5.目撃証言
新しい手掛かりになるような情報はないか。
そう思ってシャローズ刑事のもとを訪れてみれば、そこで待っていたのは探偵のリップルだった。
会って欲しい人がいるとのことで、町の中央にある喫茶店へと共に向かってみると、そこには一人の男性が神妙な面持ちで待っていた。
「彼の名前はガルフです」
リップルの紹介に、ガルフは軽くお辞儀をした。
「最後に犠牲となったクラブさんのご友人の方です」
「友人っていうか、飲み仲間だったんだ」
ガルフが付け加えるように言った。
「何というかさ、毎晩のように一緒に飲んで騒いでってだけだったんだけど、あいつとは色々と思い出もあって。その……最後の晩も一緒にいたもので」
緊張しているのか、ショックなのか、その両方なのか、ガルフはたどたどしい様子でそう言った。
暑くないはずなのに噴き出ている汗を何度か拭ってから、ガルフはようやく心を落ち着けたのか、はっきりと言った。
「それで、見たんだ。最後の晩に、いつもの酒場で!」
「見た?」
私が問い返すと、ガルフは深刻な眼差しで訴えてきた。
「金髪の女だよ」
彼の証言に、私もまた警戒心が増した。
「なあ、狩人さん。その口紅の吸血鬼ってやつは、女なんだろ? それも偉く美人なんだって聞いたぜ。オレが見た女もそうだった。金髪に、光の加減で赤く見える不気味な目。そんで、彫刻や絵画のように整った顔。何か悪魔的なものの罠なんじゃないかってくらいいい女だったんだ」
「……それで、その女性がどうしたんでしたっけ?」
リップルが誘導するように問いかけると、ガルフは興奮を抑えながら言った。
「オレたち酔ってたんだけどさ、酒場で見てすぐに嫌なもんを感じたから見て見ぬふりをしたのさ。だが、クラブのやつはさ、『あの人だ……』って呟いて、オレが止める間もなく近づいて行ってさ、何か話し出したんだ」
──あの人。
つまりクラブは彼女の事を知っていた。
「そんでさ、しばらく話したかと思ったら、突然こっちに戻ってきて、ちょっとこれから『アトランティスに行く』って言ってさ。そのままあの女と消えちまったんだ」
「念のため、アトランティスっていうのは、この町一番の高級宿の事です」
リップルの補足に、私は肯いて感謝を伝えた。
この町に来てから目に入っていた、かなり目立つシンボル的な高級ホテルだ。
場所は町の南西。
背はさほど高くないが横に広く、城のような造形に夜でも目立つ派手な装飾でいつもキラキラしている。
宿泊客からの評判がいいらしいが、一泊の値段が、私とアンバーが世話になっている宿の一か月分くらいに相当する。
というわけで、恐らく一生縁がないだろうホテルと認識していたのだが。
「では、クラブさんは亡くなる前にアトランティスに向かったんですね……その金髪の女性と一緒に」
「ああ、そのはずなんだ。酔っていたけれど、しっかり覚えている。何なら、あの時に酒場にいた全員に聞いてみるといい。オレ以外にも覚えている奴はいるかもしれないからさ」
必死になってそう訴えてくるガルフをリップルが宥めている間、私はしばし考え込んだ。
ガルフと話していた金髪の女性。
光の加減で赤く見える目。
ぞっとするほど美しい容姿となれば、やはりルージュ本人だと思わずにはいられない。
「そ、それでさ。まだあるんだよ」
と、ガルフが再び語りだした。
「昨日の事なんだけど、あの金髪女をまた見たんだ。間違いなく同じやつさ。今度は一人で町を歩いていて、クラブの事もあったからさ、オレ、そっと奴の後を追ったんだ。そしたら、やっぱりアトランティスに入っていったんだ。その時は素面だったから、酔っぱらってたとかはないはずさ。あの女はアトランティスの客だよ」
「その話、警察でもされましたか?」
リップルに問われ、ガルフは決まりの悪そうな表情で首を振った。
「……してねえ。オレ、緊張しちゃってさ、そこまではうまく話せなかったんだ」
「そうですか……それでは、今の話を僕がしますので、ガルフさんも付き添っていただけませんか?」
丁寧にそう言われ、ガルフは恐る恐る頷いた。
さて、リップルとガルフを見送った後、私には向かうべき場所が一つ出来た。
アトランティス。
この町の高級ホテル。
全くの手探りで町を歩き回るよりも可能性は高いだろう。
問題は、中を自由に彷徨えるかどうか。
特にああいった場所は、客側の身なりもそれなりに求められるものだと聞いている。
男女共に見栄えのいい恰好でなければ追い出されるだろう。
だが、だとしても、行くだけ行ってみなければ。
そう思った私は、とぼとぼとアトランティスへ向かった。
緊張もした。
そこに本当にルージュがいたらどうしようと。
言葉にしきれないその不安な気持ちが顔を覗かせるたびに、私は自分に言い聞かせた。
会ってしまったら、仕留めるだけだ。
人のいない場所にうまく誘導して。
さて、意を決して辿り着いたアトランティスだったが、身分を明かしたところでホテル側は協力的ではなかった。
魔物狩りの資格を持つというだけで協力してくれる店や宿はたくさんあるのだが、どうやらここはそうではないらしい。
魔物が潜んでいるかもしれないという可能性への恐怖よりも、その話が広まることで余計な騒動が起きるかもしれないという恐怖の方が勝っていたのだろう。
「──そういう事でしたら、我々は警察の指示を待つことになります。狩人さんもその際に改めてお越しいただければ幸いです」
受付の男性に丁寧かつ遠ざけるようにそう言われ、私は閉口するしかなかった。
魔物が怖くはないのだろうか。
そんな事を思ったりもしたのだが、案外こういうものなのかもしれない。
たとえ同じ町で起こったことであっても、自分の身に降りかからなければ、所詮は他人事だと感じる者も少なくないのかもしれない。
受付の男性に笑顔で見送られながら一度は遠ざかり、宿泊客以外にも開放されているラウンジへとそのまま向かうと、私は受付から死角になっている場所に入り込んで店の案内板へと目をやった。
客室数は多い。
一つ一つ洗っていくのは骨が折れるし、すぐにでも追い出されてしまうだろう。
今日の所は一般客が歩いていても不審がられない場所を中心に見ていった方がいいかもしれない。
そう思って案内板を確認していると、目に留まった場所が一つあった。
地下にあるバーだ。
思い返すのは吸血鬼の特性。
彼らは血を飲めない代わりに赤ワインで喉を満たすことがある。
朧気な記憶ではあるものの、私もルージュがワインで喉を満たしている姿を何度か見たことがある。
人間のようにただの嗜好品として飲んでいるわけではなく、人間の血がすぐに手に入らない時に飲む代用品らしい。
──店は昼も開いている。
確認が終わると、私はさっそく地下へと向かった。
開いているとはいっても、やはり日が高いうちから訪れる客は多くないのだろう。
共に地下に向かう者は誰もいなかった。
降りた先にある廊下もまた、しんとしている。
だが、降りてすぐの曲がり角からそっと店のあるはずの方向を慎重に窺ってみて、そのまま固まってしまった。
店の前に人がいる。
臙脂色のフード付きの外套で身を隠しており、その顔立ちまでは見えなかった。
ただ、微かに見える髪が金髪であるのは間違いない。
後ろ姿と立ち振る舞いからして女性だろう。
そして何よりも惹きつけられるのは、彼女の持つ形容しがたい独特の印象だった。
そこにいるだけで只者ではない気がしてしまう異質な印象。
人の姿をしているのに、何故か覚えてしまう違和感。
アンバーにも時々、そんな気配を感じてしまう事がある。
気の敏い者や訓練された者ならば、これだけで相手が本当に人間なのか疑いの目を向けてしまう事があるだろう。
そう、私の目から見て彼女は、後ろ姿だけでも人間ではないように感じられた。
彼女は真っすぐ店へと近づいていくと、入り口付近でふとこちらを振り返る。
目が合いそうになって隠れるまでのその僅かな瞬間、私の目には彼女の顔が焼き付いていた。
──ルージュ!
だが、進もうとしたその時、背後から何者かに肩を軽く叩かれた。
驚いて振り返るとそこにはアトランティスの従業員らしき男性がいた。
「申し訳ありません、あちらの店はこの時間のみ宿泊者限定となっております」
丁寧な口調でそう言われ、私は大人しく引き下がった。
立ち去る前に、恐る恐るもう一度、店の前を確認してみると、そこにはもうルージュはいなかった。