1.傀儡の館
人形たちの故郷。
そんなメルヘンチックな二つ名を持つ町の外れに、手つかずの森が広がっている。
木々を切り倒して生まれるのは木製の人形たち。
今のように人形の町として有名になってからは、遠方からその技術を学ぼうと人々が集まってくるものらしいのだが、その発端は遥か昔のこと。
この地を治めていたとある貴族がきっかけとなっているらしい。
彼は稀有な才能を持つ人形作家で、当時としては高度な造りの人形を多数残した。
その作品は、かつて彼が暮らしていた館に今の残されているというが、あいにく、町に暮らす者たちは現物を見たことがないという。
そんな町長の話を思い出しながら、私はその館を見つめていた。
町から離れ、美しくも不気味な森林を彷徨ってしばらく、突如としてその門は現れる。
壊れており、鍵はかかっていないという説明通り、誰もが気軽に近づくことが可能な環境だ。
だが、だからと言って敢えて近づきたがる者がどれだけいるだろう。
ましてや、ほんの数日前にここで吸血鬼騒ぎがあったとなれば尚更のことだ。
それに、この場所には何かある。
空の薄暗さや風の生暖かさのせいだけではない。
無人と聞いている館だが、誰かが潜んでいるような気がしてならなかった。
「にしても、立派な建物だな。本当は観光資源として使いたいって愚痴っていた町長の気持ちもよく分かる」
隣にいたアンバーが言った。
その緊張感のない態度に少し呆れつつ、私も同意した。
「かつての領主が住んでいたって話だからね。ただ……」
と、話しながら視線を動かし、館の入り口近くの壁に注目する。
窓の横の小さな空間。
そこには確かに落書きがあった。
ただの落書きではない。
近づいてみれば、そこには赤い文字でこう書かれていた。
──愛するオオカミと一緒に追いかけてきてごらんなさい。
この赤は、恐らく口紅だろう。
アンバーもやってきて、共に伝言を見つめた。
そして低く唸りながら呟いた。
「確かにこれは、模倣犯が書きそうな内容じゃないね」
「本人かもしれない。ただ、この館にいるかどうかはまだ分からないけれど」
今一度、館を見上げてみる。
外から中の事が分かるわけではない。
だが、やはり無人にしては違和感があった。
誰か住んでいるのではないか。
ルージュが潜んでいるのか、それとも気のせいか。
ともあれ、ここが今回の事件の舞台である。
今から数日前の話だ。
町の女性が一人、ここで殺された。
見つけたのは山菜取りで近くまで来ていた町の女性二人組。
倒れている知り合いを発見し、駆け寄ってみれば首筋に噛み傷があり、絶命していた。
パニックに陥りながらも、どうにか二人で町まで戻り、人手をかき集めて再び現場へ訪れてみれば、遺体は消えており、メッセージだけが残されていたという。
「遺体が消えたっていうのも奇妙だね。ルージュがやったんだろうか」
アンバーの呟きに、私は周囲を見渡しながら答えた。
「どうだろうね。ルージュだとしても理由が分からない。まだ血を吸い残していたのかな。だとしても、いまだに見つからないっていうのも不自然だけど」
「近くに肉食者が潜んでいた可能性もある。猛獣だったり、魔獣だったり、あるいは人狼だったり」
「人狼ね……だとしたら、君の自慢の嗅覚が活躍しそうなものだけど」
そう言ってアンバーを振り返ってみると、彼女はその名に相応しい目を獣のように輝かせながらじっと伝言を見つめていた。
「どうかな。ひとまず今のところは同胞のニオイはしない。ただ、胡散臭いニオイはいっぱいする。森にだって魔獣はいるだろうし、それにこの館もあまり入りたいとは思えないようなニオイがするね」
「入りたくないのは同意だ」
一応、町の者たちは出来る範囲で遺体を捜索したという。
しかし、吸血鬼にやられたと思しき状況である以上、無茶は出来なかった。
町には魔物狩りの資格を持つ者も、対魔物用武器もなく、特に危険だと判断された館の内部まで踏み込むことは出来なかったという。
ため息交じりに向かうのは館の入り口である。
預かってきた鍵を手に、施錠されているはずの玄関へと歩み寄った。
「でも、引き受けた以上は踏み込まないと」
ここにルージュが潜んでいるとすれば、躊躇う理由なんてない。
ただ、潜んでいるのがルージュであるとは限らない。
この館にはルージュとは関係のない奇妙な噂もあった。
今から十数年前。
ちょうど私やアンバーが幼かった頃、この場所で私たちと同じくらいの年頃の少女が行方不明になったという。
彼女は親の目を盗んでは度々ここに遊びに来ており、どんなに叱っても言いつけを守らなかったらしい。
そしてある時、彼女は町の友人に館に行く事を伝え、帰ってこなくなってしまった。
その日から、この館の付近で少女の姿を目撃する者が多数現れ始めた。
行方不明の少女ではないのかと、彼女の親や親族が何度も訪れたそうなのだが、目撃者の語るその特徴からして、どうやら別の少女のよう。
奇妙なのはその少女が何年経っても成長することなく目撃されているという事だった。
何かの魔物ではないのかという者もいれば、幽霊なのではないかという者もいるのだとか。
幽霊なんてバカバカしい……なんて、鼻で笑いたいところだが、不安はあった。
その幽霊の正体が、未知なる魔物であるという可能性も捨てきれないからだ。
そうでなくたって、正体が掴めないものへの恐怖というものはどうしてもある。
いずれにせよ、はっきりさせることも、一つの解決策だろう。
と、意気込みながら館の玄関へと近づいてみれば、そこには小さな門番がいた。
黒猫だった。
「おや? 住み着いているのかな」
アンバーが横から顔を出し、すぐさましゃがんで手を伸ばす。
「おいで、猫ちゃん」
いつもより甘ったるい言葉で話しかけるも、どうやら人懐こいタイプではないらしい。
とはいえ、警戒心が強いというわけでもないみたいで、マイペースに伸びをすると、構おうとするアンバーではなく私の方をじっと見上げてきた。
何かを訴えてきているようだった。
「餌が欲しいのかな?」
アンバーが呟く。
私はため息交じりに猫へ声をかけた。
「ごめんね。あげられるようなものは何も持ってないんだ」
そう言って横を素通りしようとするも、猫は足元にまとわりついてきた。
一緒に入ろうとしているのか、或いは、入らせまいと動いているのか。
「ちょ……アンバー、その子、捕まえておいて」
「よし来た。ほれ、猫ちゃん、ちょっとこっちに……って、おっと」
アンバーが捕まえようとすると、猫はひょいとかわしてしまった。
だが、その隙に、館の鍵を開ける事が出来た。
扉を開けてみると、ただよってきた空気の臭いに思わず顔をしかめてしまった。
これが、長く放置された建物の臭いなのだろうか。
いや、それだけじゃないように思える。
普段、仕留めた動物や魔物の解体の時の悪臭と比べれば……と言いたいところだが異臭は異臭だ。
「なんだ、この臭い」
アンバーが隣に来てそう言った。
「もしかして、消えた遺体が中にあるのか?」
私よりもずっと鼻がいい彼女には相当辛そうだ。
「外で待ってる?」
そっと訊ねてみると、アンバーは不服そうに眉間に皺を寄せた。
「まさか。アタシも行くよ」
「一応聞いてみただけさ。じゃあ、行こうか」
ただでさえ気が進まない中、アンバーと二人で館の中へと入る。
扉を閉めようと振り返り、ふと先ほどの猫がいない事に気づいた。
何処かへ行ってしまったのだろうか。
そんな事を思いながら扉を閉めると、辺りは一気に暗くなった。
鍵をかけると、さらに閉塞感は増していく。
「やだねえ。奴がこの中にいるようには思えないのだけど」
アンバーはそう言いながら、腕で口元を覆った。
「それに、この臭い。これじゃ、自慢の鼻も頼りにならないな」
「となると、君と私の条件は同じってところかな。どうやら、嗅覚以外の感覚に頼るしかなさそうだね」
館の中は薄暗い。
窓は閉ざされているし、明かりもつかない。
今はまだ辛うじて見えるが、もっと暗くなったら持ってきた懐中電灯でどうにかするしかない。
条件だけならば、山中での狩りと同じだ。
だが、やはり暗いというのは危険だ。
「軽く見回ったら今日は一度帰ろう」
そう言うと、アンバーはちらりと見降ろしてきた。
「なんだ? 怖いのか?」
「そうじゃなくて、本当にルージュが潜んでいたら、夜は危険だからさ」
「アタシが一緒なら、あの吸血鬼も襲ってはこないさ。……でも、あんたがそうしたいのなら、分かったよ。時間は今……ってあれ、狂っている?」
アンバーが取り出したのは、少し前まで滞在していた町で買った懐中時計だった。
掘り出し物として安値で売っていたオシャレな代物だが、安いのにはわけがあったのか、ここへ来るまでに三回は時計屋に調整してもらっている。
「しょうがないね。時々、窓の外を見よう。日が沈んで来たら外に出よう」
「分かった。あーあ、時計、買い換えないとかもなぁ」
ちなみに、アンバーのこの時の手持ちは、ぼちぼちといったところだったらしい。
お金持ちだったのは今や過去の話。
あれからアンバー向けの大物の依頼も特になく、私と同じような小遣い稼ぎに甘んじていた。
妙なところで負けず嫌いの私としては、その事に安心してしまったのだが、アンバーにしてみたら歯痒かったのだろうと思う。
「出来れば早期解決と行きたいところだね。奴も仕留めて万々歳。多額の賞金はアタシらで山分けしてさ、一生遊んで暮らしたいなあ」
「夢を見るのもいいけどさ、油断だけはするなよ」
そう言いながら武器を手で確認し、私は廊下を歩みだした。
まずは一階。
奥の部屋から順番に。
私たちは館内の調査を開始した。