最終話 そのメイド、偽聖女に全てを奪われましたが、王子に溺愛されるようになりまして。
私たちの結婚式を翌日に控え、空が茜に染まるころ。
王宮のバルコニーに出た私たちは、夕風を浴びながら並んで立っていた。
人々の声はまだ城下に響いていて、けれどこの場所は不思議と静かだった。
私たちのためだけに用意されたような、穏やかな時間。
ふと、ポケットの中に手を伸ばす。
取り出したのは、新しい自分の手帳。
そっと広げると、そこには懐かしい面々の姿が“メモ魔法”で描かれていた。
メイド学校時代の仲間たち。
笑顔のルーシー、並んで立つジークとアモン様。
そして──私を見つめて優しく笑う、サクラお母さんの姿。
どれも、私が確かに共に過ごした、大切な人たち。
「……これからも、少しずつ宝物を増やしていくわ」
私はそれを見つめながら、そっと囁いた。
「お母様の手帳……取り戻さなくて良いのか?」
ふいにジークが問いかけてくる。
あの、すべての始まりだった“聖女のノート”について。
私は少しだけ驚いて、それから小さく笑った。
「いいのよ。それに……」
「それに?」
ジークが首を傾げたのを見て、私は肩をすくめながら答える。
「オリヴィアに渡す前に、お母さんのメモはちぎって捨ててしまっておいたの」
「なんだって? じゃあアレは……」
あの手帳の残りの部分には、私の個人的な夕飯のレシピとか、自作の詩とか……どうでもことばかり書いてあった。それをオリヴィアやグラン共和国の王子は重要な暗号だと勘違いしていたみたい。
そもそも私はメモ魔法でお母さんの知識は頭の中に入ってある。
「だからオリヴィアはこの国を捨てた時点で、最初から詰んでいたのよ」
ジークにそう説明すると、目を丸くしていた彼が急に笑い始めた。
「自作の詩……なら尚更、取り返した方が良いんじゃないか?」
「もう! 意地悪言わないで!」
私たちは顔を見合わせ、そして思わず笑った。
そしてジークはそっと腕を伸ばして、私を抱きしめた。
その胸の中は、あたたかくて、懐かしくて何より──安心できた。
「手帳なんか無くても、君がいれば、それで十分だよ」
その一言が、すべての答えだった。
過去も、記憶も、手帳の中身も。
どれも私を支えてくれたけれど──今の私は、もうそれに頼らなくても大丈夫。
となりに、この人がいてくれるなら。
それが、私にとって何よりの未来だった。
◆
王都の朝は、嘘のように静かだった。
窓の外から聞こえるのは、小鳥たちのさえずりと、遠くから響く祝宴の支度の音。
まるで世界そのものが、今日という日を祝ってくれているみたいだった。
陽光がカーテン越しに柔らかく差し込み、鏡の前に座る私の肩をそっと包んでくれる。
繊細な刺繍が施された花嫁衣装。
メイド学校の授業で憧れの王妃装束として学んだデザインの、どこか懐かしい意匠だった。
「動かないでー、ここ、まだ留めてないんだからっ」
「ほら、笑ってアカーシャ。今日くらいは“お姫様”の顔してなきゃ」
ルーシーや、かつてのメイド学校のクラスメイトたちに囲まれて、部屋の中はにぎやかな笑い声で満ちていた。
あの頃と変わらない口調で、でも、少しだけ誇らしげな瞳で私を見つめてくれる彼女たち。
私は鏡越しに、自分の姿を見る。
たどり着いたこの場所。
幾度も迷い、傷つき、立ち上がってきたそのすべてが、今、ここにある気がした。
視線を窓の外に向ける。
澄み渡る空の青さが、胸の奥をすうっと満たしていく。
「ようやく……ここまで来たのね」
ふいにこぼれた言葉。
笑った唇の端を、ひとしずく、涙が伝っていた。
だけど今日は、誰よりも笑顔でいたい。
誰かの背を追い続けていた私が、今日だけは、並んで立つのだから。
城門前──。
祭のように華やかに飾り立てられた石畳が、朝日に照らされてキラキラと輝いていた。
王都中から集まった人々の歓声と拍手が、鐘の音に溶けて空へと昇っていく。
その中央を、私はゆっくりと歩いていた。
片手で裾を持ち上げ、もう片方の手には、誓いの花束。
まっすぐに進むこの道の先には──あの人が、いる。
かつて“ステップガール”と呼ばれ、生きるためにメイドをしていた私。
でも今は違う。
今の私は、“祝福の花嫁”として、皆の前を堂々と歩いている。
たくさんの涙と、痛みと、迷いを越えてきた。
それでも歩き続けてきたから、今この景色に辿り着けたんだと思う。
そして、見上げた先。
ジークが、そこにいた。
整えられた正装の上から、いつものように少しだけくしゃっとした髪。
でもその顔には、いつにも増して穏やかで、誇らしげな表情が浮かんでいた。
目が合った瞬間、胸の奥がふっと温かくなる。
まるでこの世界に、私たちふたりだけしかいないような気がした。
私が歩み寄ると、ジークがそっと手を差し出す。
その手を、私は迷わず取った。
そして、二人で小さく頷き合う。
「何があっても、君を幸せにする」
言葉に込められた誓いは、どんな宝石よりもまばゆく感じられた。
ああ、この人は、本当に──私のためにここにいてくれるのだ。
胸がきゅっと温かくなり、私はそっと微笑む。
「今でも、十分幸せよ……ありがとう」
私たちの声が交わされたその瞬間、聖堂を包むように拍手が広がった。
すすり泣く音、笑顔に濡れる頬、誰もがこの奇跡のような一日に、心を揺らしてくれていた。
列席の中、ひときわ温かい視線を向けていたのは、ジークの祖母──シルヴァリア家当主、エミリー様だった。
彼女は静かにジークの手を取り、そっと優しくその手を包み込んだ。
「幸せに包まれた、良い式だね。おかげであたしの寿命も伸びそうだよ」
その言葉に、ジークが少し照れたように笑う。
彼女の横顔には、かつて私を厳しくも温かく鍛えた日々の記憶が、淡く重なっていた。
そして視線の先。
アモンとルーシーもまた、肩を寄せ合うようにして立っていた。
ルーシーは少し照れたようにうつむきながらも、そっとアモンの手を取っている。
たくさんの時を越えて、こうして皆が笑い合える日が来た。
それが、どれほど尊く、儚く、愛おしいか──
私は目を閉じて、心に深くこの瞬間を刻んだ。
ずっと、忘れないように。
私たちが信じて歩いてきた未来は、ちゃんとこの手に届いたのだと、胸を張って言えるように。
最後までご覧くださり、ありがとうございました!
完結まで時間がかかってしまいましたが、約18万字という旅を終えることができました。
ここまで来れたのもひとえに、読者様のおかげです。ありがとうございます。
そして重大発表が……!
なんと2025年5月16日(金)より、私が原作を担当した漫画がスタートいたします!
連載告知に伴い、ノベル版を特別公開いたしますので、是非!
下のリンクよりご覧いただけると嬉しいです~!!
素敵な告知イラストもあるので、見てみてくださいね!





