12.窮地からの脱出
震えてはいけない。
自分を抑え込みながら、私はドッゲに銃を向けた。
すると、ドッゲは私の姿を見つけるなり、薄気味悪い笑みを浮かべた。
猟銃を構え、その銃口が向く先は、当然ながら私ではない。
「ドッゲ」
私はすぐにその名を読んだ。
「相手は私だ。まず私を殺せ」
「出来ないね」
ドッゲは答えた。
「人間を殺すわけにはいかない。弾の無駄だからだ。それに、約束もある。我らが城の女神様がそれをお望みじゃないのだよ」
彼の言葉を聞いて、アンバーは低く笑った。
「人間、か」
私に背中をくっつけたまま、彼女は言った。
「おい、おじさん。あんた目が悪いのか。アタシはどこからどう見ても人間だろうが。撃ったりしたら大変なことになる」
からかうようなその言葉に対し、ドッゲもまた鼻で笑った。
「そりゃ、お前が本当に人間だったら、の話だがね。答えはこの引き金次第だ。俺の直感が正しければ、その脳を撃ちぬいて転がるのは人間の死骸ではない。その髪と同じ、綺麗な月毛の雌狼だ」
「違ったどうするつもりだ」
私も銃口を向けたまま、ドッゲに言った。
「彼女が人間だったらどうする。転がってなおも人の姿のままだったら。そうなれば、ドッゲ。君は重罪人になるんだぞ。仲間だっている。私を片付けたとしても、君の罪は知れ渡ることになるだろう」
「その時は……そうならないように、全員片付けるまでだ。お仲間は二人だったかな。顔は覚えたから、あとで順番に仕留めればいい」
ドッゲには迷いがない。脅しは無駄なようだ。
「おいおい、本気かよ。これまたやべー奴に目ぇつけられちゃったな」
茶化すように言うアンバーの背を、私は背中でぐっと押した。
力を込めたせいで、足の傷が痛む。
だが、構っていられなかった。
「中へ入って。そこは危険だ」
「させるか」
と、そこでドッゲが動く気配がした。
私はすぐに撃った。
迷うことなく、ドッゲの足元を。
同時にドッゲも撃った。
狙いが逸れたのか、弾は私たちの真横。
扉の近くに命中した。
その間にアンバーを中へ入れることがかなった。
だが、それ以上は進まない。
進ませないような眼差しをルージュが送っているのだろう。
逃げ場がない。
「なあ、カッライス」
と、アンバーが背中越しに声をかけてきた。
「何?」
静かに問い返すと、アンバーは悪い狼のような笑みを漏らしつつ、訊ねてきた。
「あんたの愛する獲物、アタシが仕留めてもいいか?」
「……せめて、止めだけはとっておいてくれる?」
私が答えるとすぐに、アンバーは発砲した。
多分、ルージュには当たっていない。
見てなくても分かった。
外して悔しがるアンバーの小声が聞こえてきたからだ。
その間に、ドッゲはさらに一歩近づいてきた。猟銃は私に向いている。
「カッライス嬢」
煽るように彼は言った。
「いい子だから退いてくれよ。君を撃つわけにはいかないんだ。人狼殺しのプロとして、撃つべきは人間の脅威となる人狼だけ。その人狼に支配された憐れな君は救わねばならん対象に過ぎない」
「妙なことを言うね、ドッゲ。じゃあ、人間が吸血鬼の奴隷になるのはいいわけ? この城で君は散々私を見捨ててきたじゃないか」
「答えは簡単だ。吸血鬼は俺の獲物じゃない。どうなろうと関係ない」
狂っている。
真っ先にそう思った。
何故、彼がここまで人狼だけを憎むのか。
その理由なんて分からない。
そこには何かしらの事情があったのかもしれない。
だが、たとえそうだとしても、人間として暮らしているアンバーが撃たれていい理由にはならないはずだ。
いや、もしそんな理由があったとしても、私は許せなかった。
だから、ここで引くわけにはいかなかった。
「ならば、ドッゲ。ここが君の墓場だ」
銃を向ける私に対し、ドッゲは面白がるように笑った。
「いいのか、俺は人間だ。人間を殺せばどうなると思う。君は罪人となる。組合を追われることになるだろう。分かっているのか」
「相棒を殺されるくらいなら、その方がマシだ」
狩人は先手必勝。
撃つことに躊躇いなんて生じなかった。
だが、いざ引き金に指をかけた瞬間、私の脳裏に声が響いた。
──ドッゲを撃たないで。
ルージュの命令だ。
脳に刻まれたその言葉が、私の腕をわずかに震わせた。
そのせいだろう。
狙いは外れ、ドッゲには当たらなかった。
ドッゲもまた後退すると同時に、猟銃を撃った。
その狙いは私ではない。
私と扉のごくわずかな隙間だ。
その向こうにアンバーの体がある。
すぐ気づき、私は背中越しにアンバーの体を力いっぱい中へと押した。
「お、おい」
アンバーがバランスを崩す。
と同時に、私も体ももつれ、そして──ドッゲの放った銃弾が、私の左手に命中した。
「──っ!」
焼けるような痛みに体が凍り付く。
そのまま倒れそうになったが、どうにか無事な方の足で踏み止まり、道をふさぎ続けた。
声が出ない。
貫通しているらしい。
血の滴る手を必死に抑えていると、アンバーが異変に気付いた。
「カッライス?」
異変に気付いたアンバーが振り返ろうとするのを、私は必死に止めた。
「大丈夫……大丈夫だから」
だが、滴る血を誤魔化しようがなかった。
「──血の臭いだ」
震えた声で彼女が言うと、同時にルージュの声が聞こえた。
「ドッゲ」
咎めるようなその声に、ドッゲは溜息を吐いた。
「俺のせいじゃない。そいつの自業自得だ。安心しな。手を撃ちぬかれた程度じゃすぐには死なないさ」
「困った人ね」
ルージュは冷たい声で呟くと、続けてアンバーに向かって言った。
「アンバー。愛する人の血の臭いはいかが? とても美味しそうでしょう? 前よりもずっと美味しそうで驚いたのではなくて? ここでの食事のお陰よ。短い間だったけれど、カッライスの血と肉の質を高めるには十分だった。ねえ、アンバー。美味しそうでしょう。あなただって食べたいはずよ。比喩でも何でもなく、その子の全てを」
煽るようなその言葉に返答はない。
アンバーの様子がおかしい。
息が荒く、苛立っているようだった。
「……アンバー?」
恐る恐る声をかけると、アンバーは我に返ったようにびくりと震え、そして低く笑った。
「アタシは人間だ!」
直後、アンバーが発砲した。
当たったような気配はない。
動揺しているのは間違いなかった。
まずい。私は正面を見つめた。
ドッゲは再び体制を整えている。
ゆっくりとこちらに近づいて来ていた。
震える手で再び銃を構え、私は彼を威嚇した。
「来るな……」
発砲するも、当然のように当たらない。
左手の傷のせいだろう。
意識が朦朧としてきた。
こんなところで。
自分を叱咤するも、状況は変わらない。
万事休すか、そんな時だった。
ドッゲが突然つまずき、尻もちをついた。
何かに足元を掬われたらしい。
驚く彼の声に、何事かと目を見張ると、すぐにその正体は分かった。
「間に合ったようね」
そこには、階段の上段から目を光らせる獣が一匹。
猫だ。
黒猫だ。
ダイアナだ。
見慣れたあの猫の姿で彼女はこちらに向かってくる。
そして立ち上がろうとするドッゲの背中に飛び乗ると、目をわずかに光らせた。
「そのまま止まれ」
唱えるような彼女の声に、ドッゲの動きがぴたりと止まる。
まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。
ダイアナはそのままぴょんと飛び降りて、私のもとへと駆け寄ってきた。
そして、その鼻先を撃ちぬかれた私の手にちょんと付けた。
これも魔術の一つだろう。
不思議と痛みが薄れていったかと思うと、出血が止まった。
「どちらの魔術も長くは続かないわ。早くここから脱出しないと」
そう言って私の足元をすり抜けて、作業場にいるルージュを睨んだ。
彼女と共に振り返ると、その場所の状況も一変していた。
いつの間に、だろうか。
作業場には人が増えていた。
どうやら勝手口から新手が来ていたらしい。
「ようやく会えたね、ルージュ。全てをいただきに来たよ」
モリオンだ。
「待って、モリオン……!」
ふらふらする体で叫んだちょうどその時、モリオンは引き金を引いた。
当たるな。
思わずそう願ってしまった。
けれど、無駄な心配だっただろう。
その弾は当たらなかった。
その前に、ルージュは忽然と姿を消してしまったのだ。
モリオンは不満そうに溜息を吐く。
一方の私たちは、肩の力が抜けてしまった。
安心したせいだろう。
一気に意識が薄れはじめる。
どうにか意識を強く保っていると、ダイアナが勝手口へと走り出した。
「急いで。今なら逃げられる」
そのままモリオンと共に出口を確保する。
そんなダイアナを目で追って、アンバーは私の手を握った。
やや乱暴に引っ張られ、歩き始めたのだが、ふいに私は部屋の片隅でじっとしたままのベイビーへと意識が向いた。
「ベイビー」
その名を呼ぶと、アンバーが少しだけ足を止めた。
「ねえ、ベイビー。君も一緒に来ない? 元の世界に……」
けれど、ベイビーはいつもと変わらぬ表情のまま、静かに首を横に振った。
それ以上は何も言わなかった。
その眼差しを見つめていて、私は悟った。
彼女の居場所はもう、何処にもないのだという事を。
「急いで、二人とも」
ダイアナに急かされて、アンバーは再び歩みだした。
彼女に引っ張られるままに、私もまた足を引きずる形で歩みだす。
外に出るまでの間、何度か私はベイビーを振り返った。
だが、彼女はずっと変わらぬ表情のまま、私たちを見送るだけだった。




