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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
いばら館の女主人

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13.命からがら

 ──何が起こったんだ。


 そんな疑問に対する答えが見えてくる前に、肩を抑えていたルージュが笑みを浮かべた。

 直後、その背後から影が蝙蝠の翼のように広がった。

 まるで空中を侵食するかのように影は伸び、やがては無数の腕のようになった。

 

 ──いけない。


 一瞬だけ足が痛み、もつれそうになったその時、再び銃声が聞こえた。

 モリオンの銃だ。

 そこでようやく私は我に返り、ダイアナの指示に従う事が出来た。


「お待ちなさい」


 ルージュの落ち着いた声と共に影が伸びてくる。

 その陰に向かって、カラスの幻影が突っ込んでいった。


「ダイアナ?」


 思わず振り返りそうになる私の頭に透かさず届いたのは声だった。


(大丈夫。ただの魔法よ。今はとにかく走って)


 ダイアナに言われた通り、私はとにかく前へと進み続けた。

 ルージュの気配はすぐ後ろにまとわりついている。

 どんな状況なのか、つい確認したくなってしまう。

 けれど、振り返ってはいけない。

 何故だか、そんな強い考えが生じ、振り返らずに前へと進み続けた。


 足は、万全じゃない。

 走り出してすぐに、ずきりと痛みだした。

 けれど、止まることは出来ない。

 動く限り、私は前へと進み続けた。

  

 どのくらい走っただろう。

 時折、モリオンが放ったと思しき銃声が響き、何かに命中する音がする。

 それが何なのか、さすがに気になり始めた頃になって、ようやく二人の味方の姿が見えてきた。


「こっちよ!」


 猫の姿をしたダイアナが跳ね、その横でモリオンが猟銃を構えている。

 再びその銃口が火を噴いた時、私のすぐ背後で何かが撃ち落された。


「走れ!」


 そう言いながら、モリオンは再び銃を構え、ダイアナは私を導くように前へと走り始めた。

 どうにかモリオンの隣までたどり着いてみれば、少しだけ息を吐くことが許された。

 その時に私はやっと後ろがどうなっていたのかを確認できた。


 ルージュの姿はもう見えない。

 薔薇の庭園は遠い。

 しかし、彼女が今もいると思しき地点は離れたこの場所からでもよく分かった。

 一瞬だけ見えたあの黒い影が渦巻いているのだ。

 蝙蝠の翼のようだったそれは、もはや別の形をしている。

 いくつもの首を持つ竜のように枝分かれしていた。

 だが、その先に延びるのは竜の頭ではない。

 手だ。

 まるで自我を持っているかのように、手はこちらに向いている。

 目玉は確認できないが、恐らくこちらが見えているのだろう。


「あれは……ルージュの力……なのか」


 足の痛みをこらえ、息を切らしながら呟く私に、モリオンは銃を構えたまま声をかけてきた。


「捕まればただじゃ済まなかっただろうね。もっとも、捕食に夢中になっている時の彼女ならば、このオレでも仕留められる隙が生まれたかもしれないんだけどさ」

「そんな事、あたしが許さないわ。いいえ、あたし以上にアンバーがね。さあ、そんなことより、二人とも、この場から離れるわよ。安全な場所まで退避。ひとまずあなた達の組合の拠点に引っ込みなさい」


 ガミガミと叱るようにまくしたてるダイアナに、モリオンは苦笑を浮かべた。


「うるさい猫ちゃんだなぁ。分かっているさ」


 そう言って、モリオンは再び銃を構えた。


「先に行ってくれ。オレは次の一発の後で追いかける。おしゃべりはその後だ」

「……モリオン」


 思わずその名を呼ぶ私に、モリオンは笑みを浮かべた。


「安心しなって。抜け駆けはしないからさ」

「カッライス。急いで。敵はルージュだけじゃないの」


 ダイアナのその言葉で、私はようやくモリオンの銃声がルージュや私とは全く違う方向へと向けられていたことを思い出した。

 ハニーの手下かもしれない。

 そんな事を思いながら、私はダイアナと共に前へと走り出した。

 しばらく走っていくと、予告通りモリオンがもう一度発砲した。

 そして、身を翻すと私たちを追いかけてきた。


「拠点まで!」


 モリオンの声に背を押される形で、私たちはただひたすら夜の森を走り続けた。

 それから会話する暇もなく走り続けてしばらく。

 ようやくたどり着いたのは、組合の拠点の一つだった。

 私がかつてアンバーと共に逃げ込んだ場所だ。

 あの日、ここにはペリドットとオニキスがいたが、今宵は誰もいない。


 飛び込むように転がり込むと、途端に足の痛みが増した。

 やはり、あの古傷のせいだろう。

 これ以上、逃げるのは限界だった。

 その苦痛をダイアナやモリオンに悟られまいと隠すだけでも精一杯だった。

 しかし、悲観はしていなかった。

 ここなら、立てこもりながら戦う事だって出来る。

 小屋の隅には非常用の武器もある。

 ある程度は有利に立ち回れるだろう。

 だが、その意気込みも、どうやら必要なかった。

 いつの間に、だろうか。

 私たちを追う者たちの気配が消えていたからだ。


「いなくなった?」


 窓からそっと窺うと、ダイアナが猫の姿のまま答えた。


「そのようね。ルージュの気配も、ハニーの気配もしないわ」


 私たちの会話を聞いて、モリオンは軽く笑った。


「愛しのルージュ様を巡る争いもお預けのようだね」


 そんな彼の軽口に、ダイアナは猫ながら不満そうな顔をして振り返った。


「暢気な事を。あたしがいなかったら、あなた達二人とも殉職していたかもしれないのに」

「カッライスはともかく、オレは──」

「いいえ。むしろ、お邪魔な男子の方が扱いも悪いものでしょう。特にハニーはルージュに興味を示す男っていうのがこの世で最も嫌いなの。怪我なく帰ってこられただけでも感謝なさい」


 つんとした態度のダイアナに、モリオンは渋々頷いた。


「ああ、分かっているさ。感謝しているよ、幸運の黒猫ちゃん」


 からかうような彼の言葉に、ダイアナは大きく溜息を吐いた。

 そのまま、モリオンの相手をするのに飽き飽きしたと見えて、窓枠へと飛び乗った。

 私と共に外の様子を窺いながら、彼女は去り際の状況を一つ一つ説明してくれた。

 ルージュとの一対一……と建前上はそうなっていたあの現場には、モリオンやダイアナの他にも、当然のようにハニーやその手下たちがいた。

 勿論、ルージュの隷属だってそうだ。

 彼らは闇夜の中で私たちの戦いの様子を窺っていたらしい。

 そして、私の一撃がルージュに止めを刺そうとしたあの時、すでにハニーたちが一気に動き出していたらしい。

 モリオンの銃声はハニーたちに向けられたものだった。

 そして、ダイアナの介入は、私の足元に近づきつつあったルージュの隷属たちを追い払うためでもあったらしい。


「……気づかなかった」


 その説明を聞いて落ち込まざるを得なかった。

 完全にあの時はルージュにばかり気を盗られていた。そのことを深く反省することとなった。


「カッライス、大丈夫?」


 ダイアナがそっと見上げてくる。


「……うん」


 頷きつつ、私はぼやくようにダイアナに言った。


「捉えどころがない。彼女らの力があまりに違い過ぎて、たまにめげそうになる」

「そうでしょうね」


 ダイアナは言った。


「もともと魔物と人間ってそうなのよ。魔女だって魔物との直接対決はなるべく避けるものなの。ほんの二千年足らずってところよ。人間が魔物に対抗できるようになったのって」

「武器のおかげ?」

「そういうこと。その発見や発明がなければ、今だって多くの人間は吸血鬼の支配下に置かれていたかもしれない」

「……今も一部は支配されているように思えるけれどね。ハニーみたいな人物だっていることだし」

「ええ、そうね。でも、彼女だって表立って正体を現すことは出来ない。相手の言葉や態度に惑わされては駄目よ、カッライス。今回だって、やられっぱなしってわけじゃないもの。その証拠に、奴ら、ここまで追って来なかったでしょう? たぶんだけど、ハニーがルージュを守ることを優先したのだと思うわ」

「それって、つまり……」

「あなたの一撃が、戦況を変えた。ルージュの表情に気づいた? あなたがあそこまで抵抗できるなんて想定外だったようよ。ハニーが介入するくらいには、彼女だって追い詰められていたってわけ」


 ダイアナの言葉に、私は少しだけ重苦しかった心が軽くなったように感じられた。


「なるほどな」


 と、離れた場所で聞いていたモリオンが口を挟んできた。


「ってことは、もしかしてオレ、その代表様に感謝すべきなのかな。最愛の獲物をしとめられずに済んだって」

「そうなるかもね」


 からかうようにダイアナは言った。

 その後も二人のやり取りを余所に、私は静かに、ダイアナの言葉を頭の中で反芻していた。

 ハニーが恐れていた。

 私の銃弾を。

 そして、ルージュを守ることを優先した。

 その意味が、少しずつ失われつつあった私の中の自信へと繋がっていった。


 ──次こそは、必ず。


 結局、その夜は、拠点に近づいてくる怪しい者はいなかった。


 ペリドットの家まで帰る事が出来たのは、それから数時間後──すっかり日も登ったあとだった。

 迎え入れたオニキスとペリドットは、特に何も言わなかった。

 ただ、「おかえり」と、祭りにでも行っていた子供を迎え入れるように言っただけだった。

 そして、二階の実験室で研究を再開させていた人間姿のアンバーはというと。


「おかえり」


 扉を開けたそばからそう言った。


「ただいま。よく分かったね」

「ニオイでね。幸い、不快なニオイじゃない。町に寄ったのかな、薔薇の香りでだいぶ上書きされているね」


 そして、アンバーはこちらを振り返った。

 腕を組み、いつもの調子で見つめてくる彼女の眼差しを受け、私はホッとした。

 と、同時に、少しだけバツが悪くなった。

 今回も失敗だった。

 そう報告するのは気が重たかった。

 だが、隠しようがない。私のこの表情だけで、結果はよく伝わったのだろう。


「忌々しい奴の血や臓器のニオイが皆無。それに、あんたのその表情からして。いつも通りかな。お疲れさん」

「君には敵わないね……」


 からかうようなその言葉に、私は苦笑するしかなかった。

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