第71話 そのメイド、密命を帯びる。
風が頬を撫でる。
掲げられた旗が高らかにはためき、朝靄の向こうに広がる戦地が視界に現れる。
目指す場所は、まだ遠い。
けれど今の私は、一歩ずつ、確かにそこへ向かっている。
隣にいる彼と共に――希望という名の道を進むために。
そしてその時、前方の斥候が急ぎ足で戻ってきた。
「報告! 道の先に……奇妙な構造物が出現しています!」
空気が、ぴんと張り詰めた。
すぐさまジーク様が馬を進め、斥候に詳しい状況を尋ねる。
「未確認の設営物です。監視の気配はありませんが、ただの残骸とは思えません。あれは……砦の構造に似ています」
ジーク様は一瞬だけ考えを巡らせると、私の方へ視線を送った。
「クロス砦だ。かつて王国の通信拠点だった場所で、廃墟のはずだが……」
「何者かが、そこを使っている……?」
私の問いに、ジーク様は頷く。
「状況を確認する。アカーシャ、共に来てくれ」
頷き返しながら、胸の奥に不穏なざわめきが広がっていくのを感じた。
その砦が、偶然そこに現れたのではないという予感が、私の背を冷たく撫でる。
現地に到着すると、かつての王国建築様式が部分的に残された石造りの壁と、増築された粗雑な小屋のような構造が目に入った。
「誰かが……中にいる」
私の魔力感知魔法が、かすかな反応を捉える。
廃墟にしては、あまりに“生きている”気配が濃すぎた。
そのときだった。
「ジーク様。王直属の使者が到着しました!」
部下の報せと共に、王印の封蝋が押された密書がジーク様の手に渡された。
それを開いた彼の表情がわずかに引き締まり、私の名を呼ぶ。
「これは……王直属の密命だ。アカーシャ、君に協力を頼みたい」
密書に記されていたのは、「王国軍内に潜む内通者の摘発と、砦に残された機密文書の回収」――極秘任務だった。
私は迷わず頷いた。
この任務の先に、何が待ち受けているのか。
そのすべてを記し、見届ける覚悟は、もうとっくにできているのだから。
ジーク様は頷くと、部下の中から少数の精鋭を選び、本隊には極秘行動であることを伏せたまま別行動の準備を進めた。
私たちは本隊から静かに離れ、クロス砦への潜入を開始する。
空はまだ灰色に煙り、風は湿った冷気を運んでくる。
足音ひとつ立てないように馬の歩を進めながら、私は鞄から記録帳を取り出した。
“メモ魔法”を展開し、地図と過去の軍記録とを照合していく。
「……クロス砦は、もともと王国の東方連絡網の中心だった。設計は古いけれど、防衛戦術には優れていたと記録されてる」
私が呟くと、ジーク様がちらと横目を寄越す。
「その知識があるだけで、十分だ。今の砦がどう再利用されているか、現地で照らし合わせよう」
私は魔力で複製した砦の立体図を宙に浮かべながら、壁の厚みや通路の配置を思い出すように指を走らせた。
ジーク様の馬が私の隣に並び、その声が少しだけ近くで響く。
「君の記憶と魔法が、今回の鍵になる。頼りにしている」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
私は小さく頷き、再び記録の中へと集中する。
風が強くなり、木々の枝がざわめく中、私たちは沈黙のまま砦へと迫っていった。
静かで、けれど確かに、何かが待ち構えている気配がしてならなかった。
クロス砦は、想像していた以上に朽ちていた。
石造りの外壁は苔むし、崩れかけた塔の一部には風が吹き抜け、かすかな笛のような音を響かせている。
かつて王国の通信を支えていたその場所には、今はもう、誰のものでもない沈黙が広がっていた──はずだった。
私はふと、足を止める。
鼻先をかすめた匂い。
「……火の……匂い……?」
かすかに残る焦げた木の香り。焚き火の残り香だ。
この場所に、誰かが最近までいた証拠。
私は魔力感知の術式を展開し、ゆっくりと魔力の糸を広げていく。
「いる……誰かが、この中にいる」
小さく囁いた私の言葉に、ジーク様が頷くと、手で静かに合図を送った。
部下たちは即座に散開し、物音ひとつ立てず砦の周囲を囲む。
ジーク様は私を見やり、一つ頷くと、廃墟の壁の死角へと身を滑り込ませた。
私は背を低くしてその後を追う。
石壁の隙間から、砦の中を覗き込むと──
かすかな灯りが、誰かの手元で揺れていた。
人影が三つ、囲炉裏のようなもののそばで何かを話し込んでいる。
そのうちの一人が、王国軍の軍服を身につけていた。
しかし、その服には見覚えのない紋章が、無造作に縫い付けられていた。
私の背筋が、ぞくりと凍るような感覚に包まれる。
裏切り者は、確かに存在する。
そして、今この瞬間にも──この砦で、何かが動いている。
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