続いて飛び込んだ先は、これまた見覚えのない部屋だった。
「ここは……?」
一瞬だけ惚けて、見渡してしまった。
館の隅々まで確認したつもりだったが、どうやら見落としていたらしい。
恐らくリビングとして使われていたのだろう。
長く使われていない様子の暖炉があり、その前には古びたロッキングチェアが置かれていた。
そして、その椅子の上に座らされていたのが、ぴくりとも動かぬ着飾った少女の人形だった。
黒猫がその人形の傍まで寄っていくのを見て、アンバーもまた恐る恐る近づいていく。
私も彼女に続き、近寄っていった。
その間、恐ろしいほどに静かだった。
あれほど襲ってきた人形たちが現れない。
だが、そんな事もどうでも良くなるほど、私たちはこの人形に興味を引かれていたのだ。
そしてその顔を覗き込んですぐに、私は顔をしかめてしまった。
「この人形──」
その先を口にすることを躊躇う私の代わりに、アンバーが相槌を打った。
「ああ、ただの人形じゃない。どう見ても死体だ」
やはり、間違いない。
目はガラス玉だし、肉体も腐ってはいない。
ミイラ化しているわけではない。
だが、それでも、元は生きた人間だったのだろうと察してしまうものがある。
動かないということは、死人使いの武器ではないようだ。
それでも、彼女が作ったものなのだろう。
少女人形の年齢は、死人使いの見た目と同じくらい。
恐らくだが、私とアンバーが初めて会った頃くらいではないだろうか。
「そういえば、町長が言っていたよな。十数年前に、このくらいの年齢の子供が行方不明になったという話」
アンバーの言葉に、私は静かに頷いた。
「ああ、きっと、その子なのだろう」
生きていれば私たちと同じくらいだった。
そう思うと奇妙な感覚に至る。
片や大人になり、一人前の狩人として暮らしている私たち。
片や、時を止め、永遠に少女のままの姿でここに座り続けていた。
どんな人だったのだろう。
そんな考えを頭に浮かべながら、私は無意識に少女人形に触れようとしていた。
──お人形を作ってもらおうかしら。
ふと蘇ったのは、今となってはだいぶ前に聞いた、ルージュの声だった。
全ての希望を失いかけた夜にそう語る彼女の顔は今でも鮮明に思い出せる。
一歩間違えば、この世にアンバーがいなかったら、私もこのような姿になって、ルージュを喜ばせていたのだろうか。
あったかもしれないその未来の想像にぞっとしていると、強い視線を部屋の入り口から感じた。
振り返るとそこには、彼女がいた。
実質的な館主に君臨している少女──死人使いであった。
人形は連れていない。
何故だか彼女一人で踏み込み、私たちを睨みつけていた。
「触らないで……!」
そう言って彼女は向かってくる。
慌てて私たちがその場から離れるも、彼女は目もくれず人形のすぐ傍へと駆け寄り、私たちを睨みつけてきた。
「悪い人。本当に悪い人。世界で一番大切なお友達に勝手に触れようとするなんて」
「お友達?」
アンバーが問い返すと、死人使いは少女の人形の膝元に縋りつき、呻きだした。
そんな彼女に対し、アンバーはさらにきつい口調で問いかけた。
「アタシたちは聞いているぞ。十数年前、町の子供が行方不明になったのだと。その子じゃないのか? あんた、その子に何をしたんだ?」
すると、死人使いはその問いを跳ね除けるような大声で答えた。
「どうせ分かっているくせに!」
そして、ふらりと立ち上がると、私たちを睨みつけながら吠えるように言った。
「そうよ。あたしがやったの。せっかく出来た、人間のお友達だったのに。あたしの事を怖がらずに優しくしてくれたのに」
感情的に喚きながらそう言って、しまいには泣いてしまった。
その様子は実に人間の子供らしいものだった。
だが、それだけに、私は思わず彼女に問いかけてしまった。
聞かなくてもいいはずなのに、そこに至るまでの経緯が知りたくなってしまったのだ。
「どうしてそんな事をしたの?」
死人使いは嗚咽を漏らしながらも、私を睨みつけ、だが、素直に答えた。
「違うの。本当は死なせたかったんじゃない。だけど、あの時、彼女は森の猛獣に襲われて、今にもこの世を去ろうとしていて。傷を治すなんてこと、あたしには出来なくて。でも、何もしなかったら、彼女は死んでその体は腐って、土になってしまう。土になれば、彼女はいなくなる。そんなのはダメ。せっかく出来たお友達だったのに」
「それで、人形にしたのか」
アンバーが低い声で問いかけた。
感情を抑えるような声だが、興奮しているのが分かる。
全身の毛が逆立っている。
怒っているらしい。
「自分の気持ちを満たすためだけに、魔物の本性に従ってこの子の死体を弄んだのか。仲良くしてくれたというのに。この子にも家族がいただろうに」
吐き捨てるようなその言葉に、死人使いもまた興奮気味に言い返した。
「だから何だって言うの!」
少女人形に寄り添いながら、彼女は訴えてきた。
「あたしたちの世界では、そんな事なんて気にしない。あたしは人間じゃない。だから、人間の決まりなんて知らない。この子はお友達。お友達を腐らせることなんて絶対にダメ。それだけよ」
「それだけじゃダメなんだよ」
私もまた諭すように彼女に言った。
「人間の世界の掟に触れるならば、その魔物は討伐しなければならない。この件が町に知られたら、きっと君は粛清対象になるだろう。でも、今ならまだ間に合う。その子を町に返してあげて。そして、君はこの館から静かに去るんだ。そうすれば、誰も君の命を奪ったりはしないはずだから」
「いや……そんなのいやだ!」
当然と言えば当然だ。
彼女からすれば、人間の掟に何故従わねばならないのかというところだろう。
だが、だからと言って、この件をなかったことになんて出来ない。
見てしまった以上、知ってしまった以上、組合に所属する狩人として、町に報告しなければならない。
彼らは死人使いを不気味がり、駆除を依頼してくるかもしれない。
だが、彼女さえ協力的であれば、その必要はないと狩人として肩を持つことも出来る。
けれど、その望みすら、どうやら薄いようだった。
「離れたくないから人形にしたの」
死人使いは言った。
「それなのに、どうして渡さなきゃならないのよ。絶対にやだ!」
「分らず屋だな。カッライスはあんたの為に言っているんだ。このままだと、あんたの事を駆除しろと人間たちが言うかもしれない。だが、今ならまだ引き返せる。人間たちと共生する事だって──」
と、アンバーが語り掛けるも、死人使いは叫んだ。
「うるさい!」
その瞬間、天井から数体の人形たちが落ちてきた。
死人使いの目が光る。
どうやら、聞く耳は持ってもらえないらしい。
「あたしの邪魔をするなら、誰であろうと戦うだけ。共生なんて望んでない。我慢してまで人間たちに合わせる必要なんてない。そうよ。魔物は人間と共に生きる事なんて出来ないの。あなた達だって同じよ。いつか必ずその関係は壊れてしまう」
怪しく目を光らせながら、死人使いはそう言った。
魔物は人間と共に生きる事なんて出来ない。
その言葉が矢のように胸に突き刺さり、なかなか引き抜くことが出来なかった。
脳裏に蘇るのは、同じ組合のジルコンの表情だった。
アンバーを見つめるその冷たい眼差しが忘れられない。
彼を筆頭に、ペリドットの仲間のうちの少なくとも数名は、赤ん坊の頃のアンバーを処分することに賛成していた。
大人になってから知ったその事実を嫌でも思い出してしまった。
だが、当のアンバーの表情は全く曇らなかった。
狼の顔をしているから分かりづらいという事はあるかもしれないが、不安を跳ねのけるように吠えたのだ。
「アタシは……あんたとは違う!」
そして、解き放たれたその感情のままに、死人使いと彼女を守る人形たちに向かって飛び掛かっていったのだった。