6.気まずい来訪者
予告通り、ジルコンは昼前にモリオンを引き連れてペリドットのもとを訪れた。
手土産を用意し、なかなか丁寧な態度で入ってきたものの、私やオニキスに対する態度はあまり良いものとはいえない。
ましてや、二階に避難しようとしていたアンバーの姿を見るやいなや、あからさまに嫌な態度をとったものだからさっそく胃が痛くなってしまった。
モリオンがうまく機嫌を取りながらそっと目配せすると、アンバーはどこか不貞腐れた様子で二階へと消えていった。
後を追いたくなる気持ちをぐっとこらえて、私は隅で大人しくすることにした。
──なんで私も……。
そんな気持ちでいっぱいだった。
なるべくその場にいたくなかったので、ひとまず私はさりげなく奥へ引っ込み、皆の分の茶を用意したり、ジルコンの持ってきた手土産を開封したりする役目を率先して請け負った。
手土産は、野薔薇祭の市場で買ったと思しき菓子だった。
どうやらハーブが使われているようで、恐らくいずれもペリドットの健康を気遣ってのものだっただろう。
モリオンがそっと口にしていたことを思い出し、菓子を皿に盛ったあとで、そっとジルコンを振り返ろうとした。
と、そこへ、モリオンがやってきた。
「オレの師匠がすまないね」
「いいよ。愛弟子君のせいじゃないし」
多少の皮肉も込めてそう言うと、モリオンは苦笑しながら手伝ってきた。
「前もちらりと言ったけどさ、師匠はペリドットさんの事を昔から気にかけていてね。だから、今回も彼女が倒れてから気が気じゃないみたいで……」
そっと小声で彼が弁明してきたところで、背後からジルコンの大声がした。
「若造ども。早くこっちへ。話を始める」
急かされるままに私たちは茶と皿を運び、そのまま席へとついた。
すぐに口を開いたのは、勿論、ジルコンだった。
「前置きなく始めよう。ペリドット。顔色も特に悪くなさそうでよかった。倒れたと聞いた時は、心配したものだから。何でもなくて本当に良かった」
「ご心配をおかけしたね。でも、見ての通り、復帰も見えてきたくらいだ。愛弟子にも再会できて、むしろ良い急速になったよ」
「愛弟子、ね」
ジルコンはそう言って茶を飲むと、カップをことりと置いてからじっと私の方へと視線を向けてきた。
「それが、そちらのお嬢さんだけであるならば何も言うまい。多少、己の力量を見誤りがちなところに目を瞑るならばね。いずれにしたって、生粋の人間なのだから何も言うまい。だが、二階にいるあの魔物は別だ」
「……師匠」
そっと咎めるようにモリオンが囁くも、ジルコンは聞く耳を持たなかった。
「そもそも、私は初めから反対だったのだ。人狼は魔物だ。子供であろうとそれは変わらない。魔物は人間と共には暮らせない。どんなに人が育てるなど、不幸しか生まれない。だから、私は反対だったのだ。後々皆が苦しむくらいならば、いっそのこと赤ん坊のうちに──」
「話というのはそれだけなのか、ジルコン」
ペリドットが遮るように問いかけた。
その眼差しの敵意に気づくと、ジルコンは大きく溜息を吐いてから首を振った。
「無論、過去の事ばかりではないさ。将来の事だ。ペリドットよ、そこの愛弟子を思うならば、かの人狼の狩人ごっこを辞めさせよ」
ジルコンは、はっきりとそう言った。
「今更『殺せ』などとは言わん。そこまで私も心を失ったりしていない。だが、これ以上、狩人なんて真似をさせてはならない。武器を持たせるだけでも警戒する者はいるだろうよ。仮にかの魔物が武器を持ったまま組合を離反したならば、この件を黙認してきた全員が担うことになる。特に、ペリドット、お前に圧し掛かる責任は重たいだろう。憐れな境遇の愛弟子にまで、その業を背負わせるつもりはあるまい」
ジルコンの目が私の方へと向く。
その眼差しに、私への慈悲があるわけでもない。
ただ単に利用しているだけだ。
そう思わざるを得ず、さすがに不快だった。
「お言葉だけれど、ジルコンさん。アンバーは──」
思わず反論しそうになったところで、ペリドットが口を開いた。
「支給された武器を持っての離反は、誰であろうとその責任と罰を逃れられない。それは、アンバーが人間であろうと人狼であろうと変わらないことだよ」
ペリドットはそう言うと、深く溜息を吐いてからさらに言った。
「話の雲行きがどうも悪いね。どうだろう、ジルコン。ここからは私たちだけでじっくりと話し合わないか。アンバーが赤ん坊だった頃を知っている世代の者たちだけで」
睨みつけるような彼女の隣で、オニキスの方は落ち着いた様子でジルコンを見つめていた。
そんな二人の眼差しを受けつつも、ジルコンはどこか超然とした様子で茶を飲み、そして、モリオンに言った。
「モリオン、少し席を外しなさい」
意外なまでに優しい声色だった。
彼が無言で立つと、私はペリドットと目配せをしてから、遅れて席を立った。
モリオンを何処へ通すか迷ったものの、モリオンの方が二階へ続く階段に興味を示したので、そのまま二人で上がっていった。
沈黙の中、二階へと上がると、ペリドットたちの声が遠ざかり、ようやく私たちは小声で話す事が出来た。
「本当に悪いね、うちの師匠が」
「モリオンのせいじゃないよ」
今度ばかりは皮肉を言う元気すら残っていなかった。
「アンバーはどこに?」
モリオンに問われ、指し示したのは、二階の奥にある臨時研究室だ。
扉は閉じられていたが、薬品のニオイが微かにする。
ノックをしてから扉を開ければ、さらにそのニオイは強まった。
「すごいね。立派な研究施設だ」
モリオンが感心したように言うと、中にいたアンバーが背中を向けたまま言った。
「何なら、協力してくれたっていいんだよ。若い男の被験者がちょうど欲しかったんだ」
「遠慮しておくよ。この生業、体が最も大切な資本だからね」
苦笑するモリオンに、私は言った。
「もっと言ってやってよ。私だって好き好んで被験者をやりたいわけじゃないんだ」
「訓練だよ」
アンバーは笑いながら言った。
「悪い狼に騙されないための訓練」
そう言って、アンバーは笑ったものの、すぐに気分が落ちたのか背を向けてしまった。
「……で、何か用?」
素っ気ない様子の彼女に対し、モリオンが一歩前へと出た。
「顔を見に来たのさ」
「そうは見えないけれどね」
アンバーがそう言うと、モリオンは苦笑しつつ答えた。
「さすがに鼻が利くね。ああ、実はそれだけじゃないさ。ちょっとの間、君の恋人をお借りしたくてね。許可をもらいに来た」
「え?」
初耳だ。
思わずモリオンの顔を見るも、彼の黒い目はアンバーの姿しか見ていない。
アンバーはというと、呆れ果てたように溜息を吐いてから、静かに答えた。
「わざわざアタシの許可を、ね」
「そうしないと、あらぬ誤解を招くだろう? 少し隣を歩いただけでも、オレのニオイが少しは残るだろうからね。それで下手に因縁を付けられるくらいならば、最初から説明しておいた方がいい。そうだろう?」
モリオンの言葉に、アンバーはちらりと振り返ってきた。
「何処へ行く気?」
「いばら館さ」
モリオンの短い答えに、アンバーの表情が険しいものになる。
その目つきだけで、不快に思っている事がよく分かった。
だが、モリオンはすぐに付け加えた。
「言っておくが、近づいたりはしない。ここからそう遠くない場所から一望できる場所があるのさ。……君たちは知っているかもしれないが」
ちなみに、私は全く知らなかった。
近隣の森は庭のようなものだと思っていたはずなのだけれど。
しかし、私よりもさらにここをよく知っているアンバーは違ったのだろう。
納得したような眼差しで、彼女は再び溜息を吐いた。
「行ってくればいいさ。アタシに構わず」




