10.荒々しい話し合い
二人の思い出が詰まった二階の大部屋。
その扉がぱたりと閉められると一気に空気が重たくなった。
不安になる暗さに、私の手がとっさに電球のスイッチへと伸びる。
しかし、アンバーは点灯を許さず、その手をぐっと握り締めた。
見れば、彼女の目は獣のように光っていた。
怒っていることがよく分かる。
それだけに怖かった。
「アンバー……」
宥めるような私の声がかえって不満だったのか、アンバーは掴んだその手を乱暴に持ち上げた。
その信じられない力に怯む私に、低い声で言った。
「何なら、このまま折ってやってもいいんだよ。そうしたら、あんたも諦めざるを得ないだろうからね」
おとぎ話に出てくる悪い狼──あるいは、それ以上に邪悪な悪人のように笑う彼女に、私は息を飲んだ。
「アンバー、落ち着いて」
「冷静になるのはあんたの方だよ」
そう言って、アンバーは私の手を引っ張った。
抵抗をすれば、間違いなく折れる。
そんな危機感を覚え、私は大人しく従った。
そして、そのまま、アンバーの使っているベッドへと上がらされ、壁へ背を付ける格好となった。
アンバーはそのまま私の体を固定するように壁へと手を突いた。
両脇を挟むその恰好は軽い固定に思えたけれど、ちょっとやそっとじゃ抜け出せない。
無理をすれば怪我は免れないだろう。
その体制のまま、アンバーは私の目を見つめながら言った。
「どうだ、動けないよな。これが、おこがましくもあんたが守ろうとしているアタシの腕力だ。フィジカルならドッゲにだって負けないよ」
「でも、今、君は……武器を持つ許可を持っていない」
「ああ、そうだね。でもさ、その武器っていうのは組合から支給されるやつだけだ。ドッゲは何者だ? そう、人間だよな。不法侵入してくるような人間は、強盗と間違われて撃たれてもおかしくはない。正当防衛が認められるだろうさ」
「……でも、逆に撃たれたら? 師匠たちだって巻き込んでしまうことになる」
不安な気持ちで心がはち切れそうだった。
それはきっと、ジルコンから聞いた話のせいもあっただろう。
ペリドットが母親であるエメラルドのような命運を辿ったとしたら、それも、私のせいでそうなってしまったとしたら。
考えただけで気がおかしくなりそうだった。
そんな私の不安を微かに感じ取ったのだろうか。
アンバーは少しだけ態度を和らげた。
宥めるように私に囁いてきたのだ。
「あんたが師匠たちを巻き込みたくないって気持ちは分かるよ」
そして、声を潜めて彼女は続けた。
「けれどね、あんた一人が犠牲になるような事じゃない。奴を狙っている狩人は他にもいるだろう」
「他って……」
「分かっているくせに。モリオンだよ。彼にも相談したらいい」
思わぬ提案に、私は戸惑ってしまった。
ルージュが絡むことに、出来れば彼の協力は欲しくない。
そんな気持ちが滲み出たのか、ついつい眼差しがきつくなる。
そんな私の背にアンバーは腕を回し、ぎゅっと抱きしめてきた。
「まあ、へそを曲げるなよ。あくまでもドッゲに襲われた時の対抗さ。二人よりも三人の方がいいだろう。なんならジルコンも愛弟子のために一肌脱いでくれるかもしれないし」
「それはどうだろう……」
と、思いかけたものの、私はふと考え直した。
「そうか、ジルコンか」
「ん、どうした?」
「いや、ジルコンの耳にもこの事を入れておいたらどうかと思ってね。彼は今でも師匠のことを思っているようだから」
「なるほど、この家のボディガードを増やすってわけか。それなら安心だ。あんたがあの人食いの誘いに乗らずに済むってわけだ」
笑いながらアンバーはそう言った。
だが、私は同意することが出来なかった。
ぎゅっと抱きしめられたまま、私は恐る恐る切り出した。
「ねえ、アンバー」
「駄目だ」
「まだ何も言っていないじゃないか」
「どうせ碌なことじゃないだろう。だから、駄目だ」
「碌なことじゃなくたって言わせてもらうよ。私、やっぱりルージュと戦いたいんだ」
「駄目だ」
「頼むよ。少しでも危ないって思ったら引き返す。逃げると決めたら絶対に無理はしない。だからさ」
「今宵は一段と聞き分けが悪いね。あの人食いに何かされて、術が薄れたってわけでもなかろうに」
「勿論だよ。だからこそ、私はルージュを何とかしたいんだ。この手で撃たないと、気が休まらない。分かっているさ、罠だって。でも、チャンスでもあるんだ。舐められているからこそ、掴み取れる勝利もあるんじゃないかって思うとどうしても」
「頑固だねえ」
溜息交じりにアンバーはそう言うと、私の体をそのままベッドへと倒してしまった。
抵抗は出来なかった。
このまま黙らされてしまうのだろうか。
暗闇の中で光るその琥珀色の目を見上げ、それでも出来る限り、私は彼女に訴え続けた。
「頼むよ、アンバー。私だって狩人なんだ。この手で未来を撃ち取らせて欲しい」
「随分と勇ましい事を言うものだね。ほんの数か月前は行方不明者になりかけていたなんてとても思えないよ」
皮肉たっぷりにそう言われ、私はとうとう目を逸らしてしまった。
「君の方が狩人としてずっと優秀な事も分かっているつもりだ」
「そうだね」
否定もせずにアンバーはそう言うと、私の頬をなぞってきた。
艶めかしいその手付きに言いようのない不安を覚えていると、彼女は抑揚のない声で続けた。
「魔物狩りの武器が発明される前の時代の歴史を覚えているかい?」
その問いに、私は少し震えながら答えた。
「……確か、魔物たちこそが世界の覇者で、かつて栄えた文明の中心だったって」
「その通り。その中にはね、人狼や吸血鬼の文明もあったそうだよ。そこではさ、君のような純血の人間──とりわけ、年若い女性はどんな存在だったと思う?」
「……家畜同然だった」
「正解」
アンバーは楽しそうに言うと、私の衣服を脱がしにかかった。
彼女のしたいままに身を委ねていると、さらに会話は続いた。
「魔物の文明の詳細については、あまり学ばなかったね。だが、各町の図書館なんかに行けば、もっと詳しい記録が読める事もあったよ。とりわけ印象深かったのが吸血鬼たちの国だね。人間たちは食用として養われていたそうだけれど、享楽的な彼らはその人間たちの血の味だけでなく美しさも求めたらしい。中には愛玩用としての取引もあったそうだよ。そんな時代が長く続いたけれど、対魔物用武器の発明により国は攻め滅ぼされ、人間たちは解放されたらしい。だが、吸血鬼たちは滅んじゃいない。ルージュもひょっとしたら、亡国の生き残りなのかもしれない。それに、あんたはその頃の奴隷の末裔かもしれない。あんたの目の色に拘るのもそこに理由があるのかもしれない。そんな時代じゃなくなって今はもうだいぶ経つけれどさ、古来、血に刻まれた特性っていうのは、なかなか覆らないものなんだ。あんただってそうなんじゃないか。結局は、吸血鬼の奴隷という性質から逃れられないんじゃないのか」
まるで問い詰めるようなその言葉と眼差しの鋭さに、私は追い詰められるように目を逸らした。
けれど、何処にも逃げ場なんてない。
結局は苦し紛れに笑みを浮かべて、空しく言い返すしかなかった。
「ひょっとしたら……人狼の国の奴隷だったかもよ。君のご先祖様が、私の先祖を今と同じように抱いて……食べてしまっていたかも」
そこで、完全に服がはぎ取られてしまった。
暗闇の中だと余計に地肌が冷える気がした。
そのために微かに震えていると、アンバーの生暖かい吐息が、胸元にかかった。
「そうかもね」
荒々しい吐息と共にそう言うと、アンバーはそのまま私に覆いかぶさってきた。
「じゃあ、ご先祖様に倣って、休憩がてらにちょっと味わわせてもらおうかな」
私はじっと目を閉じ、黙ったまま頷いた。




