4.いばら館の吸血鬼
ベッドの中に引きずり込まれ、組み敷かれる形で私はアンバーを見上げていた。
抵抗が出来ない。
閉塞感の中で震えていると、アンバーは穏やかな口調で語りかけてきた。
「よく聞きなよ。アタシが謹慎中っていうのは、奴も当然分かっているだろう。となれば、しばらく何があっても、助けに入る事は出来ない。あんたは二度も捕まった。捕まりかけた分まで合わせればキリがない」
「……分かっている……つもりだよ」
「つもりじゃ、駄目だ。次にまた捕まれば、今度こそ駄目かもしれない。今回はあの人食い女もいるんだ。だから、アタシの謹慎が解けるまで傍にいて欲しい」
アンバーの手に力がこもると、私はもう抜け出せなかった。
もしもこのまま命じられれば、アンバーの希望通りとなるだろう。
けれど、アンバーは命じたりしなかった。
ただじっとその琥珀色の目で、私を見つめているだけだった。
それでも、私はその目が怖かった。
少しでも気が変われば、自由が奪われるという緊張感に震えてしまった。
その震えが伝わったのだろう。アンバーはそっと私の目を覗き込んできた。
「……震えているね。アタシのこと、怖い?」
嘘を吐くすら出来ずにただ頷くと、アンバーは静かに笑って、私の体を解放した。
起き上がると古傷がずきりと痛んだ。
ルージュに新しくつけられ、後にアンバーの手で取り消すように傷つけられた胸元の傷だ。
その痛みを誤魔化すように手で抑えつつ、私はそっとアンバーに言った。
「無茶はしない。約束するよ」
「……ホントかなぁ?」
「本当だよ。いばら館のことも、ただ見張るだけだ。危なくなったらすぐに引き返す。だからさ──」
と、言いかけたところで、ふと窓辺から物音がした。
見れば、そこには生き物の影があった。
猫だ。
黒猫だ。
「ダイアナか」
アンバーが溜息交じりにその名を呟く。
私はそっと近づいて、窓を開けてやった。
ダイアナはするりと入ってくると、大きな溜息を吐いた。
「はあ、疲れた。長旅だったわね」
そう言って、猫の姿のまま、うんと背伸びをすると、幼い頃に私たちが使っていた机の上のぴょんと飛び乗って、私を見上げてきた。
「あら? なんだか浮かない顔ね。痴話喧嘩でもしていたの?」
「痴話喧嘩なんかじゃないよ。ただ……ちょっとね」
誤魔化す私にダイアナは首を傾げた。
「ふうん? まあいいわ」
「それよりも、何か報告があるんじゃないの?」
私の問いにダイアナは長い尻尾をぽんと揺らした。
「ええ、勿論。いばら館の様子を見てきたの。ルージュは勿論、ハニーの姿も見かけたわ。それに、あのお人形──ベイビーも一緒だったわね」
「ベイビー……そうか」
彼女と過ごした日々を少しだけ思い出しつつ、私はすぐにダイアナに訊ねた。
「ドッゲは? ドッゲは一緒だった?」
「いいえ。見ていないわ。ただ、油断はできないわね。あの猟犬が、目を付けた獲物をそう簡単に諦めるとは思えないもの」
ダイアナがそう言うと、ベッドの方からは大きなため息が聞こえてきた。
「嫌だねえ。どうしたら警察に突き出せるかな」
「下手をしたら、あなたの正体もバレてしまうでしょうね」
ダイアナの言葉に、アンバーは不貞腐れたように寝転がった。
「それで、アタシは謹慎ってわけさ。武器も没収されてさ、ここから出ちゃいけないんだってさ」
「一階であなた達の師匠がパートナーと相談していたわ。場合によっては、ずっとここで面倒を見た方がいいかもしれないってね」
「……そんなにやばい状況なのか、アタシ」
いつになく落ち込んだような声に、私もダイアナもかける言葉が見つからなかった。
代わりに、ダイアナは私の方へと視線を向けてきた。
「ルージュの事だけれど、これまで保存してあった血は全て切らしてしまったようなの。ハニーへの手土産はまだあるみたいだけれどね。だけど、ルージュは食を断っているわけでもないみたい。もしかしたら、近隣で狩りをしているのかも」
「狩り、か……。じゃあ、止めないと」
思わずそう言ったところで、アンバーが咳払いをした。
咎めるような視線を背中に感じ、私は静かに言い直した。
「しっかり見張っておかないとね」
そんな私たちを見比べてから、ダイアナは私にそっと告げた。
「モリオンもそろそろ到着するみたいなの。今回こそ、ルージュを仕留めるんだって張り切っているようだったわ」
「そっか。彼にもぜひとも無理しないように言っておいて欲しい」
少々の焦りと共にお願いすると、ダイアナはくすりと笑いながら頷いた。
「分かった。ともあれ、引き続き、いばら館は見張っておくから安心して。また夜にここへ来るから待っていてちょうだい」
そして、再び窓から外へと飛び出していった。
慌ただしく去っていった彼女を見送ると、しばらくしてから、アンバーが私の背後でぽつりと呟いた。
「あんな女さぁ、モリオンにくれてやればいいのに」
その文句にもまた、私は何も言えなかった。
それからしばらく経って、夕食時となった。
ろくに会話もないまま、私たちはオニキスの仕留めた鹿を捌くのを手伝い、その後はペリドットも含めて四人で食卓についた。
食事時にペリドットと顔を合わせるのは久しぶりだ。
その空気の懐かしさに少しだけ心が癒される。
オニキスも隣にいると、まるでこの二人こそが私たちの実の両親のようだった。
「──さて、せっかくの団欒の時間に心苦しいが」
と、他愛もない雑談と食事を楽しんでいると、オニキスが不意に切り出した。
「先程のことだが、本部から連絡があった。ミエールグループの代表と我らが組合長との会談が明後日に決まったそうだ」
一気にぴりっとした空気が流れる。
これについて私たちに出来ることはない。
ただ、悪い流れが生まれないことを祈るだけだ。
それは分かっているのだが、分かっているだけにもどかしい。
私はともかく、アンバーの今後はかなり気がかりだった。
アンバーもまたイライラするのだろう。
荒々しく肉を齧ると、無言で咀嚼していた。
その様はまさに狼のそれだ。
人間の姿をしていても、彼女の正体を知っていれば誤魔化しきれないものがある。
「オブシディアンはなんて?」
ペリドットが静かに訊ねると、オニキスもまた落ち着いた様子で答えた。
「我が組合は何の罪もない組合員を売るような真似はしないと。たとえ、この事で過剰に不安を覚える者がいたとしてもね」
含みのあるその言い方に、私もまた不安を覚えた。
オブシディアンのような人が組合長でいる限りはアンバーも安泰だ。
しかし、もしも彼に何かあって、別の者が組合長になるとしたらどうだろう。
組合員だからといって、全員がアンバーの扱いに納得しているわけではない。
アンバーの養育に異を唱えたのはジルコンだけではないのだから。
私は不安だった。
もしも、ハニーもまたこの関係に気づいていたら。
アンバーの居場所を内部から崩すような真似をしてきたら。
「大丈夫さ」
と、まるで私の心を読んだかのようにオニキスが言った。
「我らが組合長はああ見えて凛とした人だ。傍に控えるスピネルもね。今はただ、彼らを信じてここで待機しているといい」
「やむを得ないね」
ペリドットもまたそう言った。
「アンバー。二階は好きに使っていい。気のすむまで実験をしたらいいさ。君のことだ。謹慎の間も様々な薬が生まれるかもしれないね。何なら、本当に私の体に効く薬も期待できるかもしれない」
冗談めかして笑うペリドットに、アンバーもまた笑ってみせた。
「さては疑っているね、師匠。見てなよ、本当に良薬を作って見せるからさ」
そう言って歯を見せて笑うアンバーの姿に、私は少しだけホッとした。
夕食が終わると、ダイアナが再び二階の窓辺に姿を現した。
アンバーは実験中だ。
傍にはいない。
その隙に、私はそっと窓を開けてダイアナを迎え入れた。
「昼の続きだね」
私がそう言うと、ダイアナはそっと頷いてから報告をした。
「予定通り、モリオンが町に到着したわ。それに、決定的なものも見た。やっぱりルージュは町に出ている。そこで狩りをしているみたいなの」
「狩り……人を襲っているの?」
「ええ。身寄りのない人をね。たまたま目撃したから、モリオンと一緒にどうにか助けてあげたの。でも、もしかしたら別の人が襲われてしまうかも」
「……良くないね。どうにかしないと」
「ええ、でも、あなたは動かない方がいい」
ダイアナにきっぱりと言われ、私は思わず視線を向けた。
不満が表に出ただろう。
しかし、ダイアナは動じずにこちらを見上げてきた。
「今は冷静にならなきゃダメよ。アンバーの件で、ハニーが下手に動いたら、あなた達の首が絞まってしまうのだから」
その言葉に私は反論できず、溜息を吐くしかなかった。
「……会談は明後日にあるらしい。ともかく上手くいくことを願うしかない」
「そうね。その内容についてもなるべく見てきてあげる。あなたはその間、別の狩りでもしていて。それに……今はともかく、アンバーを不安にさせないであげてね」
猫姿のダイアナに諭すようにそう言われ、私はただ素直な気持ちで頷いた。




