10.見世物小屋の舞台裏で
翌朝、私が真っ先に向かったのは、見世物小屋の舞台裏だった。警備員に身分を明かして話をすると、すぐに座長が呼ばれてやってきた。
「今日はお一人ですか?」
不思議そうに訊ねてくる彼に、私は力なく頷いた。
「ええ、実は相棒が昨晩、帰ってこなかったんです。それで……直前にこちらで目撃したという声を聞いたもので」
すると、座長は慌てた様子を見せた。
「なんとそれは……もしや魔物に?」
当然とも言うべき反応かもしれない。何しろ、普通ならばアンバーこそが魔物──それも人狼であることなんて気づかないのだから。
彼は生粋の人間だ。マガラニカ氏と同じ。それに、この態度。やはり、この件には絡んでいないのかもしれない。
そんなこと思っていると、ふと体の内側から囁くような声が聞こえた気がした。
(……そうやって他人を信じすぎるのがあなたのよくないところよ)
ルージュだ。からかうような言葉に、寒気が生じる。
影が重たいのも気のせいではないだろう。その声には応じずに、私はただ座長を見つめ続けた。
「その線も視野に入れながら探りたいんです。捜させてもらえますか?」
拒否されるはずもなかった。座長とて人間だ。恐ろしい事件を起こすような魔物なんて早くいなくなって欲しいのだろう。たとえ、団員の中に魔物がいて、そのことを座長も実は知っていたとしても、だ。
「何か我々にお手伝いできることはありませんか。たとえば、詳しく話を聞きたい団員がいれば何なりと」
彼の言葉に、私はさっそく数名の人物の名前を伝えた。
ムー、マイヤ、そしてレムリアの名だった。
「分かりました。ムーとマイヤならばすぐに呼び出せるでしょう。ですが、レムリアは……少しお時間をいただいても?」
「構いません。その間に捜索をしても?」
「はい、それは勿論、ご自由にどうぞ。では、中へ。私はさっそくムーとマイヤに連絡を入れてまいります」
そう言って、彼はそそくさと立ち去ってしまった。
ご自由に。そう言われるままに楽屋の立ち並ぶ廊下へ入ってはみたが、辺りは異様に静かだった。遠くから動物の気配がするくらいだろうか。
退屈をしている猛獣たちが無駄に吠えているらしい。その声を聞きながら吸い寄せられるように歩いていると、ルージュの声が再び聞こえてきた。
(あの子のいる場所には鍵がかかっている)
寒気を覚えつつも私は一呼吸おいてから、そっと返事をした。
「君には開けられないの?」
(無理よ。私は魔女じゃないもの。ああ、でも、ここには半人前の魔女も囚われているのだったわね。可哀想に、人間としての尊厳を全て奪われて、猫を使ったショーのための訓練までさせられているみたい)
言葉とは裏腹に面白がるような声だった。
いずれにせよ、ルージュならば場所は分かる。問題はどうやって開けるかだ。
「鍵はレムリアが?」
(そうね。座長に言われれば渋々開けてくれるかもしれないわ。問題は、その座長に不信がられるかもしれないというところかしら)
「ハニーの権限は使えないの? 君ならおねだりできるでしょう」
冷たい声でそう言うと、ルージュは低く笑った。
(妬いているの? 可愛い子ね)
違う。と言いたかったが、言いきれなかった。今の私はアンバーを助けたい。その思いでここに居る。けれど、今日に至るまでの昨晩の出来事とそれによる影響が、私の心を大きく惑わしていた。
ルージュに正しい意味で心から愛されているハニーの事が憎くてたまらない。そんな感情が確かに私の中に渦巻いていたのだ。
感情を振り切るように溜息を吐いてから、私は再びルージュに問いかけた。
「それでどうなの? ハニーの権限は使えないの?」
(ハニーのお気持ち次第ね。それに、権限なんてものも万能ではないのよ。魔術ではないから従ってくれるとは限らないもの。レムリアが嫌だとだだをこねれば座長は強く言えないかもしれない。強制的に開けさせることが出来たとしても、それまでには時間がかかるかもしれない。ねえ、カッライス。お忘れではなくて。満月の日まであとどのくらいあるか分かっている?)
ルージュに訊ねられ、私は息を飲んだ。
満月の日の事は必ず覚えている。その日は明後日だ。
と、そこへ、廊下の何処かで扉が開く音がした。端の方の部屋だ。勿論そこのことはよく覚えている。マイヤが住み込んでいるという部屋だ。
出てきたのも彼女で間違いなかった。私の顔を見ると、マイヤはほっとしたように笑みを浮かべた。だが、無邪気に駆け寄ろうとしたその直前、何かに気づいたのかマイヤは急に目を丸くして立ち止まってしまった。
私の傍には誰もいない。誰も見えないはずだ。しかし、マイヤには分かるのだろう。何故なら彼女は。
(猫の魔物だものね)
ルージュがそう囁くと、聞こえたのだろうか。マイヤは息を飲みながら距離を保ったまま私に話しかけてきた。
「おはよう、狩人さん……なんか今日はいつもとちょっとだけ雰囲気が違う……気がするなぁ」
「おはよう、マイヤ。君も何だか前とは少し違って見える。ダイアナは元気にしている?」
「う、うん。もちろん元気だよ。それより、座長から電話があったんだけど、一緒にいた人が行方不明になっちゃったんだって?」
妙に焦った様子で彼女は訊ねてきた。視線がちらちらと泳いでいる。用件をすぐに終わらせたいようだった。もしくは機嫌を損ねたくないのか。居たたまれないのだろう。私が怖いのかもしれない。
(可愛い猫ね)
そのルージュの声が聞こえているのは、どうやら私だけじゃないらしい。
目を見開いて怖気づくマイヤに、私は答えた。
「そうなんだ。でも、最後にこのあたりで目撃した人がいた。だから、捜しに来たんだ。ねえ、マイヤ。君にはお願いもしていたよね。レムリアさんの事、ちょっと聞かせて貰ててもいいかな? あまり人に聞かれないような場所で」
マイヤは息を飲んだ。なかなか頷こうとしないのは、私ではなくきっとルージュの気配に怯えているからなのだろう。
「お願い、私を怖がらないで──」
私はマイヤに言った。その直後だった。乗っ取られたように口が勝手に動いたのだ。
『“あなた”を襲ったりはしないと約束するから』
ルージュだ。それ以外に考えられなかった。
その意図はマイヤにも伝わったようだ。彼女は汗をかきつつ、「約束ですからね」と、懇願するように言った。
マイヤが通してくれたのは、あの猫たちも暮らす部屋だった。奥にはダイアナが閉じ込められているケージもある。
私が入って来ると、ダイアナは出してくれと願うようにこちらを見つめてきた。だが、異様な気配に気づいたのだろう。彼女もまた目を丸くして、隠れるように下がってしまった。
「やっぱり、あなた達ってちょっと変わった狩人さんなんだね」
マイヤが言った。
「深入りはやめておくよ。だけど、約束は守んないと。ここしばらくのレムリアのこと、ちゃんと監視したんだよ。ここ二日くらいの話だけど、あの人がとある人と揉めているところを見たんだ」
「とある人?」
「裏方の男の人だよ。名前は確かムーっていう人だったかな」
「ムーさんと?」
「おや、知っているのか。じゃあ、話が早いかもね。あのムーって人はさ、レムリアさんの飼っているペリュトンのことを人間の女の子みたいに思っちゃっているみたいでね、籠の鳥のようで可哀想に見えたんだろうね」
「揉め事っていうのは、ペリュトンを巡っての事?」
「うん。だいぶ険悪だったみたい。……あ、それとね、レムリアさん、新しい魔物を手に入れたらしくて、奥の部屋で飼っているんだ。なんだろうなぁ。私には覚えのあるニオイがしたんだよ」
「──人狼」
小さく呟くと、マイヤは片目を閉じて、私を見つめてきた。
「捜している相棒ってその人の事なんじゃないの? ねえ、狩人さん。私はどうしたらいい?」
「鍵があるはずなんだ。どうにか出来ない?」
「どうにかって?」
「何処にあるか、探れないかってこと」
私の言葉にマイヤは困ったように笑った。
「鍵ならきっとレムリアさんが管理しているだろうね。それ以上の深入りは流石に怖いよ。敵に回しちゃいけない人だもの」
「君はダイアナの代わりになってくれるんでしょう? それに──」
と、そこでまた、不思議な感覚を覚えた。
『オーナーは、レムリアのようなものが好き勝手にすることを好ましく思っていない』
間違いなく私の口から発せられた私の声だ。しかし、言ったのは私じゃない。マイヤにはよく分かるのだろう。脅すようなこの言葉の本当の主が。
「わ、分かったよ。探ってみるよ。吸血鬼様がそう言うのならね。わたし、出来る限りのことをやってみるからさ」
やっぱりそうだ。マイヤはちゃんと気づいている。
今だけはルージュの存在がありがたかった。
「頼むよ、マイヤ。満月の夜までにどうにかしたいんだ」
その期限の意味もまた、マイヤはちゃんと理解しているようだった。




