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【完結】孤児メイドの下剋上。偽聖女に全てを奪われましたが、王子に溺愛されるようになりまして。  作者: ぽんぽこ@銀郎殿下5/16コミカライズ開始!!
第6章 とあるメイドの潜入

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第67話 そのメイド、幸運を忍ばせる

 冬の夜がまだ名残を残す黎明の空の下、私は王宮の中庭に立っていた。


 吐く息は白く、胸の奥に冷たい風が吹き込むような心地がする。ひとたび鳴り響いた鐘の音が空気を震わせ、背筋が自然と伸びた。


 目の前に並ぶ兵たちの甲冑は朝露をまとい、淡く光を反射していた。これから始まる戦の気配に、誰もが静かに息を潜めている。


 回廊に佇む貴族たちの視線も、この場の張りつめた空気をより一層強くする。


 そんな中、玉座から王が静かに立ち上がった。その動きひとつで、場の空気が変わるのを肌で感じる。



「――王国軍、出陣を許可する」


 王の言葉が、私の胸の奥に重く降りてきた。

 ついに、この国は剣を取る。

 そして私もまた、その決意の一端を担うのだ。


 戦略会議で決定された通り、王国軍は二手に分かれて進軍する。


 陽動の主力部隊を率いるのは、第一王子・アモン様。燃えるような魔力を宿したお方で、山道を進み敵軍の注意を引きつける要として先陣を切る。



 そして、私の隣に立つのは――ジーク様。静かなる策士と称される第二王子であり、急襲部隊の指揮を執るお方。

 私も、彼とともに本隊を迂回し、敵本陣へと切り込む任務に加わることを選んだ。



 凍てついた大地の上に立ちながら、私は己の足元を見つめる。

 逃げ道は、もうどこにもなかった。


 ならば、前に進むしかない。


 ジーク様とともに。

 母の遺したものを取り戻すために。

 そして、私自身の未来を選び取るために。


 出陣の準備が整ったあとも、私はしばらく馬の傍で風の音に耳を澄ませていた。

 そんな私の背後から、ジーク様の足音が静かに近づいてくる。



「アカーシャ」


 その声に振り返ると、彼は真剣な眼差しで私を見つめていた。


「これから向かう任務は、危険を伴う。……戻ってこられる保証は、どこにもない」


 淡々とした口調の奥に、私を気遣う揺らぎがあった。

 でも、私はただ頷く。


「それでも行くわ。手帳を取り戻すには、私自身が向き合わなきゃいけないから」


 一瞬、ジーク様の目が細められ、そして微笑が浮かぶ。

 彼はそっと私の手を取り、両手で包み込んだ。


「分かった。君と一緒なら、何が待ち受けていても越えていける」


 その言葉に、胸の奥がほんのりと温かくなる。

 たとえこれからどんな困難が待っていようとも、隣にこの人がいるのなら、私は歩みを止めない。



  * * *


 あの朝を迎える前日のこと。夕暮れが夜へと溶けていく静かな時間。翌日の出立を前に、私はひとつだけ、どうしても済ませておきたいことがあった。


 私は足早に王宮の回廊を歩いた。向かった先は、ルーシーの部屋だった。


 支度を整えていた彼女は、驚いたように目を見開き、それから少しだけ照れくさそうに微笑んだ。



「どうしたの? こんな時間に」


「渡したいものがあるの」


 私はそっと、小さな布包みを彼女の手に握らせる。

 ほんのひと握りほどの重さ。けれど、そこに込めた想いは、決して軽いものではなかった。



「もしもの時のために。これは……私の“幸運”よ」


 ルーシーは戸惑いながら包みを見つめ、そして、顔を上げる。


「これって……貴女の、大事なものじゃ……?」


「いいの。貴女が持っていて」


「でも……」


「私はね、大事な友達にこそ有効活用してほしいの」


 その言葉に、ルーシーの瞳がわずかに揺れた。

 けれどすぐに、彼女は真っ直ぐに私を見つめ、小さく頷く。



「……ありがとう。必ず、役に立てるわ」


 その声に、嘘はなかった。

 彼女がどれだけの覚悟を持ってこの戦に向かっているのかを、私は知っている。


 そして私もまた、この手で選んだ未来を、信じて進むと決めたのだった。



(アカーシャがくれた“幸運”──きっと、無駄にはしない)


 ルーシーはそう心の中で呟きながら、包みをそっと胸元にしまった。


 その中に何が入っているのか、誰も知らない。

 ただ、淡い金属の冷たさと、指先に伝わるわずかな魔力の気配が、それが“ただの贈り物”ではないことを物語っていた。



 * * *


 黎明の空の下、私は中庭の一角から、そっと彼らを見送っていた。


 王都を発つ刻限が迫り、城門の前にはすでに出発の準備を終えた兵たちが整列している。吐く息は白く、空はまだ夜の名残をとどめている。


 アモン殿下は馬上からルーシーに目を向け、短く問いかけた。



「……覚悟はできているのか?」


「もちろんです、殿下。あの日、お願いしたときからずっと」


 それ以上、言葉はなかったけれど、ふたりの間に流れる空気はどこまでも静かで、そしてどこか温かかった。



 並んで馬を進めるふたりの背中を、私はただ黙って見つめていた。風が、掲げられた旗を揺らし、まだ明けきらぬ空を裂くようにはためく。


 ルーシーの胸元に抱かれている、小さな布包み。

 私が渡した“幸運”が、確かにそこにある。


 それが何であるかを、誰も知らない。

 けれど、それが命運を分けることになる──そう信じずにはいられなかった。


 アモン殿下とルーシーが率いる陽動部隊は、やがて静かに城門をくぐり、まだ霞の残る街道を北東へと進んでいった。

 蹄の音が遠ざかっていくにつれ、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われる。



(どうか……あのお守りが、彼らの命を守ってくれますように)


 私は目を閉じ、そっと祈る。

 願いという名の小さな灯火が、彼らの道を照らし続けてくれることを、ただ信じて。



 そして今度は、私たちの番だった。


 陽動部隊が予定通り進軍を開始したという報せが届いたのは、それからほどなくしてのことだった。

 空はすでに明け始め、白んだ光が中庭をやわらかく包んでいた。



 私とジーク様は、静かに並んで馬にまたがっていた。

 風が髪を揺らすたび、胸の奥がざわめく。それでも私は、彼の隣にいるという事実だけを心の支えにしていた。


「絶対に、取り戻すの。お母さんの遺したものも、私たちの未来も」


 声に出すと、不思議なほど気持ちが澄んでいった。

 ジーク様は私の言葉に頷き、静かに微笑む。


「ああ。君が隣にいてくれる限り、恐れるものは何もない」


 彼の声はあたたかく、そして揺るがない力強さを帯びていた。私は彼の言葉を胸に刻み、手綱を握り直す。



 ジーク隊は音もなく動き出す。

 王都の喧騒が遠ざかり、私たちは静かに、けれど確かな決意を持って平原を進んでいく。


 陽動部隊が囮となって敵の目を引いている今、私たち急襲部隊の任務は確実に敵本陣へ辿り着くこと。

 母が遺した大切な手帳を、そして、この国の未来を取り戻すために。


 朝の光の中を、私たちは静かに駆け出した。

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