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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
口紅の吸血鬼
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10.悪い予感

 目を覚ますと、体がだいぶ重たかった。

 昨晩のせいだけではないだろう。

 日々の肉体的、精神的な疲れが蓄積しているらしい。

 寝ても、休んでも、回復しないのは何一つとして解決していないからだ。

 今の私が楽になる方法は一つだけ。

 この仕事を終わらせることだった。

 とはいえ、私だって生き物だ。

 気持ちは急いているのに、体がなかなか追いつかない。

 重たい体を引きずるように起き上がり、朝支度をしていると、ベッドの中からアンバーが声をかけてきた。


「今日こそは休みなよ」

「そういうわけにはいかないよ」


 実際、休んでいる余裕はなかった。

 雇われている以上、動かなくてはいけないし、何よりも私自身がどうしてもじっとしていられない。

 どちらも辛いのならば、休んでいるよりも動いている方がまだマシだろう。


「とはいえ、あんたには自慢の嗅覚もないんだ。今、奴がどこで何をしているかなんて分からないだろう?」

「じゃあ、君には分かるの?」


 揶揄い半分で訊ね返す。

 どうにか着替える事は出来た。


「さあね」


 アンバーは答えた。


「でも、近づいてくればすぐに分かるよ。昨晩だって奴はアタシたちを見ていた」

「……なんで教えてくれなかったの?」


 不満を覚えて訊ねると、アンバーは鼻で笑った。


「他人の感性に頼るようじゃ狩人失格だ。あんた自身が気づかないとね。それに、いちいち教えて壊したくなかったんだよ。美味しい思いをしている時間をね」


 その眼差しを受けて、途端に昨晩の事を思い出してしまい、目を逸らしてしまった。

 前にもルージュ自身が言ったことがあった気がする。

 アンバーとの関係を彼女は把握しているのだと。


「奴の殺気だった気配はすぐに分かる」


 アンバーは言った。


「あんたに対する執着も相当根深いのだろうね。ただでさえ、吸血鬼と人狼は競争相手だ。すぐにでも取り戻したいと思っているに違いない」

「だとしたら、好都合だ。今の私には武器がある。前のようにはいかないよ」

「その驕りが不安なんだよ、カッライス」


 アンバーはそう言うと、音もなく立ち上がった。

 シーツが落ちて、その姿が露わになる。

 満月の日まであと少し日にちがあるが、その眼差しはどこか獣らしさに満ちていた。


「ここにいたって、いつかは向こうから来るはずさ。あんたは待つだけでいい。金ならアタシが稼げばいいさ。アタシなら、あんたが今やっているその仕事よりも短時間で数倍は稼げるんだからさ」


 命じているわけではない。

 だが、その眼差しを真っすぐ受け止めるのが怖くなり、私は目を逸らして答えた。


「他人の懐に頼るようじゃ狩人失格だよ。たとえ君であってもね。せっかく師匠に認めて貰って、対魔物用武器一式を貰ったんだ。君に頼る必要のない稼ぎはこれまでだってあった。だからさ──」


 言いかけたところで、アンバーは急に手を伸ばし、私の体を引きずってきた。

 強すぎる力に抗えないまま、ベッドへと押し倒される。

 どうにか受け身を取って、起き上がろうとするも、完全に抑え込まれてしまった。


「また油断したね」


 アンバーは言った。


「いつも言っているだろう。魔物を信じちゃいけないって。もしも、アタシの気が変われば、あんたはいつだって食い殺されることになる。今のあんたじゃルージュにだっていいようにされるだろうよ」

「そんなことない」


 抑え込まれながらも、私はどうにかそう言った。


「何度も言っているだろう。君とルージュは違う。君の前では自らの意思で武器を手放せても、ルージュの前ではそうはいかない。私は、絶対に、ルージュに負けたりしない」


 アンバーとのやり取りを振り返ってみて常々思うことがある。

 彼女は事あるごとに魔物である自分を信じるなと忠告してきて、私はそれを理解したつもりで返事をしている。

 けれど、いざという時に分かるのは、私はやはりアンバーを疑えずにいることだった。

 口では脅してくるけれど、まさか本当に食べられてしまうわけはない。

 アンバーは味方であるし、深い絆が結ばれているはずだと、私はどうしても信じてしまうのだ。

 彼女は、そんな私に対し、何を思ってきただろう。

 口答えする私を、言う事を聞かない私を、ベッドの上に抑え込んでいた彼女の表情は、まさに狼のようだった。

 それでも、この時もやっぱり私は、彼女を怖がることが出来なかった。


「頼むよ。今日はここに居てくれ」


 アンバーはそう言った。


「六日だ。六日間隔で奴は食事をするんだろう。そして、あのリップルという探偵は血を吸われていなかった。いいか、カッライス。奴はまだ食事をしていないんだよ」


 彼女の言わんとしている事に気づき、私は思わず瞼を閉じた。

 彼女と目を合わせ続けているのが辛かった。


「しばらくじっとしているだけでいい。奴だっていつまでも空腹ではいられない。あんたを狙っていたとしても、食えないとなれば妥協するだろう。その後でなら──」

「そういうわけにはいかないよ」


 勇気を振り絞って、私は反論した。

 信頼していても、興奮気味だと分かる今の彼女に逆らうのは怖かった。

 彼女に命じられてしまえば、本当に自由を失いかねないのだから。

 それでも、はっきりと言わずにはいられなかった。


「自分の命を惜しんで、町の人たちを犠牲にするわけにはいかない。そうでなければ、私は何のためにここに居る。これ以上、悔しい思いをしたくない。奴が私を狙うつもりなら、それでいい。むしろチャンスじゃないか」


 言い切ってしまうと気持ちが吹っ切れて、ようやく私は目を開けることが出来た。

 恐る恐るアンバーと視線を合わせると、彼女は想像以上に怖い顔をしていた。


「あんたの主張は分かったよ」


 そう言って、彼女は大きくため息を吐く。


「ここでその主張を捻じ曲げるのは簡単なことだ。アタシにはその権限がある。あんたがまんまと言い包められて、昨晩もその体を委ねてくれたおかげでね」


 目を逸らす私の頬に、アンバーは手を添えてきた。

 どう判断するつもりなのか読めなかった。

 宙づりにされているかのような不安に見舞われ、体が震えそうになる。

 彼女がどういう決断をするにしろ、彼女の事を嫌いになれずに済むだろうか。その事ばかりが頭を過った。

 そんな中、アンバーは続けて言った。


「……だが、どうやら、アタシにはあんたを邪魔することは出来なさそうだ。言っとくけど、あんたのためじゃないよ。師匠のためだ。この町の依頼を受けたあんたの評判は、良くも悪くも組合の、そして師匠の評価に繋がることになるからね」

「そこに気づいてくれて嬉しいよ、アンバー」


 皮肉交じりに私は言った。


「そうとなれば、この依頼が終わるまで君は私の邪魔なんて出来ない。よく分かっただろう。分かったなら、放してくれ」


 やや強気でそう言うと、アンバーは答える代わりに小さく唸り、私の耳元で囁いた。


「放してやる前に、少し時間を貰うよ」

「時間?」


 問い返す私の唇を封じ、彼女は言った。


「身を護るためのおまじないをかけてやるんだよ」


 そして、抵抗できないまま、昨晩の続きが始まった。


 少しの時間とのことだったが、解放されるまでに小一時間はかかった。

 狩猟欲とやらが解消されて満足したのかアンバーは服も着ずに眠ってしまった。

 そんな彼女に毛布をかけてやると、私は服を着なおして、今度こそと朝支度の続きを始めた。

 武器の手入れは問題ない。

 荷物もしっかりまとまっている。

 そして、精神の方は、お呪いが効いているのだろう。

 ルージュの秘術も怖くはなかった。

 アンバーのかけた術がどれだけ私を守ってくれるかは分からない。

 それでも、ないよりはマシというものだろう。

 そう信じて私は、眠り続けるアンバーの耳元にそっと声をかけた。


「行ってくるよ。夕飯までには帰るから」


 そして起こさぬようにそっと、その頬に口づけをした。

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