14.狩人としての再出発
数日後、だいぶ傷も癒え、どうにか手を借りずに歩けるようになった頃、拠点にはアメシストの姿があった。
相変わらずの紫の義眼を光らせながら彼女が持ってきたのは、ここ近辺での依頼と、いくつかのゴシップと、そして私や、ついでにモリオンにとって、もっとも重要な情報だった。
「ルージュが移動した……?」
ぽつりと繰り返す私と、そして真剣に耳を傾けるモリオンの顔を、アメシストは興味ありげに見つめてきた。
「心配だなぁ。若い君たちが二人そろってあの吸血鬼さんにお熱なのは。それに、カッライス。もう聞いているよ。今回は相当危なかったんだってね?」
何も言えずに目を逸らす私を、アメシストは軽く笑った。
「その反応、都合の悪いことを言われた時のペリドットの奴に本当に似てるんだから。血が繋がってないのにさ。まあいいか。今回のルージュの行き先だけど、君たちにはちょうどいい場所だと思うよ」
「どういうこと?」
私が訊ねると、アメシストは頬杖を突きながら地図を広げた。
「ここ。いばら館っていってね。ご存じミエールグループの所有する物件の一つなんだ。でも、以前は違ってさ。権利も曖昧なまま放置された状態だったんだ。だから、昔はうちの組合も簡単に踏み込むことが出来たんだよね」
「つまり……ここって」
アメシストの示す地点をまじまじと見つめ、私は震えてしまった。
ペリドットの家からほど近いその場所。
今の私ならば、ここがどこなのかがすぐに分かる。
「そう。ここは、かつてわたしたちがルージュ討伐に失敗し、その代わりに小さな君を無事に保護した思い出のお屋敷さ」
やっぱりそうだ。
幼少期の思い出が頭を過ぎる。それに……私が秘術に囚われてしまったあの日のことを。
ハニーの管理下に置かれているなんて。
ミエール城ではなく、そっちにルージュが向かったということはハニーも一緒なのだろうか。
何にせよ、ペリドットの家が近い事も不安でならなかった。
その上、アメシストは恐ろしい報せも持っていた。
「行くならちょうどいいかもね。ペリドットの家が近いし」
「ちょうどいいってどういうことさ」
アンバーが問い返すと、アメシストは表情を変えずに溜息交じりに告げてきた。
「倒れたんだよ、ペリドットが」
「へっ?」
驚くアンバーを前に、アメシストは暢気に苦笑してみせた。
「子供でも出来ちゃったんじゃないかって疑ったりしたんだけどさ、医者によればどうも過労らしいね。無理が祟ったのかな。オニキスが遠出している間も、張り切ってあの辺の魔物を一人で狩っていたみたいだし。それとも、我が子のような誰かさんたちが心配でたまらなかったせいだったりしてね」
思わず顔を見合わせる私とアンバーに対し、アメシストは目を細めながら言った。
「ともかくさ、一度戻って顔を見せておやりよ。もう長い事、戻ってないんだろう? 君たちの顔を見たら、きっとペリドットの奴も喜ぶよ」
これは戻らざるを得ない。
私もアンバーもほぼ同じことを考えたのだろう。
同時に頷き合って、大きく溜息を吐いてしまった。
ペリドット。
思えば長く会っていない。
深刻な病などではないといいのだけれど。
「里帰りはいいけど、ルージュもそっちかぁ」
呆れたように呟くアンバーに、モリオンがにやりと笑った。
「安心しなよ。オレも行くからさ」
冗談半分といった感じだったが、ルージュがそこにいるとなれば、当然ついて来るのだろう。
そんな彼に対し、アメシストは言った。
「そうそう、ちょうどいいかもね。ペリドットが倒れたって聞いて、ジルコンも柄にもなくあたふたしていたから。お見舞品を抱えて一度会いに行くつもりのようよ」
「師匠……やっぱり今でもペリドットさんの事を……」
考え込むモリオンを横目に、私はちらりとアンバーの表情を窺った。
里帰りはいいのだが、ジルコンも見舞いに来るつもりだというのはなかなか気が重い。
うっかり鉢合わせて、アンバーに嫌味を言ったりしないといいのだが。
そんな私の視線に気づき、アンバーがそっと近寄ってきた。
「大丈夫だよ。何言われても気にしないし。そんな顔するなって」
私の眼差しの意図に気づいたのだろう。
彼女はそんな事を囁いてきた。
こちらが気負わないように配慮してくれたのかもしれない。
いずれにせよ、アンバーがそう言う以上は、気にし過ぎない事にした。
その夜、拠点の隅で、私とアンバーのもとにダイアナはやってきた。
彼女の目で見たルージュの情報を教えてもらいつつ、今後の予定を彼女にも話した。
「まあ、それなら二人が育ったお家を知れるのね」
ダイアナが耳をぴんと立てるのを見て、アンバーはその頭を軽く撫でながら問いかけた。
「師匠とは会ったことはあるの?」
「ペリドットって、赤毛の女の人よね。ええ、だいぶ昔だけどね」
確か、以前にもダイアナは言っていた。
ルージュの飼い猫だった時代に、うちの組合の狩人について一通り情報を握らされたのだと。
ダイアナはジルコンにさえ接触していたと言っていた。
私を養育していたペリドットが目を付けられていないはずがない。
「この姿を見るなり、おやつをくれたのよ。猫がお好きだったのかしら」
「ふうん、師匠らしいや」
アンバーはそう言いながら、ダイアナをひょいと持ち上げた。
「あれ、ちょっと重くなった?」
「んまあ、失礼しちゃう!」
バシっとその手を叩いてすり抜けると、ダイアナはそのまま着地する。
そして、私の足元へと逃れながら話を続けた。
「ルージュがそっちに向かったっていうのも、気になるわね」
ダイアナの眼差しに、私もまたそっと返した。
「やっぱりそう思う?」
「ええ、あれから、ハニーとのやり取りも頻繁だったもの。ルージュが乗った車は、ハニーが手配したものよ。恐らくそのいばら館まで直行なのでしょうね。ペリドットの件も、二人はとっくに把握しているのでしょう。あなた達がそっちに向かう事を見越しての移動だと思うわ」
だとしたら尚更、行かない理由がなさそうだ。
「ちなみに、あのおっさん──ドッゲはどうなった?」
アンバーの問いに、ダイアナは眉間に皺を寄せた。
「恐らくだけど、まだ諦めていないと思う。用心して。この拠点の付近で彼らしき人を見かけたから。一応、他の組合員もいるから大胆な行動には出ていないみたいだけど」
「ぐえー、面倒臭いなぁ。ホントやべー奴に目ぇつけられちゃったな」
頭を抱えるアンバーだが、何処か他人事のようだった。
対する私の気は重かった。
不安でならない。
この先どうすれば、守り切れるだろう。
「ダイアナ……苦労を掛けるけれど、ルージュの事だけじゃなくて、ドッゲの事も見張ってくれないかな」
「うーん、正直、めちゃくちゃ大変なんだけど……でもまあ、いいわ。カッライス、あなたの頼みだもの。もっとも、それだけのお手当をいただけるのならね」
そして、ぱちりと瞬きしながら見上げてきた。
「言っておくけれど、キャットニップの香水で誤魔化すのは禁止だからね」
「バレたか。ダイアナちゃんのお好みの調合、研究するのも手間がかかったんだけどなぁ」
わざとらしく呟くように言うアンバーに、ダイアナは呆れたように溜息を吐いた。
「ちゃんと用意するから心配しないで」
私が耳打ちしながら頬を撫でると、ダイアナは頬擦りしながら尻尾をあげた。
「ええ、そうしてちょうだい」
そして、私の手からもすり抜けると、ダイアナはぴょんと駆け出しながら、私たちに向かって言った。
「ともかく、今後の事は分かった。あたしの方もあなた達について行きながら──」
と、その時だった。
ダイアナが走っていこうとした先に物陰からぬっと人が現れたのだ。
アメシストだ。
走り去ろうとしていたダイアナを抱き上げると、面白がるような眼差しで見つめ、私たちのもとへと歩み寄ってきた。
「へえ、変わった猫ちゃんだねえ。人間の言葉が得意なんだ」
そう言って、軽く笑うアメシストを前に、ダイアナはすっかり怯えてしまっていた。
暴れているが抜け出せないらしい。
猫のふりをし続けていたが、遅かっただろう。
「あ、あの、アメシスト……」
アンバーが声をかけると、アメシストは軽く笑ってこちらを見つめてきた。
「冗談だよ。ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだ。それにしても、ドッゲか。懐かしい名前だね」
そう言って、アメシストはダイアナをそっと地面に置いた。
解放されるなり、ダイアナは慌てて逃げ出してしまった。
その背中を目で追いながら、アメシストは軽く笑った。
「ああやって見ると、本当に猫みたいだね。いいなぁ。羨ましいよ。わたしも魔女だったら……魔法が使えたらよかったのにな」
「アメシスト……ドッゲを知っているんだね」
私の言葉に、アメシストはこちらを振り返った。
「勿論。……と言っても、アンバーが赤ん坊の頃は、わたしもまだ見習いだったから、詳しく関わったわけじゃないんだけどね。ドッゲか。はあ、ルージュの事だけでも大変なのに、厄介なことになっちゃったみたいだね」
「い、言っておくけどさ……完全にバレたわけじゃないからね。決定的姿を見られたとかそういうんじゃないから」
小声でアンバーが囁くと、アメシストは苦笑してみせた。
「分かっているよ。だけどね、ドッゲはまずいかもね。証拠も何もない噂レベルなんだけど、人狼だって疑った人間を殺しちゃって隠蔽した狂人だなんて言われているし。目を付けられたってなったら、やっぱり危険だ。一応、この事も本部に伝えておくよ。アンバー、君を巡っての情報は、必ず共有するようにって言いつけられているからね」
「──分かった」
不服そうにアンバーが頷くのを笑顔で見つめて、アメシストはその場を去っていった。
この度の私の件、そしてドッゲを巡ってのアンバーの件。
これらが本部に伝わる事によって、一体どうなってしまうのか。
それはまだ私たちの知るところではない。
しかし、今後の狩人生活に多少なりとも影響を及ぼすだろうことは予想できた。
出来ればその影響が、あまり大したことにならないといいのだが。
里帰り、そして、狩人としての再出発を前に、私は心の中でそっとそんな事を願ったのだった。




