1.組合の本部にて
思えば長く帰っていなかった気がする。
久々に嗅いだ故郷の香りに、それを強く実感した。
賑やかな町が見えてくると、さらにその思いが強まった。
ペリドットと暮らしたあの家から少し離れたこの場所。
組合の本部があるこの町は、何も変わっていなかった。
強いて言えば、今だけは賑やかに飾られている。
どうやら薔薇の咲く時期に行われる野薔薇祭が近いようで、どこかしこも色鮮やかだった。
薔薇を飾るのは勿論、薔薇を象った菓子や小物、絵画なども売られるようになる。
それらを楽しそうに見つめる子供たちの姿を見ていると、少しだけ懐かしい気分に浸ってしまった。
「カッライス」
立ち止まりかけた私の手を、アンバーがそっと握り締める。
琥珀色の目が咎めるように私を見つめていた。
「懐かしさに浸るのは後だ。さっさと本部へ行こう」
「……うん」
叱られるままについて行くその先は、この町を去って以来、手紙や誰かの口伝でしかやり取りをしてこなかった組合の本部である。
恐らく、正式に組合員として認められて以来になるだろう。
しかし、この度は自ら足を踏み入れなくてはいけなかった。
二人して、呼び出されてしまったからだ。
遡ること二週間ほど前。
月光の城から命からがら逃げだし、付近の拠点でペリドットが倒れた件やら、いばら館にルージュが向かったことやらを聞かされてからすぐのこと、いざ故郷を目指して発とうしていた私たち二人のもとに、オブシディアンから呼び出しがあったのだ。
目的は分からない。
文面は実に事務的なものでしかなかった。
だが、嫌な予感はその時からずっとあった。
「着いちまったなぁ」
本部につくなり、入り口の前に棒立ちしながらアンバーが言った。
「何の呼び出しだろう。入りたくない」
開けたがらない彼女の代わりに、私は黙って扉を開いた。
カラン、と、扉についた小さな鐘の音が響く。
中を覗いてすぐに目があったのは、受付にいた組合員の一人だった。
私たちが以前、ペリドットに連れてこられた際にもいた女性だ。
組合員であることから分かるように彼女もまた元は狩人で、けれど、片目と片腕を大きく負傷したことがきっかけで仕事を変えたのだと聞いている。
シェルという名前で薄っすらとピンクにも見える不思議な色合いの片目が特徴である。
「おかえりなさい、二人とも。久しぶりね」
シェルは私たちを見るなりそう言った。
穏やかなその雰囲気に安堵し、引き寄せられるように向かうと、シェルという名に相応しい色合いのその片目をこちらに向け、無駄のない動きでそっと一室を指さした。
「そちらへ。オブシディアン組合長がすぐに来ます」
言われるままに部屋へと入ると、そこには席が二つ用意されていた。
前には教卓のような机と黒板がある。
実際に通った経験はないが、たしか本によれば、町の子供たちが通う学校の教室がこんな様子だったはずだ。
そんなことを考えながらアンバーと二人で座っていると、程なくしてオブシディアンが入ってきた。
共に入ってきたのは彼の秘書的な役割を担っている組合員の青年だ。
私たちより少し年上で、名前は確かスピネルだった。
赤みがかった褐色の目にちなんでそう名付けられたと聞いている。
スピネルはそのまま部屋の入り口に留まった。
オブシディアンの方は教卓のような場所につくと、私たちを眺めて言った。
「入組式以来だね、ペリドットの教え子たち」
実に穏やかで優しげな声だった。
「アンバー。カッライス。二人とも、これまで実によく働いてくれた。依頼された獲物を確実に仕留め、解決してきた実力は疑いようがない。ペリドットも鼻が高いだろう。……けれどその一方で、そろそろ二人と直接相談しておくべきことが山積みになってきたと言わざるを得ない。察しが良ければ、何のことか分かるかもしれないね。アンバー、それにカッライス。この度の君たちの身に起きたトラブルについて、我が組合も現在、少しばかり厄介事に巻き込まれている」
ほぼ同時に息を飲む私たちの様子を見て、オブシディアンは静かに目を細めた。
「何、心配はいらない。間違っても君たちを除籍すべしというような事柄じゃない。……まあ、中にはそうすべきだという者もいるが、極少数派の意見だ。気にしなくていい。だが、同時に私たちは全ての組合員を守らねばならない義務もあるのだ。……アンバー」
と、オブシディアンに名前を呼ばれて、アンバーは飛び上がるように返事をした。
声は裏返り、動揺は隠しきれない。
そんな彼女にオブシディアンは落ち着いた声で告げた。
「現在のところ、君の扱いを巡って意見が対立している。というのも、君の正体にまつわる秘密について、不穏な報告が入ったのだ。人狼の隠れ里と知られる満月の村の者たちと君は接触したね。さらに、その事に関連して、猟犬の名を持つ狩人組合に所属する狩人……ドッゲ氏から銃を向けられたと聞いたが……確かかな?」
オブシディアンの問いかけは非常に優しい。
けれど、同時に嘘を許さない空気があった。
背後で私たちを見張っているスピネルの無言の眼差しもある。
その両方に挟まれる形で、アンバーはだらだらと汗を流しながら正直に頷いた。
「……はい」
いつにもなくしおらしい。
そんな彼女の様子をぼんやりと眺めていると、オブシディアンの眼差しはすぐに私の方にも向けられた。
「そして、カッライス。この度、君は命さえ失いかねない状況に陥ったそうだね。隣にいるアンバーや、モリオンの協力がなければ、間違いなく、吸血鬼の犠牲となっていただろうと。反論はあるかな?」
穏やかながら厳しいものを感じ、私は息を飲みつつ答えた。
「……いいえ」
二人して委縮していると、オブシディアンは静かに息を吐いてから続けた。
「アンバー、その力で身内を救ったことは、賞賛に値する。ペリドットの願い通り、恵まれた身体能力を人のために使える君のことが誇らしい。だが、その誇らしさを世間にそのまま認めてもらうには、残念ながら、まだまだ時代が追い付かないだろう」
オブシディアンはそう言うと、溜息交じりに続けた。
「この度、組合の幹部で話し合いをした。今回のトラブルに加え、もう一つ。君たちは以前、ミエールグループとトラブルになったことがあるね。この度も、ミエールグループから我々のもとに連絡が来たのだ。君たち二人──特に、アンバーについてお尋ねしたいことがあるのだと」
「ミエールグループ……!」
私は思わずその名を繰り返した。
「組合長、ミエールグループの代表は──」
と、興奮のあまり口を挟んだ私を、オブシディアンはそっと諭した。
「落ち着きなさい、カッライス。ミエールグループの代表の事については、我々も把握している。しかし、確たる証拠というものは、まだ掴めていない。個々の目撃証言などは確実に潰されるだろう。だから、根も葉もない噂としてしか存在を許されないのだ。相手は金も権力もある。その力はこの組合自体よりも大きい。それは分かるね?」
静かに頷くと、オブシディアンは続けた。
「ミエールグループの代表、ハニー氏とは正式に会談することが決まった。そこで、アンバーに関する質問を受けることになっている。ここで下手な動きを見せれば、君の正体が広く知られてしまう危険性もある。そうなれば、我々も庇いきれない」
アンバーは無言のまま俯いた。
何も言い返せないようだった。
「これよりしばらく、アンバーには謹慎を命じる。謹慎が明けるまで、組合の武器は預からせてもらう。期間は無期限だ。こちらの許可が下るまで、ペリドットの家で静かに過ごすように。いいかい、むやみに外に出ては駄目だ。この町にもしばらくは顔を出すな。ハニー氏、それにドッゲ氏に見つからないように隠れているように」
オブシディアンの声は始終、穏やかだった。
しかし、反論を許すような空気はない。
アンバーは拳を握ったまま、蚊の鳴くような声で「はい」とだけ答えた。
「カッライス」
と、その目が私へと向く。
「君の処分は特にない。しかし、次からは身の丈に合った獲物を追いかけなさい。……これは命令ではなく助言だ」
まごうことなきお叱りに、私もまた肩を竦めるしかなかった。




