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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
吸血鬼の愛し子
3/126

3.隠したい真実

 子供にとっての一日一日は長いもので、数週間も経つと私はルージュへの恋しさも薄れ、ペリドットとアンバーとの暮らしにだいぶ慣れてきた。

 その頃はまだルージュの事を疑いきれていなかったと思うのだが、迎えに来ないものは仕方ないと割り切れたのだろう。

 おかげで食事もとれるようになったし、アンバーが日頃やっている訓練に興味を持つことも出来た。


 アンバーは、天気のいい日は必ず狩人の見習いとして的当てをしていて、当時からすでにその腕は確かだった。

 その上、体力お化けとしか言いようのないほどいつも元気で、一緒に遊んでいてもこちらが必ず参ってしまうほどだった。

 そんな彼女に病気の文字なんて似合わない。

 学校に通えないほどの持病があると明かされても、その事を忘れてしまうくらいアンバーは騒がしかったのだ。

 しかし、この新生活に放り込まれてひと月近く経ったある日の事、私はペリドットから改めてアンバーの持病について聞かされたのだった。


「──そういう事だから、今日と明日の二晩は君とアンバーは別々に眠ることになる。大丈夫そうかな?」


 その問いに私はぎこちなく頷いた。

 不安な表情を浮かべていたと思うが、決して怖かったからではない。

 ただ心配だったのだ。

 別室──二階の東側の小部屋に隔離されることになるアンバーの事が。


「アンバーは大丈夫なの? その……うつる病気とかなの?」


 すると、ペリドットは穏やかな表情で答えてくれた。


「伝染したりはしないよ。それに、死ぬような病気じゃない。ただね、アンバーが望んでいるんだ。持病が出ている間は、出来るだけ一人になりたいってさ。特に君にはまだ見られたくないらしい」

「見られたくない……」


 その言葉に私は少し寂しさを覚えた。

 出会ってからずっとアンバーはこちらが戸惑ってしまうくらい積極的に関わろうとしてきた。

 それなのに、ここにきて突然遠ざけてくるような態度をとられるなんて思いもしなかったのだ。

 彼女がそう願うとは、きっとよっぽどの事なのだろう。


 しかし、だからこそ、気になった。

 それに寂しくなった。


 勝手に仲良くなったつもりでいたのは寧ろ私の方だったのかもしれない。

 まだまだ彼女にとって、私は信頼に足る人物になれていないのだと薄っすらと理解できてしまったから、心細くなってしまったのだ。


「心配かい?」


 ペリドットの問いに黙って頷くと、彼女は私と視線を合わせて肩をポンと叩いた。


「じゃあ、看病のお手伝いを頼んでもいいかな。明日の夜は組合の会合があってね、どうしても帰りが遅くなる。私のいない間に、飲み水を何度か汲んで、アンバーの枕元に置いてあげて欲しいんだ」

「分かった。任せて」


 力強く頷くと、ペリドットは安心したように微笑んだ。

 私もホッとした。

 少しでもアンバーの力になれれば、本当の意味で信頼してもらえると思ったからだ。


 けれど次の日、実際にペリドットが出かけていってしまうと、私は一気に不安になった。

 飲み水が足りているかチェックするために部屋に入ると、アンバーは慌てて毛布を全身にかぶるのだ。

 まるで私の事を嫌っているかのように。

 そうではないと分かっているのだが、その仕草に幼い私は傷ついてしまった。

 とはいえ、文句なんて言えるはずもなかった。

 毛布越しにアンバーが震えているのが分かったからかもしれない。

 それに、学校にも通えないほどの病気だと思うと、身勝手な言葉なんて投げかける気にはとてもなれなかった。


「お水、新しいのを持ってきたよ」


 声をかけると、毛布の下からアンバーの震えた声が返ってきた。


「師匠は……?」

「さっき出かけたばかりだよ。帰りは遅くなるって」

「そっか……お水、ありがとう」


 弱々しいながらもはっきりと礼を言われ、私はホッとした。

 その後、一緒にいたい気持ちを抑えて一声かけてから退室すると、いつもは一緒に使っている大部屋で一人寂しく勉強をしていた。

 当時の私がしていたのは、基本的な読み書きだった。

 ルージュに養われている間、私は文字を教わらなかった。

 やり取りは主にチェックマークを始めとしたシンプルな記号が用いられていたのだ。


 ルージュが文字を知らなかったわけではない。

 今思えば、敢えて教えなかったのだろうと分かる。

 ただ、当時の私は幼かったから、その可能性にすら気づかずに、ただただペリドットの言いつけ通りに読み書きを勉強していたのだ。

 そこには密かな対抗心もあった。

 幼い頃からペリドットに養われているアンバーは、出会った頃から当然のように読み書き計算が出来ていた。

 そんな彼女に少しでも追いつきたくて努力をしていたのだ。


 集中力もきっとそこから生まれたのだろう。

 気づけば日がすっかり暮れるまで、私は机に向かっていた。

 暗くなってきたことで我に返り、私は慌てて立ち上がった。

 真っすぐアンバーの隔離される小部屋へと向かい、扉を数回ノックした。


「ねえ、アンバー。入るよ?」


 断りを入れてから扉を開けてみれば、ベッドの脇の水が少なくなっていた。

 ちゃんと飲んでいる。

 その事に安心して水を汲みなおしてくると、相変わらず全身を毛布で隠しているアンバーは恐る恐る訊ねてきた。


「師匠は帰ってきた?」

「まだだよ。日が沈んだばかりなんだ。だから、もっと遅いんじゃないかな」

「そっか」


 がっくりと肩を落とすそのシルエットに、私はある種の違和感を覚えた。

 だが、毛布をめくってしまうなんて事は勿論出来なかった。

 ただ、先ほどのようにあっさりと退室する気にもなれなくて、私はアンバーに話しかけたのだった。


「あのさ……具合は大丈夫?」


 すると、アンバーはびくりと体を震わせてから答えた。


「だ、大丈夫。お水をちゃんと飲んでいるから」

「そう。それならいいんだ。でも、何かして欲しいことがあったら遠慮なく言って。わ、私、アンバーの力になりたくて。背中をさすって欲しいとか、体を拭いて欲しいとか、何かないかな?」


 その申し出は、アンバーを困惑させてしまったらしい。

 毛布の下で沈黙しているその様子から、返答に困っているのが分かった。

 そこで慌てて私は付け加えたのだった。


「み、見られたくないっていうのは分かっているんだ。でも、いつかは見ることになるんだしさ。勿論、アンバーが嫌なら無理にとは言わないけれど……」


 言っているうちに居たたまれなさが生まれた。

 余計なことを言ってしまったかもしれない。

 そんな事を感じずにはいられないほどの沈黙がしばし流れていく。

 だが、しばらくすると、ずっと黙っていたアンバーはようやく声を上げた。


「あのさ……魔物の話の事、覚えている?」

「魔物?」


 突然問いかけられて戸惑ったが、私はとりあえず答えた。


「魔物を信じちゃいけないってやつ?」


 すると、アンバーは毛布の下で頷いた。


「その時に、カッライスは訊ねたよね。魔物に詳しいのかって。うん、アタシ、魔物に詳しいんだ。どうしてかって言うとね、アタシの本当の両親が魔物だったからさ」

「えっ」


 思わぬ告白に絶句した。

 そんな私の反応を毛布の下で悟ったのか、アンバーは肩を揺らして苦笑した。

 そして、言ったのだった。


「驚くよね。でも、本当なんだ。魔物にも色々いると思う。中には人間に友好的な奴もいると思うんだけど、アタシの両親は違ったんだ。アタシの両親はね、人間の事を食べ物だとしか思っていなかった。だから騙して、攫って、残酷な遊びに付き合わせて、そして最後には食べていたんだって」


 その時の私は、黙って耳を傾けている事しか出来なかった。


「でも、悪いことは続かない。アタシがまだ赤ん坊の時にさ、危険な魔物だからって師匠の所属する組合の狩人たちに討伐されたんだ。残されたアタシをどうするかっていうのも、意見が分かれたらしい。でも、その時、師匠を始めとした数名の狩人が庇ってくれたんだって。まだ赤ん坊だから大丈夫だって。これから人間と暮らせるように育てられるって。それで、アタシ、処分されずに済んだんだ」

「アンバー……君は……」


 何と声をかければいいか分からず口籠る私に対し、アンバーは問いかけてきた。


「ねえ、カッライス。正直に答えて欲しいんだ。魔物は怖い?」


 すぐに答えられずに私は黙ってしまった。

 魔物は、やはり怖かった。

 ルージュが怖かったわけではないが、ルージュ以外の魔物について考えるならば、怖いとしか言いようがなかった。


「答えて」


 アンバーに強く求められ、私は観念して肯いた。


「怖いかも」


 だが、その答えに対して、アンバーはどこか安心したように笑ったのだった。


「はは、そうだよね。それでいいんだよ。カッライスだって人間の子だもの。悪い吸血鬼に捕まっていたようにさ、いつどこであんたの事を食べようとする魔物が狙ってきてもおかしくない。だから、世の中には師匠みたいに魔物を退治できる狩人が必要なんだ」

「アンバーも、その狩人を目指しているの……その──」

「魔物なのに?」


 口にするべきか迷ったその先を言われ、私はつい謝った。


「ごめん」

「いいんだよ。そう思っても不思議じゃないだろうし。アタシね、師匠が助けてくれたこの命を無駄にしたくないんだ。その為には、人間の社会にうまく溶け込まなきゃいけない。魔物には狩りの本能がある。戦いたくなる。でもね、記憶にすら残っていない実の両親みたいには、アタシ、なりたくないんだ。だから、アタシが狩るのは人間じゃなくて魔物じゃないといけない」

「そっか。それで、修行しているんだね」

「そういう事。でも、その一方で感じることもあるんだ。アタシはさ、どう転んでも魔物なんだ。魔物なんて信じちゃダメ。特に今日みたいな日はさ、アタシに近づかない方がいい。アタシだってあんたに何をするか分からないんだからさ」


 脅すようなその言葉は、明らかに退室を促していた。

 けれど、それが分かっても尚、私は大人しく従うことが出来なかった。

 その告白の何処かに感じ取ったからだろう。

 寂しさのような、恋しさのようなものを。

 だから、私は部屋を出る代わりに言ったのだった。


「アンバーの事情は分かったよ。でも、これだけは言わせて。私はさ、君の家族になったわけだけど、これから少しずつ仲良くなって、いずれは一番の友達になりたいって思っているんだ。だからさ、私、嫌わないよ。君の正体が何であろうと。今日の君が、どんな姿をしていようと。嫌ったりしないって約束する」


 本心からの主張だった。

 だが、アンバーには疑わしかったのだろう。


「本当に?」


 と、問いかけてくるその声は非常に低く、警戒心で満ちていた。

 だが、その問いにはっきりと肯くと、アンバーは恐る恐るその鼻先を毛布の外へと出してきた。

 いつもの人間の顔ではない。

 私はそっと近寄ると、そっと毛布を捲ってみた。


 窓から差し込んでくる満月の光に照らされて、アンバーの姿が露わになる。

 そこにいたのは、やはり、人間の少女ではなかった。

 全身麦色の小さな狼。

 だが、目の輝きだけは変わらなかった。

 アンバーという名前の通りの色の目に怯えを宿し、こちらを見つめている。

 そんな彼女を、私は何も言わずにぎゅっと抱きしめた。

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