8.墓参りと昔の話
ダイアナと別れると、そろそろ良い頃合いだった。
話し合いが終わっているかどうかは分からないが、とりあえず家に戻ってみようという話になり、モリオンと二人で茂みを移動した。
場所を覚えてしまえば、忘れそうにもない。
教えられたが最後、きっとしばらくの間、私はここに通うことになるだろう。
そんな事を思いながら茂みを乗り越え、ようやく開けた場所へと出てきてみれば、その先には人がいた。
「あれ、師匠?」
後から来たモリオンが驚いたように声を上げる。
そう、そこにはジルコンがいた。
ペリドットの家の裏手に当たる場所だ。母屋から少し離れたその場所には、ひっそりと墓が建てられている。
どうやら、墓参りをしていたらしい。
「……遅い。ペリドットが酷く心配していたぞ」
静かに叱るようなジルコンの言葉が真っ直ぐ私に向けられる。
だが、その間にモリオンは割り込んできた。
「ごめん、師匠。つい監視に身が入り過ぎてさ。……それよりも、話は終わったのか?」
「ああ。あいつら、二人してこの私を言い包めおってね。頭を冷やしたくて、久々にお参りに来たのだよ」
そう言ってジルコンは墓を見つめた。
私もまた墓石へと視線を向けた。
ここで過ごした数年間、ペリドットに連れられて、アンバーと三人で墓参りをした事は何度かある。
掃除をした事もあった。
しかし、埋葬されている人物に会った事はない。
私が引き取られた時も、そして、アンバーが引き取られた時も、墓の主はすでに故人だったという。
けれど、誰が埋葬されているのかという話は、簡単にだが聞かされていた。
「ここって誰の墓なんです?」
モリオンが訊ねると、ジルコンはやや不満そうに溜息を吐き、そして答えた。
「ここはペリドットのお母上──エメラルドさんの墓だよ」
そう、ここはペリドットの母の墓。
エメラルド。
その名前だけは聞いたことがある人物だ。
「なるほど、ペリドットさんの……師匠は会ったことあるの?」
モリオンの問いに、ジルコンは軽く頷いた。
「ああ。子供の頃に何度もね。私が見習いだった頃、彼女はベテランの狩人だった。ペリドットをこの場所で養いながら、恐ろしい怪物を何頭も仕留めていたよ。私の師匠とも仲が良くてね、素晴らしいパートナーだった」
ジルコンはそう言うと、ちらりと私を見つめてきた。
「お前にとっては祖母のようなものだね、カッライス。ペリドットから彼女の話は聞いたことがあるか?」
「いや……あまり」
言葉を濁す私にやや眉を顰めつつ、彼は口を開いた。
「だろうね。ならば、良い機会だ。知っておくがいい。エメラルドさんはね、ペリドットによく似た女性だった。燃えるような赤毛に、その名に相応しい色の目。今でも忘れてはいないよ。この場所を拠点に、町を脅かす魔物を何頭も仕留めていた優秀なハンターでね。同時に、監視役でもあったのだよ」
「監視?」
私の問いに、ジルコンは眉間に皺を寄せながら答えた。
「ルージュ。お前たちの心を奪ったあのおぞましい吸血鬼だ。奴はそれ以前からずっと、あのいばら館にいたのだ。いばら館で怪しげな動きを見せていてね、時折、町に近づいて人間を攫おうとした。特に子供をね。ペリドットが幼い間も何度か接近してきて、とても厄介だったと聞いている。それゆえに、エメラルドさんはこの場所で愛娘を守りながら、ルージュを追い払うという町の盾のような役目を担っていたのだ」
それは、初めて聞く話だった。
ペリドットは一言も教えてくれなかった。
母親については、すでに亡くなっていて、この墓に入っているということだけだ。
アンバーが知っているかどうかは分からないが、少なくとも私は聞いていない。
いばら館の見える丘といい、私には話す機会を失っていたのかもしれない。
「しかし、ルージュの方も当然、エメラルドさんの存在を把握していた。互いにつかず離れず。無駄な争いを避けるような関係も続いたという。だが、ある時、エメラルドさんはルージュと交戦した。ルージュが何処からか攫ってきた幼い女の子を連れ去ろうとしているのを目撃し、保護するために戦ったらしい。ペリドットや私、それにオニキスなんかが、狩人の見習いになった頃のことだった。たまたま一人きりで狩りに出た先でのことだったようだが、どうしても見殺しに出来なかったのだろう。結果、エメラルドさんは見事、その女の子を救出して小屋まで戻ってきたのだ。だが、その体はボロボロだった。……ああ、忘れもしない。私やオニキスが、当時世話になっていた師匠と共に、ちょうどペリドットを訪ねてきていた時だったのだよ」
それは、ペリドットにとってはきっと、思い出したくもない悲劇だったのだろう。
「師匠はすぐに、エメラルドさんのために町医者を呼んだ。けれど、手の施しようがなかった。身を挺して救った女の子は無傷でね、今も元気に町で暮らしている。それだけが救いだった。けれど、これにより、ペリドットは孤児となり、彼女もまた私たちと同じ師匠の下で育つこととなったのだ」
その年頃は、私がアンバーに出会った頃と同じくらいだったようだ。
──師匠……。
自らの少女時代を彼女はあまり語ったことがない。
母との別れを思い出すのが嫌だったからなのかもしれない。
そういうことをふと考えてしまった。
「エメラルドさんは正義感の強い女性だった。だが、それ故になのか、我が身を顧みないところがあった。それこそが彼女の命を奪う事となったのだ。ペリドットにもそういう部分がある。彼女を見ていると、在りし日のエメラルドさんのようで不安になる。人狼の赤ん坊を毛皮にすることに反対して自分が引き取ると言い出した時も、ルージュの囲い子を孤児院に送ることに反対して自分が引き取ると言い出した時も、自分の事なんて後回し。その姿が眩くも恐ろしかった。彼女も、自分の母親のように、早死にしてしまうのではないかと……」
ジルコンは呟くようにそう言うと、額をぎゅっと抑えた。
「……余計な話をしすぎたか。モリオンよ、そろそろ町へ戻るぞ」
「は、はい」
モリオンが先に歩みだすと、ジルコンはその後を追うように振り返り、ふと私の前で足を止めた。
冷ややかともいえる眼差しが、私を睨みつけてくる。
彼は小声でそっと告げた。
「よいか、これ以上、ペリドットを悩ませるな。自分の力量を見定め、確実に仕留められる獲物だけを狙うのだ」
イライラしたような口調だったが、間違ったことは決して言っていない。
返す言葉もなくただ肩を竦めていると、ジルコンはそのまま、モリオンと共に立ち去っていった。
一人残され、私はふと墓へと目を向けた。
エメラルド。
ペリドットの母親であるということ以外はあまり知らなかった。
けれど、今となってはだいぶ変わって見えた。
ここで、ジルコンは何を思いながら立っていたのか。
彼が私やアンバーに冷たい理由もはっきりと見えてきた気がした。
しばらくしてから家に戻ると、ペリドットとオニキスは少し心配そうに出迎えてくれた。
そんな二人に対し、私は何も言う事が出来なかった。
いばら館の見える丘の事、ジルコンから聞いたエメラルドの事。
あらゆることを、ペリドットに話したかった。
けれど、ペリドットの具合や、それを気遣うオニキスの姿を見ていると、口を閉ざしてしまうのだ。
結局、私は逃れるように二階へと行った。
二階では、アンバーが休憩していた。
実験に飽きたのだろう。
何故か私が使う方のベッドに横になっていた。
「ベッド、交代する?」
声をかけると、アンバーは気怠そうに起き上がった。
「ずいぶんと遅かったじゃないか。デートは楽しかったかい?」
「そんなんじゃないよ」
答えつつ、私はアンバーの横へと座り、深く溜息を吐いてから切り出した。
「いばら館を見てきた。本当に一望できたよ」
アンバーは何も答えなかった。
「私さ、初めてその場所を知ったんだ。不思議だよね。森の中をあんなに駆け巡ったのに。しかも、この家からそんなに離れていないんだよ。茂みを超えたらすぐに、裏のお墓があった。お墓だよ、師匠のお母さんの。エメラルドって名前だったよね。ジルコンからちょっとだけ彼女の話も聞けたんだ」
「色々収穫があったわけだ」
どこかぶっきらぼうな様子でアンバーは言った。
そんな彼女の不機嫌さに怯みつつも、私はそっと訊ねた。
「ねえ、アンバー。君はどのくらい知っていたの?」
すると、彼女は壁に寄り掛かり、目を逸らしたまま答えた。
「師匠のお母さんの話はあまり知らない。ふうん、そう。ジルコンがね。もしかして、アタシらにあたりが強い理由でも分かった?」
「……少しはね」
私の答えに、アンバーは分かっていたといわんばかりに頷いた。
そんな彼女に、私は惑わされまいと確認した。
「で、いばら館の方は?」
すると、思っていた通り、アンバーは少しだけ戸惑いを見せた。
「知っていたの?」
私が訊ねると、アンバーは答える代わりに大きな溜息を吐いた。
そして、開き直ったようにじっとこちらを睨みつけてきた。
「ああ、知っていたよ。あんたがここへ来る前からね。あの場所には怖い吸血鬼がいるから気を付けろって言い聞かされていたんだ。あんたがここに来てからも、こっそり行ったことがある」
「どうして……教えてくれなかったの」
「教えられるわけないじゃない。だって、教えたら、あの頃のあんただったら、いばら館を目指して家出しちゃっていたかもしれない」
「来たばかりの頃だったらね。でも、その後は違う。違ったのに」
「嫌なんだよ。あの館は」
アンバーの声に震えが生じた。
「あの館にあんたを近づけるのが嫌なんだ。アタシの術は完璧なはずだ。今だってきちんと守っているはず。だけど、いばら館はあんたの生家でもある。奴との……ルージュとの妙な絆が、アタシの術を歪めてしまうかもしれない。そう思うと不安なんだ」
「そんなこと……」
ない、と言いたかったが、言わせないような気迫と共に、アンバーは迫ってきた。
あっという間にベッドに押し付けられ、身動きが取れない。
そのまま彼女は私に言った。
「ないって言いたいだろう。でもさ、あんたは指輪を持たされていたんだよ。いつの間にか、アタシに内緒で。術にかかっているはずなのに、主人であるはずのアタシに内緒で」
悲鳴のようなその言葉に、私もまた戸惑ってしまった。
確かに、そうだ。
私の主人はアンバーだったはずなのに、指輪を捨てることが出来なかった。
指輪の存在自体をアンバーに話すことも出来なかった。
秘密にしていられたのは何故だろう。
そして今もまた、あの指輪の事を思ってしまうのは。
ルージュの指輪は、今も返してもらってはいない。
もしかしたら、アンバーは捨ててしまったかもしれない。
だとしても、アンバーを恨むことなんて当然ながら出来なかった。
けれど、それと同時に、指輪の事を忘れるということもいまだに出来なかったのだ。
「……アンバー」
私たちの間には、常にルージュの影がある。
こんなにも、アンバーの事を愛しているはずなのに。
心が苦しくなってくると共に、古傷が少しだけ痛んだ。
足だ。
月光の城で傷つけられた場所が疼いている。
まるで、ルージュがあざ笑っているかのように痛みが生じる。
けれど、その痛みこそが、私を少しだけ冷静にしてくれた。
「だからこそ、仕留めたいんだ」
私はアンバーに言った。
「彼女をこの手で仕留めてしまえば、きっと私たちは解放されるから」
強い決意のつもりだったのに、結局、震えは止まらず、目からは涙がこぼれてしまう。
そんな私をアンバーは、獣のような目で見下ろしていたが、やがて溜息交じりに私の涙をぬぐうと、静かに口づけをしてきた。




