第64話 そのメイド、耐える。
「えっ……お、お前……」
「すみません、その魔法お借りします!」
解毒魔法の医師は私を見て唖然としていた。他の者たちも同様だ。
でも、もうそんなものに構っている暇はない。私は急いで手帳を開き、魔法陣の転写を始めた。そして、その複雑さや難解さに思わず舌を巻く。
「(これを一瞬で……しかもあんな短い詠唱で?)」
はっきり言って無茶苦茶だ。こんな高度な魔法をこんなに早く使いこなせるなんて、さすがは宮廷魔法師というべきか。
「(私に再現できる?)」
そんな不安がよぎるけれど、絶対に失敗はできないから……全部思い出せ!
「――アカーシャ!」
「だいじょうぶ……!」
一気に大量の情報を頭に詰め込んだせいか、自分の限界を超えていたみたい。鼻からドロリとした血が垂れてきた。
だけど今はただ、目の前のことに集中すればいい! 私は頭の中に浮かんだ魔法陣を手早く書き写していく。
「できたっ!」
手帳に次々と花のような形の魔法陣が描かれて、ようやく一つの魔法陣が完成した。でもまだまだだ。
あの魔法陣は立体的にできている。四方すべてのメモを繰り返して書かなくちゃ。
もっとリアルに、緻密に、少しのミスも無いように……。
「……っ」
そんなことを考えていると突然、後ろからジークに抱き締められた。彼は目に涙を溜めながら私の名前を叫ぶように呼んでいる。
「あ、ジーク……?」
「僕が支える!」
そう言って彼は私を強く抱き締める。彼の温もりを感じて初めて私は自分の体が震えていることに気が付いた。そして自分が大量の汗を流していることも……。
でも、ここで諦めるわけにはいかないんだ! だってこれは――国王陛下とアモン殿下を生かすための唯一の手段なんだから!
「描けた……っ」
私は荒い息を吐きながら、猛スピードで書き上げたすべての魔法陣を床に並べ始めた。この陣形もきちんとメモ帳に記録しておくことも忘れない。
「……ジーク、あとはお願いっ」
私はゆっくりと振り返り、彼と目を合わせた。ジークは優しく微笑むと私の頭を撫でながら、優しい声でこう囁いた。
「アカーシャ……キミはやっぱり凄いよ」
――違うよ、貴方の言葉が私の背中を押したんだ。
「この魔法陣を僕の氷魔法で具現化する。魔力を流して補助できる者は手を貸してくれ」
ジークがそう言って周りを見渡すと、幾人かの医師たちが名乗りを上げた。中には騎士や私と同じメイドもいた。彼らを自分の周囲に円形に並ばせ、ジークは魔法陣を展開する。
「皆、行くぞ! 力を貸してくれ!」
ジークは魔法を唱えて両手を前に突き出すと、床に並べられたメモ帳に描かれた複雑な魔法陣から光が溢れ出す。
そして床から上に向かって、何本もの青色の筋が伸びていく。まるで種が芽吹き、植物が成長していくように。
あれはきっと、彼が氷で魔法陣の図形をトレースしているんだ。
「本当に再現可能なのか?」
「今は殿下を信じるしかないっ、集中するんだ!」
不安に感じた医師たちがそんな声を漏らす。
彼らの言うように魔法を他人が使うだなんて、前代未聞の行為だ。それでも今はただ、彼が成功させてくれることを信じるしかない!
「今だっ」
「分かりました、行きます!」
呼応するかのように医師たちが一斉に杖を振りかざした。その瞬間――地面が激しく揺れ動き始めた。
「(お願いっ……皆を助けて……!)」
みんなを応援するように風が吹き荒れる。
医師たちから次々と魔力が供給され、魔法陣に大量の魔力が流れ込んでいくのを感じる。
最初は細かった青の芽は逞しく育ち、脇から生えた枝は蔦のように伸びて魔法陣の形をなぞっていく。
もちろん、ひとつだけじゃない。部屋中を満たすようにいくつも広がっていく。
やがてそれらは、冷たい輝きを放つ氷の薔薇園へと姿を変えたのだった――。
「うぉぉぉぉおおおおおおおおお!」
まるで地鳴りのような医師たちの叫び声と共に、青白い閃光を放つ巨大な魔法は完成した!
ジークの強大な氷属性魔法の奔流に押されるようにして、私のメモ帳から書き写した大量の解毒魔法が一気に発動する。
あまりの眩しさに目が眩みそうになる中、治療を始めていた者たちが次々と呻き声を上げ始めた。
どうやら彼らは魔法の効果が現れたみたい!
「やったぞっ……間に合ったんだ!」
視界の先には歓喜に打ち震える医師たちの姿があった。
だけどまだ終わりじゃない。完全に毒が抜けるまで魔法を掛け続けなくちゃならない。
ジークの手を握り、なけなしの魔力を使って私も協力する。
「(お願いだから……早く起きてよッ――)」
どうかこのまま何事もなく目を覚ましますように……そう祈りながら私たちの魔力で包まれた魔法陣は輝き続けるのであった。