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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
月光の城と幸福なお人形

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108/135

10.悪い狼に食べられて

 助けが来る。

 ルージュが立ち去った後、私はその気配を静かに感じていた。

 その度に、胸の奥に沸き起こるのは希望ではない。

 言葉にならない不安だった。

 誰が来るかは分からない。

 だが、もしも、アンバーがここへ来たら、私はどうしよう。

 勿論、連れ帰られるのだろうけれど、素直について行けるか不安だったのだ。

 この城に連れてこられてから、何日経っただろう。

 その間に、私の心身はすっかりルージュの奴隷である事実を思い出していた。

 そして主人たるルージュは、私に命令したのだ。

 悪い狼からは、逃げろと。


 ──私はどうしたらいい。


 ベッドの上で膝を抱えていると、不意に近くで大きな物音が聞こえた。

 ルージュではなさそうだ。

 ドッゲだろうか、それともベイビー。

 いいや、どちらでもない。

 どちらでもないという直感が、私に囁いてきたのだ。

 痛む足に鞭打って、施錠された扉へと恐る恐る近づいて、耳をくっつけてみると、その向こう側で誰かが慌ただしく部屋を検めているのが分かった。

 吐息は荒々しいが、声を発していない。

 周囲を警戒している様子から、この城に住む者ではなさそうだということが分かった。


 息を飲みながら扉を離れようとしたその時、微かな物音に気付いたのか、その人物は私の部屋へと駆け寄ってきた。

 ドアノブが回るが、扉は開かない。

 その様子をただ眺めていると、向こう側から声がしてきた。


「カッライス……いるんだな」

「……アンバー」


 その名を口にした瞬間、膝から下の力が抜けてしまった。

 安堵したのだと言いたいところだったが、そうではなかった。

 アンバーの気配、そしてあの声。

 かつて愛した彼女が間違いなくそこにいるというのに、この時の私の胸に広がっていたのは再会の感動ではなかったのだ。

 震える体を自ら抑え込み、私は自分が何を感じているのかを静かに理解した。

 恐怖だ。

 私は、アンバーを怖がっている。


「鍵は何処だ……カッライス、中から開けられるのか?」


 答えられない。

 だが、早く答えないと。

 ここでもたもたしていれば、ドッゲが来てしまうかもしれない。

 息が詰まりそうになる中、私は言った。


「鍵は……わからない。内側からは開けられないんだ」

「くそ……せっかく見つけたのに」


 ドンっと扉を叩く音がして、私はびくりと震えてしまった。

 だが、言わないと。

 はっきりと告げないと。

 まるで義務か何かのように自分を奮い立たせて、私は扉の向こうへと声をかけた。


「ねえ、アンバー……せっかくだけど──」

「鍵を探してくる。誰が持っているか知っている?」

「アンバー……」

「小間使いが怪しいところだな。あの女が持っているとしたら、厄介かもしれない。どうにかあの気色悪い猟師に見つからないようにしないと」

「ねえ、私の話を聞いて」

「とにかく、カッライス。今、あんたが何を言おうと、何を思おうと、アタシの事は止められない。待ってろ。絶対に取り返す!」


 それっきり、彼女は走り去っていってしまった。

 説得は失敗に終わった。

 気配が遠ざかっていく中、私は無力感に苛まれていた。

 何を言おうと彼女は止められない。

 だが、そうなると、いよいよ焦燥感に苛まれる。

 きっと、私はルージュの事しか頭にないのだろう。


 アンバーがいなくなってからすぐに、私は部屋の中を這ってうろつき、隠れ場所を探していた。

 見つけたのはベッドのカーテンの裏だった。

 そこに包まり、身を隠し、震えながら待っていたのだ。

 こんな抵抗は無駄だ。

 それは分かっていた。

 アンバーは鼻がいい。

 この部屋に踏み込まれたりすれば、すぐに見つかってしまうだろう。

 それでも、身を隠していたかったのだ。

 そうしないとルージュの機嫌を損ねてしまうから。


 再び足音が近づいてきたのは、それからだいぶ経ってからの事だった。

 何処から鍵を見つけてきたのだろう。

 普段、誰が持ち、何処に保管されているのかも分かっていなかったそれを、アンバーはあっさりと持ってきて、扉を開けてしまった。

 ぎい、と音がして、緊張感が増した。

 アンバーは声を発しなかった。

 呼吸を荒くして、中へと踏み込んできた。

 バタンと扉が閉まると、息が止まりそうになった。


「カッライス」


 アンバーが呼びかけてきた。

 返事はできなかった。

 けれど、思っていた通り、隠れても無駄だったのだろう。

 アンバーは真っ直ぐ私のもとへと近づいてきた。

 強引にカーテンを引き剥がされ、呆気なく見つかると、いよいよ震えてしまった。

 床に手を突いたまま俯く私に、アンバーは手を伸ばしてきた。


「カッライス。落ち着け」

「ダメだ……怖い……怖いんだ」


 私の言葉を聞いて、アンバーは一瞬だけ躊躇った。

 だが、何が起こっているのかをすぐに理解したのだろう。

 彼女は溜息を吐くと、小さな声で言った。


「分かっていたさ。こっちが本来のあんたなんだって。けど、こっちだってはいそうですかと引き下がれるかって話だ」


 そう言って、私の肩を力強く掴んできた。


「アンバー……やめて……」


 涙目になる私を抑え込むと、アンバーは自嘲的に言った。


「おとぎ話の悪い狼にでもなった気分だよ。いや、そもそもそういう部分はアタシにもあるんだろうね。あんたが震えれば震えるほど、やめようって思えなくなる」

「やめて……」


 悪い狼からは逃げなさい。

 ルージュの命令が頭を過ぎり、私はとっさに身を屈めた。

 アンバーの手を掻い潜り、そのまま逃げようとしたのだ。

 自分でも、何故、そんな事をしているのかが分からない。

 だが、とにかく、そうしなければならないという思いが、私を動かしていたのだ。

 アンバーは不意を突かれたようで、一瞬だけ、私の逃亡を許した。

 だが、すぐに冷静さを取り戻し、落ち着いた様子で追いかけてきた。

 私の方はと言えば、空しい抵抗だった。

 傷つけられた足が痛み、満足に立ち上がることも出来ない。

 あっという間に捕まってしまった。


「うっ……」


 思わず呻く私を引き寄せて、アンバーは言った。


「狩りごっこは終わりだ」


 そして、私の体を抱きかかえると、そのままベッドへと放り投げた。

 背中を打って呻く私に、アンバーは覆いかぶさってきた。

 もう逃げようがない。

 観念して震えていると、ほんの短い間に事は済まされた。

 雪が解けるかのように心もまたじわじわと解されていく。

 やがて、震えは止まり、私の意識が明確になった。

 知らず知らずのうちに霧に包まれていた思考が、急に冴え渡ったかのようだった。


「アンバー……わ、私は……あっ──」


 再び敏感な場所を触られて呻く私の反応を見て、アンバーは軽く笑って解放してくれた。


「目が覚めたようだね」


 そう言って、さっさとベッドから降りようとする彼女の手を私は自ら掴んだ。

 ついさっきまで、彼女の事が怖かったのが嘘のようだった。

 求めるような私の眼差しを見て、アンバーも私が何を言いたいのか分かったのだろう。

 彼女は溜息交じりに私の体を抱き寄せ、首筋に軽くキスをしてきた。

 ルージュがいつも噛む、あの場所だった。


「続きは後で。まずはここを出ないと」


 そう囁きながら、アンバーは私に何かを手渡してきた。

 冷たく、硬いそれ。

 久しぶりに手に馴染むそれ。対魔物用の拳銃だった。


「……うん」


 小さく頷いてから共にどうにか立ち上がり、銃をしっかりと握り締めて、私たちは外へと出ようとした。

 アンバーに力強く引っ張られながら、冷たい床を裸足のまま歩む。

 ルージュにつけられた傷が酷く痛む。

 だが、その痛みを感じるたびに私は自覚した。

 ああ、ようやく助かるのだと。

 再びアンバーと共にいることが出来るのだと。

 そして、改めて恐ろしくなった。

 ルージュに殺される事を、私は仕方ないとすら思っていた。

 ひょっとすると、望ましいとも思っていたかもしれない。

 怖いという感情は表面的なものに過ぎず、心の何処かで彼女の手によってベイビーのような人形にされる日を望んでいたのではないかと。


 ──早くここから出ないと。


 もう二度と、ルージュの奴隷になんてなりたくなかった。

 このただでさえ小さなプライドを、ズタズタにされたくなかったのだ。


 しかし、部屋からそっと抜け出そうと扉を開けたその時、早くも私たちの歩みを止める人物がそこにいた。


 ルージュではない。

 ドッゲでもない。

 ベイビーだった。

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