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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
吸血鬼の愛し子
12/133

12.奇跡の生還

 夜の森を彷徨い続けた果てに、アンバーに導かれながら辿り着いたのは、大岩と木の根の間に自然に出来た洞の中だった。

 そこには、いつもアンバーが着ている衣服や複数の武器が隠されていた。

 どうやらこちらに向かっている途中で満月の日になり、脱ぎ捨てたらしい。

 その時間もあと少しで終わる。


 月はとっくに沈み、空では星だけが輝いていた。

 あとは日の出を待つだけ。

 空が明けたらアンバーの姿はもとに戻る。

 その時を静かに待ちながら、私は心身の疲れを癒していた。

 まだ狼の姿のままでいるアンバーにぎゅっと抱き着いて、沈黙を続けていた。

 そんな私に対し、アンバーは静かな声で話しかけてきた。


「傷は痛まないか?」


 黙って首を振ると、アンバーはホッとしたように息を吐いた。


「なら良かった。でも、拠点についたら手当をしなくてはね。奴につけられた傷も、ガラスの傷も、そして──私が噛んだ傷も」


 狼ながら苦い顔をして呟く彼女の言葉に、私はふと気になって先ほど噛まれた左手をじっと見つめた。

 噛み傷はしっかり残っている。

 意識するとじわりと痛むが、それよりもガラスで切った傷の方が痛む。

 どうやら、ルージュにつけられて塞がりかけていた傷も、また広がってしまっているらしい。

 傷の数なんて数えてもきりがない。

 今は敢えて意識せずに忘れた方がいいだろう。

 そうは思ったのだが、ふと気になって、私はアンバーにそっと問いかけた。


「噛んだのも……何かの術だったの?」


 すると、アンバーは目を逸らしつつ肯いた。


「そうだよ。これも本にあった。操りの唄が紹介されていたのと同じやつにね。これは……の牙って書かれていた」

「何の牙?」


 よく聞き取れず問い返すと、アンバーは私の目を見つめてきた。


「主従の牙だ」


 その名前に異様なものを感じ、私は黙り込んでしまった。

 思い返すまでもなく、あの時の私はアンバーの命令に従っていた。

 ルージュの呪縛から逃れられたのは、別の優先すべき号令が下っていたからなのか。

 そう思うと合点がいき、それだけに怖さを感じてしまった。 

 じっと噛み傷を見つめていると、アンバーは詫びるような声で私に言った。


「この力を使えば、獲物は喜んで胃袋に入ってくれる。支配欲と食欲が満たされるから、多くの人狼が狩りの時に使うんだってさ」


 そして、弁解するように続けた。


「あんたに使う気はなかったんだよ。知識として知っていただけなんだ。だけど、これしか思いつかなかった。あの時のあんたの目は異様だった。真っ青な目がまるで赤く光っているように見えたんだ。奴と同じ赤に。こうしないと、あんたを取られると思った。だから、使ってしまった」


 アンバーは肩を落とした。

 罪悪感を覚えていたのだろう。

 けれど、その噛み傷を見つめる私に生まれた感情は、決して怒りなどではなかった。


「この力……一時的かもしれないけれど、ルージュの命令を弾いてくれた」


 淡々と呟く私の顔を、アンバーは見上げてきた。


「弾いた?」


 問い返す彼女に、私は強く肯いた。


「私一人だったら彼女の命令に逆らえなかった。連れ戻されていたと思う。だから、謝らなくていいよ。それに、どうやらこの力も……長く続くわけじゃないみたいだし」


 傷は全く治っていないものの、アンバーに従おうという気持ちはすっかり薄れている。

 どうやら、吸血鬼の秘術のような強力かつ凶悪な力はないらしい。

 一瞬だけ光が見えたような気がした。

 本当に一瞬だけではあったけれど。

 そんな私に対し、アンバーは言った。


「役に立ったのならよかった。……だが、そう聞くとますます不安になる。奴に何をされたんだ、カッライス」


 真っすぐ問いかけられ、私は答えに詰まってしまった。

 言うべきか否かで考えるならば、間違いなく言うべきだろう。

 それでも、攫われた後のことを赤裸々に語る覚悟がその時の私にはまだなかった。

 思い出すことが自体が怖く、頭に制御がかかってしまう。


「……ごめん、その話は……そのうちに」


 力なくそう言うと、アンバーは静かに頷いた。


「分かった。それまで待つよ。だが、一つ確認しておきたい。つまり、今のあんたの心身は、奴の命令に逆らうことが難しいってことだね?」


 観念して肯くと、アンバーは静かに体を摺り寄せてきた。

 温かい毛に包まれ、ほんの少しだけ心細さが解消された。


「なるほど、覚えておこう」


 アンバーは言った。

 そして、外の様子を少しだけ窺ってから、続けた。


「奴の気配はしない。アタシたちの事を完全に見失ったらしい」

「良かった……」


 ホッとする一方で、私の不安は全く消えなかった。

 今はいい。

 でも、この先はどうだろう。

 ルージュが諦めるなんてことがあるだろうか。

 いつかまた迎えに来たとしたら、その時は自分の力で抗うことが出来るだろうか。

 考え込む私に、アンバーがさらに声をかけてきた。


「朝が来たら出発しよう。それまで寝ていてもいい」

「拠点は近いんだっけ」

「わりと近くだ。コンシールを狩る前に立ち寄ったあの小屋さ。あそこに師匠がオニキスと一緒に待っている。そこまで戻ればもう安全だろう」


 彼女の言葉に頷いて、私は黙り込んだ。

 戻った後の事は考えてもきりがない。

 だが、不安をこらえているうちに、ふつふつと私の中で別の感情が沸き起こり始めていた。

 このままずっと一方的に怯えているだけなんて嫌だ。

 何としても抗いたかった。

 そのためには、どうしたらいいのか。


「もう朝か」


 アンバーが呟いた直後、日の光が隙間から差し込んできた。

 抱きしめていた狼の毛が消えていく。

 代わりに現れたのは、マントを羽織ったいつもの彼女の姿だった。

 ほぼ裸のその姿では寒かったのだろう。

 震える彼女を私は改めて抱きしめた。

 すると、アンバーは静かに笑い、私の頬に手を添えてきた。


「そういえば、助けてやったお礼をまだ貰っていないね」

「……何が欲しい?」


 問い返すと、彼女は私に唇を重ねてきた。

 求められるままに応じてしばらく、満足したのかアンバーは唇を離し、私を抱き寄せながら言った。


「続きは帰ってから貰うよ」


 その後、アンバーが着替え終わると、私たちはすぐに洞の外へと這い出した。

 ルージュは姿を現さない。

 本当に私たちの事を見失ったのだろう。

 それでも慎重に行動するに越したことはない。

 アンバーが持ってきてくれた拳銃を手に進む間、私は始終祈り続けていた。

 どうか、ルージュと鉢合わせにならないようにと。


 勿論、森林に潜む敵はルージュだけではない。

 猛獣やその他魔物もいる。

 通常の武器で対処できる獣はともかく、魔物は魔物であるだけで厄介だった。

 けれど、アンバーと二人で進んでいる間に、狩人を目指して訓練していた時の感覚がだいぶ戻ってきた。

 私たちの目的は帰ることだ。殺すことではない。

 その事を胸に慎重に進んでいきながら、私は次第に心の中で決意を固めていった。

 今後、アンバーはともかく私も組合に入れて貰えるかは分からない。

 それでも、もし、一人前の狩人になれたとしたら──対魔物用弾丸を扱うことが認められたなら、その時こそ立ち向かわねばならない相手がいる。


 ──ルージュ。


 それは、ただただアンバーへの対抗心から狩人の修行に身を投じていた時とは違う、明確な目標だった。


「見えてきたぞ」


 アンバーがようやくそう言った時、太陽はすでに高く昇っていた。

 見覚えのある小屋が視界に入ると、一気に緊張が抜けてきた。

 それまで不気味に思えた周囲の世界が、突如として馴染みのある世界へと変わったように思えた。

 急いで小屋へと走り、その扉を叩くと、オニキスが応対した。

 私たちの姿を見ると、彼はすぐに目を丸くした。


「こりゃ驚いた。本当にやり遂げるとは」


 そう言ってから私たちを中に入れると、周囲を警戒しながら扉を閉めた。


「ペリドット、二人が帰ってきた」


 オニキスが小屋の奥へと声をかける。

 その声に反応して、小屋の奥──寝室からペリドットは自ら歩いてきた。

 杖を突いてはいたし、撃たれた足は引きずっていたが、表情はしっかりしていた。


「カッライス……」


 彼女は私を見るなり目を丸くした。


「──すまなかった」


 表情を濁しながら謝ってくる彼女を見ると、涙があふれてきた。

 すぐに彼女のもとへと駆け寄り、私もまた必死に謝った。


「師匠……ごめんなさい、私のせいで足が……」

「君のせいじゃない。教え子を守れなかった罰だよ。吸血鬼の執念深さを甘く見ていた罰でもある。よく生きて帰ったね」

「アンバーが助けてくれたんだ。全部、アンバーのお陰なんだ」


 認めてしまえばもう、嫉妬なんて湧かなかった。

 助けてもらった事への感謝しか浮かばなかった。

 だから、私はペリドットに言ったのだった。


「ねえ、師匠。アンバーはもう十分立派だよ」


 その一言で伝えたいことは伝わったのだろう。

 ペリドットは私の肩にそっと手を置くと、隅で様子を見ていたアンバーを手招いた。

 そして、教え子二人が並ぶのを待ってから、ペリドットは改めて言った。


「アンバー、カッライス。無事に帰って来てくれて本当に良かった。知っての通り、吸血鬼に攫われた者を助ける狩人はいない。そして、吸血鬼に囚われた後に自らの足で逃げられる狩人もなかなかいない。それなのに、君たちは二人揃ってここまで帰って来ることが出来た。自分たちの判断で生還することが出来た。その大きな成果を無視することなんて当然出来ない。──だから」


 一度息を吐いてから、ペリドットは私たち二人に告げたのだった。


「二人とも合格だ」

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