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CALLAIS  作者: ねこじゃ・じぇねこ
月光の城と幸福なお人形

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9.襲撃の予感

 傷の痛みに慣れてきたころ、ルージュは再び私の様子を見に来た。

 もう怒ってはいない。

 始終穏やかな表情で、彼女は私を労わってきた。

 撫でられていると、全身の傷が彼女によるものだという事を忘れてしまいそうだった。


「ベイビーの手当ては完璧だったようね」


 私の全身を確認しながら、ルージュはそう言った。


「これなら、血を吸っても大丈夫そうね」


 その鋭い視線に、私は身震いしてしまった。

 怖い。

 ルージュの事が。

 抗う術を持っていない事が、こんなに恐ろしいなんて。

 自分の命運は、全てルージュに握られている。

 秘術にかかった状態で、その事をあの地下室で叩き込まれたせいだろう。

 絶対に逆らうなという本能的な命令が私の心の奥底からこみ上げてきた。

 鳥肌を確認するようにルージュは私の肌に触れ、そして、低く笑った。


「ねえ、カッライス。私を見て」


 静かな命令に従うと、その葡萄酒色の眼差しに意識が囚われてしまった。

 仰向けに横たわる私の上に、ルージュはそっと跨っていた。

 私を見下ろしながら、そっとバレッタを外すと、黄金の髪がゆらりと垂れた。

 その動き、そして振る舞いから、私は目が離せなかった。


 綺麗だ。

 まるで、月の女神のよう。

 その姿に、私はただただ心を奪われていた。


 これも、彼女の秘術に捕らわれてしまっているからなのだろうか。

 間近で見上げるルージュの姿はあまりに好ましく、拒むことなんて出来なかった。

 凍り付いたようにじっとしている私の唇を、ルージュはあっさりと奪っていく。

 その振る舞いには躊躇いも、疑いもなかった。

 私が噛みついてくるなんて思ってもいないのだろう。

 恐れることなく舌を絡ませられ、私は恍惚としていた。

 噛みつくなんて思う事すら出来なかったのは私も同じだ。

 濃厚な口づけを受けながら、ただ悦びを感じることしか出来なかったのだから。

 唇を離すと、ルージュはうっとりとした様子で私の首筋で囁いてきた。


「いい子ね。そのままじっとしているのよ」


 そして、鋭い痛みと快楽が同時にもたらされた。

 この城に来てから、もう何度も繰り返してきたことだ。

 空腹を満たすために首筋に食らいつき、ある程度、満足したら今度は違う場所を傷つける。

 そうやって、傷のない場所が少しずつ減っていき、今や衣服に隠れた殆どの場所に何かしらの傷がある。

 それでも、本当はもっと欲しいのだろう。

 ルージュは度々ドッゲが仕留めた獲物を調理させ、夕食を共にしているらしい。

 この間もそうだった。

 葡萄酒のほかに、生き血や肉を楽しんでいるそうだ。

 いつだったか、彼女はさりげなく私に言った。

 そうでもしなければ、うっかり私の事を殺してしまいそうになるのだと。

 私はいつまで生きていられるのだろう。

 傷の痛みと心の憔悴をひしひしと感じながら、時折そんな事を考えてしまう。

 体を弄ばれ、血液も、生命力も、心も、プライドも、全てを搾り取られて、ベッドの上に力なく横たわるしかなかった。


 私の反応が薄くなっていった後も、ルージュはしばらく食事に夢中だった。

 血の味に恍惚とする彼女の姿はやはり美しい。

 その姿に見惚れるたびに、私は不意に我に返って怖くなった。

 日に日に、自分の心がルージュのものになっていく。

 その事を実感したためだ。

 しばらくすると、ルージュもまた満足したらしい。

 もしくは、満足には少し足りずとも、これ以上は殺してしまうと判断したのだろうか。

 いずれにせよ、ルージュは私から身を離し、そっとベッドから下りてしまった。

 事が終わり、解放されてホッとするのも束の間、遅れて私の胸に宿るのは、何とも言えない寂しさだった。

 求めるようにルージュの背を追ってしまうこの眼差しには、出来れば気づかれてほしくない。

 そんな私の視界の向こうで、ルージュは窓辺へと歩いて行った。


 カーテンをそっと開けると、窓の外を見つめ始める。

 幻想的な月明かりを浴びたその姿は、やはり綺麗だった。

 彼女の正体を知らなければ、本当に女神だと思うだろう。

 その姿を満喫していると、ふと窓の向こうに影が飛んだ。

 あの場所は、何度かダイアナが訪れたあたりだ。

 まさか、ダイアナではないだろうか。

 そんな心配が頭を過ぎったが、すぐに違う事が分かった。

 猫ではない。

 鴉でもない。

 蝙蝠のような姿をしている。

 それに、どうも生き物の類ではないらしい。

 ただの影であり、真っ直ぐルージュのもとへと近づいてきた。

 そして、その影は窓を通り抜けてくると、ルージュの胸元に飛び込むように消えていった。

 影を受け止めたルージュは静かに溜息を吐き、言葉を発した。


「どうやら、あの子たちが動き出すようね」


 アンバー達の事だ。

 すぐに分かった。

 吸血鬼の魔術の類だったのだろう。

 迷いないその言葉はきっと真実なのだろう。

 ルージュの表情は、決して恐れてなどいない。

 煩わしいとすら思っていないらしい。

 楽しい出来事でも起こるかのような、そんな表情を浮かべていた。


「……ルージュ」


 私はどうにか起き上がり、彼女へと声をかけた。


「お願い……アンバー達を許してやってよ」


 その言葉に、ルージュは振り返ってきた。

 じっと見つめられて、私は息を飲みつつ彼女に懇願した。


「君の言う事を聞く……君に従う……だから……」


 しかし、そんな私に対し、ルージュは溜息を吐いた。


「中身のない約束なんていらない」


 ルージュは冷たくあしらってきた。


「たとえその言葉が今のあなたの本心だったとしてもね。ここで約束したって、あの狼がまた術をかけ直したら、あなたは再び、何の躊躇いもなく、私を裏切る事になるでしょう。それが分かっているから、あなたがここで何と言おうと決断は変わらないわ。忠告は何度もした。クレセントにも釘を刺しておいた。それでも、あの子は諦めない。ならば、全力で迎え撃つのみ。魔物なんて所詮そんなものなの。強い者が全てを奪う。あの子があなたを奪うつもりなら、私も容赦はしない」

「ルージュ……」


 この懇願は無意味だ。

 そんな事は初めから分かっていた。

 それでも、訴えずにいられなかったのは、すでに私の心はルージュに傾き始めていたからなのだろう。

 私の心の根本には、かつて母のような愛を向けてくれると信頼していたルージュの姿がある。

 あんなものは幻想だったのだと分かっているつもりでも、やっぱり私はとっさになると慈悲を求めてしまうのだろう。


「あなたにも良い機会になりそうね」


 ルージュは言った。


「愛する人が生きているから、迷いも生じる。けれど、物言わぬ毛皮になってしまえば、あなたも諦めざるを得ない。そして、あの子の毛皮を突き付けた時、あなたは思い知ることになる。そんな酷い事をされても尚、今のあなたは私を真に憎むことが出来ない。それが、吸血鬼の隷属になるという事なのだと」


 そんな事になったら、私の心はどうなってしまうのだろう。


 ──アンバー。


 どうして、この想いは消えないのだろう。

 もう私はアンバーの家来ではないはずなのに。

 怖くてたまらなかったのだ。

 彼女が無残にも殺されてしまう事が。

 そして、それを止める術が分からない事が。


 ──アンバー、どうか来ないで。


 震えながら願っていると、ルージュは再び私のもとへと近づいてきた。

 唇を奪うのに時間は要さない。

 彼女に求められるとすぐに受け入れてしまう自分もまたそこにいる。

 そうして何度も自分の従属性を教えられた後で、ルージュは囁いてきた。


「私の古い隷属たちは、足止めにもならないみたい。アンバーだけならばまだしも、魔女に、脂の乗った吸血鬼狩り。この二人が私の城を脅かそうとしている。もう行かないと。まずはこの二人を仕留めてくる。その間に、悪い狼がここへ来るかもしれないわね。いいこと、カッライス。あなたを食べにくる悪い狼を拒むのよ」


 命令だ。

 明確なその指示に、私は頷かざるを得なかった。

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