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第75話  そのメイド、終わりと始まりを見つめる


 空が唸り、大地が鳴る。

 魔力と魔力がぶつかり合うたびに、閃光と衝撃波が戦場を駆け抜けた。


 アモン様の放つ灼熱の火炎が、敵軍の前線を切り裂き、ジークの紡ぐ氷刃が、その隙を逃さず突き刺さる。


 ──炎と氷。

 相反する二つの力が交差し、まるで舞のように敵を薙いでゆく。



「進め! 我らの王子が道を拓いてくださっているぞ!」


 兵士たちの士気は最高潮に達していた。

 もはや誰も迷ってなどいない。


 剣を構える手に、盾を支える腕に、全員が王国の誇りを宿している。


 ジークが静かに指を振ると、氷の壁が瞬時に築かれ、敵の魔術を跳ね返す。

 アモン様の一振りで、前方の土が爆ぜ、敵兵が宙を舞う。



 その背中に、私は確かに見た。

 「この国を守る」という、二人の揺るぎない信念を。


 こんな戦場でさえ、少しだけ胸が熱くなってしまうのは不謹慎かもしれないけれど……でも、かっこいいものはかっこいい。

 あの人たちの背中が、どれだけ多くの人を引っ張っているか、私にはよく分かる。


 オリヴィアの姿は、すでにこの場の主役から降りていた。  信者たちの目は、もう彼女ではなく、前線で戦う王子たちに向いている。



「王国の勝利だ……」


 誰かが呟いたその声に、私は確信した。


 この戦場の“希望”は、すでに移り変わったのだ。


 私もまた、彼らの背を追って進む。

 たとえ私にできることが小さくとも──その誇りを、支える一人でありたいと、少しだけ誇らしい気持ちで歩を進めた。



 ──そのすぐあとだった。


 混乱の戦場の片隅で、グラン共和国の王子がオリヴィアの腕を引き、退却を図っていた。

 だが、あたりはすでに王国軍の勢いに呑まれていた。


「……離して。私はまだ、終わっていないのよ……!」


 オリヴィアの叫びとともに、風を裂くような魔力の流れ弾が走った。


 その軌跡は、皮肉なほどに正確で──彼女の胸を、真っ直ぐに貫いた。


 グラン共和国の王子が立ち尽くしたまま、その光景を見下ろしていた。

 そして、苦く吐き捨てるように呟いた。



「……これで利用価値も尽きたか。口ほどにもない」


 彼は一瞥すら与えず、くるりと踵を返した。

 そして、すでに懐に収めていた“聖女のノート”を手で軽く叩きながら、王国軍の追撃を避けるように姿を消していった。


 オリヴィアは、最期の瞬間すら誰にも惜しまれなかった。



 私は駆けつけ、倒れ伏したオリヴィアの傍に立った。

 彼女は信じられないものを見るように私を見上げ、何かを言おうとして……結局、何も言えなかった。


 私は、ただ静かにその亡骸を見下ろす。


「……あの時、幸運の金貨を私に渡さなければ、こんなことにはならなかったかもね」


 皮肉でも、嫌味でもなく。ほんの、少しの本音だった。


 母が命を落とすきっかけになったあの金貨。

 そして、グリフィス家で、オリヴィアが私に冷たく投げ与えた、あの時の金貨。


 私の運命を狂わせた象徴──

 だけど今、その運命が彼女自身を呑み込んだ。



 私は胸元に手をやり、あの金貨付きのネックレスを外すと、そっと彼女の亡骸の上に投げた。


「……お返しするわ。これで、ようやく帳尻が合ったでしょ」


 その場に散らばっていた兵たちの視線が、私の背中に集まる気配がした。

 でも、振り返らなかった。



 オリヴィアは、命と共に全てを失った。

 彼女が残したのは──誰の胸にも響かない、空虚な栄光だけだった。



 *  *  *


 王国軍の凱旋は、王都全体を祝祭の熱気で包み込んだ。

 空高く鳴り響く鐘の音。花びらが舞い、通りには民たちの歓声があふれていた。


 私たちはまだ泥と血の匂いを残したまま、勝利の列に連なっていた。

 晴れやかな空の下、戦場での傷がまだ癒えきらぬ身体にも、この光景はどこか優しく沁み込んでくる。


 肩を並べて歩きながら、私は周囲の笑顔に戸惑いながらも、ようやく「平和」という言葉の重みを実感していた。



 何度も失いかけた希望が、こうして取り戻される日が来るなんて。

 それは夢のようで、でも確かに、いま私たちの目の前にあった。


 ジークがその列の先頭に立ち、人々の視線を受けながら、静かに微笑む。

 軍服の裾が風に揺れ、その背に差す光はどこか誇らしく、そして穏やかだった。


 彼は、総指揮官としての任を解き、臨時国王の座から退くことを選んだ。

 曰く、「アモン兄上が適任だし、やってみて思ったけど、やっぱり自分にはちょっと荷が重かったかな」と、肩をすくめて笑っていた。


 その笑顔に、私はふっと息を漏らす。彼らしい、誠実で優しい選択。

 華やかな王座ではなく、ひとりの人間として隣に立つ道を──彼自身の意志で。


 そして、私の手を取って言った。



「君と共に生きる未来を、ようやく選べた」


 その声が、どんな言葉よりもまっすぐに私の胸に届いた。

 不安や痛みを乗り越えた先で、ようやくたどり着いた安堵のような温もり。


 胸の奥がじんわりと温かくなる。

 ああ、ようやくここまで来たんだ、と。


 この手を、もう離さない。

 私は、彼の選んだ未来を、しっかりと握りしめて進んでいく。

 それがどんな道であっても、隣に彼がいるのなら、きっと怖くはない。


 私たちの物語は、ようやく「始まり」に辿り着いたのかもしれない。

 そしてその未来は、まだ白紙のまま、私たちの手の中にあった。



 *  *  *


 アモン様の正式な即位式は、王都の最も古い聖堂で、厳かに、静かに執り行われた。

 天窓から差し込む光が、王冠に刻まれた宝石を優しく照らし、その姿を神話のように見せていた。


 彼は迷いなく、堂々と王としての責務を受け入れ、その手で王笏を掲げた。

 そしてその場で、彼が紹介したのは──私たちの、誰よりも誇り高き仲間だった。



「この者を、王妃として迎える」


 その言葉と同時に、壇上へと歩み出たルーシーは、凛としたまなざしで周囲を見回し、丁寧に一礼をした。

 誰もが息を呑んでいた。信じられない、という顔もあったけれど、それ以上に……拍手だった。

 驚きと、感動と、そして、彼女の生き様への尊敬がこもった、あたたかな拍手。


 没落していたルーシーの家は、王命によって復興が決定された。

 遠く離れていた故郷にも、ようやく春が訪れるのだ。



「お傍にいられるだけで、十分です」


 そう呟いたルーシーの横顔は、晴れやかだった。


 けれどアモン様は、彼女の手をそっと取り、穏やかに笑った。


「それでも、君に隣にいてほしい」


 その言葉に、ルーシーはほんの一瞬だけ目を伏せ、そして、うなずいた。


 式の後、彼女がひとり静かな回廊に立っていたのを、私はそっと見つめていた。

 長く揺れる青い髪。その肩が、小さく震えているのが分かった。



 ルーシーは、誰にも見られないように、涙を拭っていた。

 ずっと蔑まれてきた鎖魔法と共に、自分の人生もようやく報われたのだと……その胸に、きっと深く刻んでいたのだろう。


 その背中が、どこまでも誇らしくて、私は目を細めて、ただ静かに頷いた。



 *  *  *


 その後、私たちはそれぞれの道を選ぶことになった。


 アモン様とルーシーは、王国の中心に残り、国と民のために尽くす道を選んだ。

 彼の傍らに立つルーシーの姿は、王妃としての威厳と、優しさと、かつての仲間としての変わらぬ強さを宿していて。


 ふたりは共に歩む覚悟を胸に、王国の未来を照らす光となっていた。



 そして、私は──ジークと共に、静かな地方の領地へ移った。

 喧騒から少し離れたその地で、花咲く庭と小さな湖のある屋敷で、ゆっくりとした日々を始めた。


 ジークは政からは離れても、村の人々と向き合い、知恵と技で地を耕し、未来を育てていた。


 私はその隣で、共に笑い、時に手を取り合って歩くことが、何より幸せだった。


 別々の道を選んでも、私たち四人の絆は変わらなかった。

 遠く離れていても、きっと同じ空の下で、互いを信じ合っていると、私はそう思える。



 ある夜。

 私は庭に出て、満天の星空を見上げた。

 空は澄んでいて、風は心地よくて。

 そっと胸に手をあてて、私は目を閉じる。


(すべてを奪われたあの日から、ようやく私は、自分の意思で未来を選べるようになった)


 その瞳には、もう、かつてのような迷いはなかった。


 私はここにいる。

 私の足で立ち、私の心で選んだ道を、これからも進んでいく。


 そして、この穏やかな日々が──永遠ではなくても、続いてくれることを願っていた。







 ――次話、最終話。

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