14.待ちに待ったその日
結局、約束は守られたらしい。
アンバーの居場所がドッゲに伝わる事もなく、その正体にまつわる奇妙な噂が広まるような事もない。
そのような状況を踏まえて、オブシディアンの下で出された結論は、アンバーの謹慎の解除だった。
勿論、満場一致というわけにはいかなかった。
ジルコンを始め、解除は時期尚早とする者や、このまま除名し、対魔物用武器の使用許可を剥奪すべきという過激な意見も飛び出したというのは、会議をこっそり覗いていたダイアナがこっそり教えてくれた情報だ。
しかし、組合幹部の多数がオブシディアンの決定に異を唱えず、アンバーには武器が返還される事となった。
「……てなわけでさ、さっそく稽古に付き合ってもらうわけだけど、惨めに負けても泣かないでよね。こっちもなるべく手加減するからさ」
その返還を待つ、とある日の午後、アンバーは屋外にてにやりと笑いながらそう言った。
直射日光を受けながらその姿をまじまじと見るのは久しぶりに思えた。
互いに手に握られるのは、ペリドットの家の隅に眠っていた稽古用の木剣だ。
ここしばらく家の中に閉じこもっていた彼女の練習相手として駆り出されたというわけだ。
私としても良い機会だった。
薬膳茶のお陰か、足の痛みも徐々に引いてきてはいたし、体が鈍った状態のアンバーならば、互角に立ち回れるのではないか。
そんな期待が少しだけ抱けたからだ。
「ただの人間を油断していると、痛い目に遭うかもよ?」
勿論、その期待は一瞬にして砕かれることになるのだが、それもまた良い経験だったかもしれない。
合図と共に駆け出した刹那、痛みも衝撃もさほどなく、持っていた木剣だけが飛ばされてしまった。
悔しいというよりも、見事なものだと感心してしまうほど呆気なかった。
飛ばされた木剣がくるくると回りながら地面に刺さるのを見届けていると、喉元にすっと木剣が突き付けられ、満足そうなアンバーの声が聞こえてきた。
「どうやら、腕は鈍っちゃいないようだ。これでいつでもあの女の喉笛を掻き切れるね」
「止めは刺さないでくれると嬉しいんだけどね」
「約束はできないよ。今回の事で懲りたんだ。あいつら二人とも、ただじゃおかないってね。ひとまずはあの吸血鬼から。……というわけで、カッライス。今日からはアタシもあんたのライバルだ。最愛の吸血鬼を盗られたくなければ、アタシの武器くらいは奪えるようにならないと」
そう言ってアンバーは木剣を持ったまま私から少し離れた。
挑発するような彼女の眼差しに誘われるまま、私は身構えた。
稽古というよりも、子供の頃のようなじゃれ合いに過ぎなかったが、互いに良い運動にはなったらしい。
結局、くたくたになった私がたまらず片膝をついたところで稽古は終わり、這うようにしてどうにかペリドットの家まで戻っていった。
じゃれ合いというよりも、取っ組み合いのようなあれやこれやで傷ついた体を、アンバーのお手製傷薬で清められて、涙目になったところで、ようやく冷静さは戻ってきた。
「ただ稽古に付き合うだけのつもりだったのに、むきになり過ぎた」
涙目になりながらそう言うと、アンバーは静かに笑った。
「相変わらず負けず嫌いだね、あんたは。最後まで諦めずに食らいついて来るのは良いところでもある。だが……ルージュはきっと、その特徴を、あんたの弱点として把握しているだろうね」
「君の酷い冗談を真に受けたせいでもある。ただ……反省しているよ。頭に血が上りやすいのかもって」
「冗談?」
と、そこで、アンバーは私の肩を掴んできた。
「違うよ。アタシは本気さ。あんた言っただろう。未来のためにあの女を仕留めるんだって。それならアタシだってそうさ。二人の未来がかかることを、人任せになんてしていられない」
「あ……アンバー」
呆然とする私に笑いかけ、アンバーはふと思い出したようにポケットに片手を突っ込んだ。
そして何かを握り締めると、私に囁いてきた。
「手、出して」
言われるままに両手を出すとアンバーはそのうちの左手を掴み、何かを握らせてきた。
硬く、小さなその物体。
覚えのある感触に、私は恍惚としたものを感じながら、恐る恐る開いたのだった。
出てきたのは、指輪だった。
知らない指輪じゃない。かつてルージュに持たされていたあの指輪だ。
「これは……ルージュの……──」
震える私の反応に、アンバーは満足そうに目を細めた。
「ああ、没収していたあの指輪さ。返却……というよりも、新しいプレゼントって言った方がいいかもね」
戸惑う私に、アンバーは続けて言った。
「アタシがただ遊んでいただけだと思った? 研究室に閉じこもっている間にね、その指輪の魔術を薬品で書き換える研究をしていたのさ。ちょうど野薔薇祭の時期でよかった。お陰で色々と試せたよ。ニオイからしてきっとそうだと思っていたけれど、薔薇で出来た薬がよく効いたんだ。お陰で、この指輪の役目も若干変わった」
「変わった?」
「ああ、この指輪はさ、あんたとルージュを引き寄せるものだった。あんたがルージュの居場所が分かる代わりに、向こうもあんたの居場所が分かる。しかも、満月の日限定で、左手の薬指に嵌めた時ってなっていたね。それをアタシの薬が書き換えてやったのさ。指輪を嵌めればあんたはルージュの居場所が分かる。だが、ルージュには伝わらない。それに、満月の日限定っていうケチくさい条件も取っ払ってやったのさ」
「す……すごい……そんなことが出来るなんて」
素直に感心してしまう一方で、さっと青ざめてしまった。
肉体的にも圧倒的に上で、薬品作りにもたけているアンバーが、今日からライバルになってしまうなんて。
それが少し怖くなったのだ。
せめて、銃の腕だけでも磨き続けないと。
「ただね、全てを書き換えるなんて無理だった。一部分だけだね。それに、だいぶ苦労した部分もある。居場所を分からなくするって部分がそうだ。ここだけは固く守りたかったんだろうね。術が複雑で、解ける魔法薬も全然分からなかった。だから、ちょっと強引なんだけどね」
と、アンバーは私の手を握り締めて、告げたのだった。
「奴に知られずにこの指輪を使いたい時は、必ずアタシの居る場所で使って欲しい。アタシがこの指輪をあんたの手に嵌めて、そのまま手を握り続けていれば、その間は奴には居場所がバレずに済む。そういう仕様にしたんだ。念のため、今から一回試してみよう」
「……分かった」
頷くと、アンバーは私の左手から指輪をつまみ上げ、そのまま薬指へと嵌めた。
直後、手のひらを丸めるように握り締めてくる。
その温もりにしばし心地よさを感じていると、アンバーは私に囁いてきた。
「目を閉じてみて」
言われた通りに目を閉じると、徐々に違う景色が見えてきた。
「何か見えた?」
アンバーに問われ、私は見えたままに口にした。
「馬車が見える。場所は……いばら館だ。そこに数名の人が乗り込んでいる。ルージュと、ハニーと、ベイビーと……あとは従者たちも一緒かな」
「何か会話をしているか?」
「えっと……」
耳を澄ますような感覚でその幻想を探ると、彼女らの会話が微かに聞こえてきた。
──さあ、いざ行こう。僕らのアトランティスへ。
ハニーの声だ。
「アトランティス……確かにそう言った」
そこでアンバーは納得したように相槌を打つと、私の手から指輪を外してしまった。
途端に幻想が消え、何も見えなくなる。
目を開けてみれば、アンバーは指輪を見つめながら呟くように言った。
「よし、問題ないみたいだね」
そして、指輪の方はそのまま私の手に握らせながら諭すように言った。
「安全に使いたい時は、いつでもアタシに言うといい。勿論、勝手に使うのは止めない。誘き出したいとか、何か作戦があってのことならね」
それはきっと、信頼の証でもあるのだろう。
手のひらの中にある指輪の感触を確かめながら、私は静かにアンバーに言った。
「やっぱり君はルージュとは違う」
アンバーはというと、答える代わりにそっと抱きしめてくれた。
本部にて、アンバーの武器が正式に返還されたのは、それから数日後の事だった。
いずれも没収された時のまま。
強いて言えば、手入れもこっそりしてもらっていたらしい。
誰なのかは分からないが、ピカピカのままだった。
相棒がようやく復帰してすぐ、私たちに示されたのは組合に届いた数件の依頼だった。
紹介してくれたのは、本部の受付をしているシェルだった。
満足に動く片手で依頼書をカウンターの上に並べながら、彼女は言った。
「復帰おめでとう、アンバー。ここにあるのは、中堅狩人向けと判定されたものばかりよ。初心者向けのものは新人に譲ってあげてね」
「あれ、新人がいるの? 男? 女?」
アンバーが訊ねると、シェルはにこりと微笑んだ。
「年若い男の子と女の子の二人。あなた達が遠くへ出ている間に入組式もあったの。いつか顔を合わせる機会もあるかもしれないわね」
「ふうん」
興味なさげにアンバーは流すと、その視線をようやく依頼書へと向けた。
私はというと、数ある依頼書の中でも、たった一つのものに視線が釘付けになっていた。
アンバーもそれに気づいたようで、同じ地点に目が留まる。
そんな私たちを前に、シェルは小さく笑ってから言った。
「どうやらお決まりのようね」
スッと差し出したそれは、この町から少し離れた先の、海の見える町からのものだった。
その内容は吸血鬼被害。場所は──。
「……アトランティス」
呟く私の横で、アンバーが不審そうな眼差しをシェルへと向けた。
「ねえねえ、依頼主がミエールグループの代表ってなっているけれど。これって何かの罠?」
「喧嘩腰はいけないわ、アンバー」
穏やかな口調でシェルは諭した。
「詳細も書いてあるでしょう。今回の会談でお互いに譲歩し合うという事が決まったの。この依頼もその一環よ。どうやら、アトランティスの関係者にとっても悩ましいことが起こっているみたいね」
「……ルージュではないってことか」
静かに呟く私に、アンバーはそっと付け加えた。
「あるいはわざとかもね」
けれど、そう言いつつも、私たちの関心はすでにそちらに向いていた。
「よし、これに決めた。アタシとこいつの二人で行くよ」
アンバーがそう言うと、手続きはすぐに済まされた。




