7.懐かしのいばら館
一階に降りてみれば、ペリドットたちの話し合いはだいぶ難航しているようだった。
外に出てくるという私たちにはさほど構うことなく、重い話を続けるようだった。
どちらかといえば、ジルコンをどう言いくるめようかとペリドットとオニキスの二人で模索しているようにも思えたが、いずれにせよ私やモリオンが出る幕はないのだろう。
ともあれ、外に出てみれば、空気の軽さに驚いた。
それだけ家の中の空気が張り詰めていたのだろう。
しかし、解放的な気分に浸れたのも束の間のこと、モリオンと共に歩いているうちに、一瞬だけピリッと膝が痛んだ気がしたのだ。
──気のせい……かな。
幸い、痛みはすぐに引き、何事もなかったかのように静まった。
その間、まるで自分こそがここで生まれ育ったかのようにモリオンは進んでいった。
そんな彼に続いて歩き、数分も経たないうちに、その場所には到達した。
木々と茂みに阻まれたその先。
ただの崖とばかり思っていたそこからは、なるほど確かに、がけ下に広がる森林が一望でき、その先には、いばら館の姿もしっかりと監視できた。
──懐かしい。
真っ先に浮かんだのはそんな感情だった。
ペリドットに引き取られるより前は、あの場所こそが私の住まいだったのだ。
小さな頃は嫌な思い出なんて一つもなかった。
しかし、今となってはあの姿は、物々しさすら感じてしまう。
何故ならあの場所で、私は永遠の自由を奪われてしまったのだから。
スコープを覗いてみれば、辛うじて窓から内部も確認できる。
いずれも人の気配はない。
ルージュが中にいるとしても、迂闊に窓辺に近づいてきたりはしないだろう。
「……知らなかった。こんな場所があったなんて」
衝撃を隠しきれずにそう言うと、モリオンはスコープを下ろして小声で言った。
「ペリドットさんが知らないわけないし、きっと教えるタイミングを逃したんだろうね」
確かに、引き取られてすぐに、ここを教えるなんてことはあり得なかっただろう。
今では考えられないけれど、保護された当初、私は組合の狩人たちを恨んでいたのだ。
大好きな母親でもあったルージュから引き離された自分の事を不幸だと信じてすらいたのだ。
どうやら、そうではないらしいと理解できたのは、アンバーと共にあの家で過ごすようになってから少し経ってからだ。
「アンバーは知っていたのかな……」
「さあね」
そう言いながらモリオンは再びスコープを覗く。
どうにかしてルージュの姿を確認できないか、その必死さが少しだけ窺えた。
「で、モリオンはどうして知っていたのさ」
「オレ? オレは師匠に教えられたからだよ」
「ジルコン……さんに?」
「ああ。この近くで狩りをした時なんかにね。──おや、誰か来たね」
と、モリオンの言葉に、私もまた慌ててスコープを確認した。
彼の言う通り、確かにいばら館に車が止まった。
見計らったかのように建物の中から誰かが出てくる。
「ベイビーだ」
「……あのお人形さんか。で、車から出てきたのは……ああ、ミエールグループの代表様だ」
車から降りたのはハニーで間違いない。
他にも顔色の悪い従者たちを引き連れて、ベイビーと何かを話しながら建物の中へと戻っていく。
堂々たるその振る舞いは、まさに館主のそれだった。
「今のいばら館はミエールグループが所有しているんだったね」
「そうさ。だから、昔と違って勝手に踏み込めない。まあ、表向きはね。誰かが攫われでもしたら話は違ってくるだろうけれど、向こうも向こうでそれは分かっているだろう。だから、そう簡単には目立った行動なんてしないだろうね。隙を窺って中に侵入するってことは出来ないものか……」
モリオンが呟くようにそう言った時だった。
「やめておいた方がいいわ」
「わぁっ!」
突然背後から聞こえたその声に、モリオンが驚いてスコープを落としそうになる。
振り返るとそこには、小さな獣がいた。
猫だ。
黒猫だ。
「なんだ、ダイアナか」
モリオンの言葉に、ダイアナは猫ながら呆れたような表情を見せた。
「なんだ、じゃないでしょう。ちゃんとした組合の狩人のくせに、アタシの接近にぎりぎりまで気づかないなんて」
「そりゃあ、君、ただの子猫ちゃんじゃなくて本物の魔女だからな。魔女と人間じゃ流石に不利すぎるよ」
「そんな言い訳、ルージュには通用しないわよ」
ダイアナはそう言うと、とことこ歩いて私たちの前にちょこんと座った。
「それよりも、あなた達、ちょうど一緒にいてくれてよかった。さっそく報告よ。ハニーと組合長のお話に、今のルージュの様子についてよ」
「モリオンもすっかりお客さんなんだね」
私の言葉に、ルージュはどこか澄ました表情を返してきた。
「そりゃあ、報酬次第ってところよ。あなた達のどっちがルージュを仕留めたって、あたしは構わないもの。ただし、どっちであろうと逆に仕留められてしまうのは困るわ。気分も悪いし、寂しいし」
ダイアナはそう言うと、私たちを睨みつけるように言った。
「というわけだから、いばら館に忍び込むのは反対しておくわ。あなた達の師匠や組合の人達に迷惑をかけたくないなら絶対に止めなさい」
まるで保護者のようだった。
「分かっているさ。だから、情報を求めているんじゃないか」
モリオンは言った。
「で、愛しのルージュ様はどうしているんだい?」
「いばら館に引きこもっているようね。昨日は狩りをしようとしていたようだけれど、今日はずっとあの建物の中から移動していないみたい」
「ハニーの方は?」
私が問うと、ダイアナは長い尻尾を揺らしながら答えた。
「こっちの動きはだいぶ怪しいわね。もしかしたら、恋人が外出しないで済むように取り計らっているのかもしれないわ」
「なるほど……」
ルージュが外に出ないよう、吸血鬼の栄養になる何かしらを手配している。
そう考えると自然だった。
同時に、私にとってはあまり良くないことでもあった。
仕留めるチャンスは、なかなか生じないかもしれない。
「たぶん、だけど」
と、ダイアナは付け加えるように言った。
「あなた達のボスとの話し合いもだいぶ影響していると思うの」
「うちの組合長と?」
モリオンの問いに、ダイアナはこくりと頷いた。
「会談自体はまるで見えない銃口を突き付け合っているかのようだったわ。それぞれの従者も伴って、地獄のような空気が流れていた。ハニーの方はアンバーの身柄を巡ってだいぶ踏み込んできたの。人狼であるという噂を突っぱねるのに良い方法がある。満月の夜にドッゲに会えばいい……なんて、まるで味方につくような言いぶりでね。勿論、そんな事出来っこないから、組合長は呆れたふりをしつつ、逆にルージュのことでハニーに探りを入れていた。あっちはあっちでハニーの事になると分が悪い。流石に、ハニーを堂々と庇うなんてことはミエールグループの代表様でも出来ないようだから。それで結局は相討ちみたいになって、その場は解散になったってわけ」
「なるほどね」
私はそう言いつつ、スコープからいばら館を覗きながら続けた。
「つまりは、アンバーが鳴りを潜めなきゃならないように、向こうも鳴りを潜めなきゃならないってわけだ」
「まあ、そういうことね」
となれば、今は表立って動くべき時ではなさそうだ。
歯痒い思いを感じつつも、私はスコープを下した。
「引き金に手をかけるのは今ではない、か」
呟く私の横で、モリオンもまた大きく溜息を吐いた。
「……だが、必ずあの館を去る日は来るだろうさ。行き先はミエール城かもしれないし、ミエールグループの経営する高級リゾートのいずれかかもしれないね」
「どっちにせよ、見張り続けるしかなさそうだね」
私の言葉に対し、ダイアナが猫なりに姿勢を正した。
「まあ、そちらはあたしに任せて頂戴。けれど、カッライス。あなたは特に、相談が必要でしょうね」
「……相談?」
「愛しのオオカミさんのことよ。謹慎中なんでしょう? もしも、ルージュたちが先にこの地を離れたらどうするつもり? 置いていくのか、いかないのか」
私は黙り込んでしまった。
謹慎が解ける前に、ルージュがこの地を離れる。
そういう未来も当然あり得る。
彼女らを追って、私がここを旅立つ権利を阻止できる者は誰もいないだろう。
ただ一人、アンバーを除いては。
「確かに、相談が必要かもね」
その事を思うと、今から胃が痛くなってしまった。




