6.猫好き曲芸師
翌日、私はアンバーと共にアトランティスの全体を回った。
レムリアやペリュトンの事は非常に気になったが、今日のところはダイアナに任せて違う場所を探っていこうというアンバーの提案もあってのことだ。
場所があまりにも広すぎる時こそ、アンバーの鼻は頼りになる。少なくとも、事件と関わりがありそうかどうかが分かるだけでも重要な手掛かりとなり得る。
それでも、アトランティスは広大だ。疲労は確実に蓄積していった。
着慣れない衣服も辛いものがあった。アトランティスで身に纏うのは、いつもの服ではない。地味であろうとそれなりの衣服を身に纏うように言われていたのだ。
組合の協力も頼りに慌てて用意したのが複数の衣装だったのだが、そのいずれもいつもの軽装と違って動きづらい。
一応、ここは高級ホテルだ。野山を駆けまわるように武器を放つわけにもいかない。他の客を怯えさせるような事も出来ないので、豪奢な衣装の中に忍ばせられる程度の手持ちしかない。そんな環境で暗殺者か何かのように今回の事件の犯人を退治しなくてはならない。
勿論、これでも組合の一員なのだから、多少は動きづらくても仕事が出来ないというわけではない。ただ、着慣れない格好は、私たちを疲弊させた。
その上、大した収穫がないとなれば尚更だ。結局、いい手がかりなんて一つも見つからず、ますますどっと疲れてしまった。
となれば、期待が寄せられるのは、夜にまた来るはずのダイアナの情報だったのだが──。
「……来ないね」
むなしく窓辺を見つめる私の背に、アンバーが声をかけてきた。
時刻は真夜中。夕飯も終わり、くたくたになった体を休めている時のことだった。
ベッドで横たわるアンバーは人間の姿をしていながら獣のようだ。そんな彼女に何度も隣に寝るよう促されたのだが、なかなか眠気は訪れない。
「何かあったのかな」
ダイアナは魔女としてもベテランの部類だ。ルージュのもとから救い出して以来、危険な目には何度か遭っているようだけれど、そのたびに掻い潜り、私たちのもとに戻ってきて有益な情報をもたらしてくれる。私たちにはない数多の魔法を使えるということも彼女の強みだろう。しかし、過信はできない。魔女だからこそ、直面する危機というものもあるだろう。
「きっと明日の朝には来てくれるさ」
アンバーにそう言われ、私は渋々頷き、結局そのまま無理にでもベッドへ潜った。
翌朝、ダイアナはやはり来ていなかった。一日来ないということは、ままある。身の安全を確保してからだとか、あと少しで重要な情報を掴めるという時などだ。
だから、大丈夫だと思いたいところだったが。
「やっぱり今日は様子を見に行きたい」
朝食時、私はアンバーにそう言った。アンバーとしてはどちらでもよかったらしく、サンドイッチを楽しみながら生返事をしてきた。
「まあ、アタシらが行くことで分かることもあるかもしれないしね」
というわけで、私たちはさっそくマガラニカ氏を通して、再び見世物小屋の舞台裏を案内してもらうこととなった。
劇場への立ち入りにはマガラニカ氏が同行し、座長も挨拶に来てくれたが、今回は狩りにまつわる調査も兼ねているということで、一部を除いて自由に立ち入っていいということになった。どうやらマガラニカ氏も座長も別の予定があるらしい。
「ありがたいね。これで人目を気にせず鼻を頼れそうだ」
アンバーはそう言ってさっそく周囲を見渡した。と、その直後、彼女は一点を見つめて眉をひそめた。
「あれ……このニオイは……」
「何かあった?」
すぐに問うもアンバーは答えぬまま頭を抱えた。そして、こちらを軽く振り返ると小声で囁いてきた。
「ちょっとついてきて」
言われた通りに進んでいくと、たどり着いたのはショーに出場する動物たちの飼育室だった。猛獣や大型の獣のいる場所をアンバーは素通りしていく。真っ直ぐ向かうのは、突き当りだった。ひっそりとした扉があり、閉め切られている。
どことなく人を寄せ付けない雰囲気がただよう場所で、ノックしていいものか悩むところだったが、アンバーは迷わず扉をノックした。程なくして中から返事があり、私たちは扉を開けた。
「あれ、座長だと思った」
私たちを見るなりそう言ったのは、中にいた女性だった。オレンジ色のぼさぼさの髪を掻きながらどこかだらしない様子で椅子に座っている。ショーに出ていた人物かもしれない。少しだけ覚えがあった。その内容は確か──。
「……おっと、扉を閉めてくれる? 猫たちが外に出ちゃうから」
そう、猫だ。猫を使ったショーをしていたタレントだ。名前は確かマイヤだっただろうか。
彼女に言われた通りに部屋の扉を閉めると、足元にさり気無くいた猫がつまらなさそうに部屋の奥へと戻っていった。
他にも猫はたくさんいる。色とりどりの猫たちがこの狭い部屋の中で寛いでいるようだった。
「で、あなた達は?」
「突然すみませんね。マイヤさん……でお間違いないでしょうか。アタシたち、マガラニカさんに雇われた狩人なんです」
アンバーがようやくそう言うと、マイヤは一瞬考えた。
「狩人……ああ、支配人が雇った例の狩人さんね。んで、狩人さんがここに何の用?」
「実は手がかりになりそうな気配を感じたものでして」
アンバーはそう言うと、さりげなく部屋の中へと踏み込んだ。猫の一匹がアンバーを警戒している。単なる人見知りか、彼女の正体が分かっているのか。
「手がかりの気配? 物騒なことを言うね。死人が出ているんでしょう、その事件」
「ええ、ですので、早いところ解決をしなくてはいけないんです。それで、つかぬ事をお聞きしますが、ここ最近、なにか変わったことってありますか? 何でもいいんです。たとえば、つい最近、新しい猫をお迎えしたとかそういうことでも」
アンバーがそう言うと、彼女は頬杖を突きながら少し考えた。そして、不意に立ち上がると、「あるっちゃあるね」と言って、閉め切られていた奥の扉を開けた。
「昨日、迷い猫を保護したんだよ」
「迷い猫?」
その言葉に思わず私は歩みだした。近づいて行くと、閉め切られていた奥の部屋の様子が見えてきた。そこにはさらに猫たちがいた。外で自由にしているものもいれば、ケージの中でじっとしているものもいる。その中の一匹のもとへ、マイヤは歩み寄った。
「ほら、この子だよ」
その声に中にいた猫がさりげなく目を開け、そして、私の姿を見ると慌てたように立ち上がった。黒猫だ。とっても見覚えのある黒猫だった。
「……ダイアナ?」
その名を呼ぶと、猫は不自然な声で返事をした。ダイアナで間違いない。うっかり話してしまいそうになったのだろう。
「おや、もしかして知っている猫だった? でも悪いけれどさ、ここって猫を自由に歩かせちゃ駄目なんだよね」
マイヤの言葉に、私もアンバーも頭を抱えてしまった。
「じゃあ、外に逃がしてくるってのじゃダメ?」
アンバーがそう言うと、マイヤは何故かにやりと笑った。
「逃がすくらいならここで預からせて欲しいかな。ここなら安全だし、それにさぁ……喋る猫ってのを手放すのもちょっと勿体ないかなぁって」
マイヤの言葉に、背筋が凍り付くような気分になった。アンバーも同じだろう。一気に顔色が悪くなってしまった。さり気なくダイアナへと視線を向けると、彼女は気まずそうに目を逸らす。
「……なるほど」
どうにもならずアンバーが呟くと、マイヤは私たちに言った。
「ねえ、お二人さん。ちょっと変わった手法で狩りをしているみたいだね。私、狭い世界しか知らないから、すっごく興味があるんだよね」
「何が望みなの?」
何処か突き放すようにアンバーが訊ねるも、マイヤは微塵も気にしない様子で答えた。
「このダイアナって子の代わりにさ、私にも手伝わせてくれない? ここでのお仕事、楽しいんだけど、最近マンネリ化しちゃって、退屈なんだよねぇ」
そう笑うマイヤの姿は、何故だろう。
人間の姿のはずなのに、猫のように見えて仕方なかった。




