第36話 そのメイド、奪い合われる。
「お二人とも、準備はよろしいですね?」
最低限の鎧と剣を装備した僕たちに、審判役となった宮廷魔導士が魔法障壁の外側から声を掛けてきた。彼は非常に緊張した面持ちだ。これから自国の王子二人が本気の決闘をするというのだから、彼が今抱えている気苦労は計り知れないだろう。
「ああ、俺はいつでもいいぜ」
「僕も構いません」
兄上は僕よりも大振りのロングソードを正眼に構え、戦闘に入る体勢を取っている。兄上も僕と同じく、魔法を使える剣士だ。それも文字通り僕を消し炭にするほどの凄まじい火力を持つ、国内でも最強クラスの炎魔法の使い手。
対する僕が得意とするのは、発動が速く、相手を拘束することに特化した氷魔法。だとすれば、兄上が魔法を発動させる前に攻め入るのが上策なはず――。
「それでは――始め!」
開始の合図と同時に、兄上の周囲に手のひらサイズの魔法陣が次々と浮かんでいく。予想通り、初手から魔法で攻撃してくるようだ。
一方の僕は氷魔法ではなく、身体強化の魔法を行使する。これは魔法使いなら誰でも使える無属性の初期魔法だけど、今はそれで充分だ。ただし僕はこの魔法を身体全体ではなく、両脚のみに使っていた。
「兄上、お覚悟をっ!」
初歩的な魔法だけあって、発動が他の属性魔法よりも断トツで早い。かつ効果範囲を両脚に限定することで、効果はそれなりに高まっている。おかげで一気に間合いを詰めることに成功し、そのまま兄上に向かって剣を振り下ろした。
兄上には悪いけど、この勝負を譲る気はない。王位も権力も僕は要らない。だけどアカーシャだけは絶対に駄目だ。
――が、兄上は僕の急接近に対し、余裕の笑みを浮かべていた。
「……えっ!?」
「残念だったな。あいにくと、お前の行動は誰よりも予想しやすいんだよ」
あわよくば、一撃で決着を――と思ったが、そう甘くはなかった。
兄上は剣が届く直前に、自身の右足を下げた。たったそれだけのことで、僕の渾身の一撃はいとも簡単に避けられてしまった。まるで、最初からどこにどんな攻撃が来るのかが分かっていたかのように。
――迂闊だった。そういえば兄上も騎士団長に戦闘を学んでいたんだっけ。ともすれば戦い方の定石なんて当然理解している。兄上にとって、僕の策なんて教科書通りでしかないのだろう。
回避が成功するや否や、兄上は敢えて発動を遅らせていた魔法を発動する。空中に浮かぶ十数個の魔法陣から生まれたのは、炎でできた槍だった。それらはすべて、剣を振りぬいて隙だらけとなった僕の腹部を狙って一斉に放たれた。
「甘いですよ、兄上っ!」
だけど僕だってそう簡単に負けるわけにはいかない。こっちは実際に騎士としての現場で、命がけの戦闘を経験しているんだ。この程度のピンチではまだ諦めたりなんかはしない。
僕は氷の魔力を剣に纏わせ、次々飛んでくる炎の槍を弾き飛ばしていった。
「……へぇ、やるじゃないか。じゃあこれはどうかな?」
ゼェゼェと息を吐きながら光速で飛び交う槍をすべて捌き切ると、そんな言葉を掛けられた。炎魔法の熱で湧き出る汗を拭いながら周囲を確認すると、僕の周囲四方には大人の身長ほどの高さのある巨大な魔法陣が浮かんでいた。
「《火炎地獄》」
兄上がそう呟いた瞬間。周囲の気温がさらに上がり、業火でできた大波が僕を包囲するように襲いかかってきた。
僕は全力で身体強化を掛け、波にのまれまいと上空へ飛ぶ。そしてそのまま再び兄上に肉薄しようとした時、足元に違和感を覚えた。
「っ、いつの間に」
着地した先の地面が、うっすらと光った気がしたのだ。
危ないと感じた僕は、慌てて後ろに飛び退く。先程まで立っていた場所には巨大な穴ができており、底からは煙が立ち昇っている。
……まさか地面にまで魔法を仕掛けていただなんて。もし兄上に集中しすぎて気付かなかったらと思うとゾッとする。
「ちっ、今のも避けたか……だが、お前はやっぱり搦め手に弱いな」
「久しぶりに会話をしたかと思えば決闘、そして今度は説教ですか。兄上はいったい何がしたいのですか?」
「ふっ、そう邪険にするなって。たまには昔みたいに、兄弟喧嘩をするのもいいだろう?」
そう言って兄上は再び魔法陣を展開し始めた。
まだ決闘が開始されて数分しか経っていないが、互いに一切の手加減は無く、僕の体力と魔力は限界に近い。
兄上も今度こそ決着をつけるつもりなんだろう。
今までで一番の魔力を練り上げると、さらに効果を高めるための呪文を唱えた。
「《天に浮かぶ熱き我が魂よ、敵を熔かし尽くせ。――落陽》」
直後、魔法陣が回転しながら決闘場の上空へと昇っていく。見上げるとそこには太陽と見紛うほどの強烈な光が集まっており、それが僕を目掛けて落ちてきた。
くそっ、これまでの兄上はちっとも本気なんかじゃなかったのか。
炎の槍や竜巻ですら、ただの小手調べ。そうとしか思えないほどの圧倒的な熱量を持った炎の集合体が視界を埋め尽くす。おそらくはこの魔法障壁で囲まれた決闘場ごと灰にするつもりだ。
「これが兄上の魔法……!!」
「臆したか、ジーク。今ならまだ降参も間に合うぜ?」
「――っ!」
この人、王なんかよりも宮廷魔導士になる方が良いんじゃないのか?
視界の端に映った審判役の魔導士の顔が、可愛そうなほどに真っ白になっている。おそらく、全力で魔法障壁に魔力を注いでいるのだろう。周囲で控えていた魔導士も慌てて補助に入っている。
これはさすがに危険だと判断した僕は、自分の使える魔法の中で最硬度の防御魔法を使うことにした。幸いにもそれは兄上の魔法よりも早く展開され、僕ひとりを覆うようにドーム型の真っ白な氷のカーテンが現れた。薄さのせいで頼りなくも見えるが、魔法耐性には自信がある。これならこの城の壁にだって引けを取らない。
――だが、おかしい。
「まさか最上位の魔法すら囮にしたのか!?」
どんな恐ろしい威力の炎なのかと思いきや、攻撃が来る気配が一向にない。それどころか、さっきまで前方にあったはずの兄上の魔力が消えている。
警戒しつつも急いで防御魔法を解除し、状況を把握しようと努める――が、それはもう遅かった。兄上はすでに僕の背後に回り込んでいたのだ。
「くうっ!!」
派手な魔法にばかり気を取られ、剣による攻撃に対して完全に不意を突かれた。兄上は敢えて身体強化の魔法すら使わないことで、己の魔力を感知されないようにしたのだろうが――それは魔法を使う相手との戦闘に慣れている僕にとって、効果は大いに覿面だった。
半ば無理やりに身体をねじり、右手に持つ剣ごとグルンと半回転させる。剣技とも言えない、あまりにも不完全な防御。だが遠心力も利用することで、背後からの斬撃をどうにか受け止めることができた。
そして数秒の間、魔法を使わないただの鍔迫り合いが続く。――そこで初めて、僕は兄上の顔を間近で見ることができた。
「……っ!?」
思わず息を呑む。
そこにあったのはいつもの明るい太陽のような笑みではなく、冷徹な王の顔だった。人を駒としか思わないような凍てつく視線に射抜かれ、一瞬だけ身体を強張らせる。
そしてその隙を逃すほど、兄上は甘くなかった。
僕を強引に押し退けると、剣を横薙ぎにした。かろうじて防ぐものの、体勢が崩れてしまい膝をつくことになった。
「ジーク、たしかにお前の素直さは美徳だよ。正直、羨ましいぐらいにな」
「兄上……?」
「――だが人間の悪意に対してあまりにも弱すぎる。今のお前じゃ、大事な人を守り抜くことなんてできないぜ」
兄上の剣が、僕の首元を目掛けて容赦なく振り下ろされる。焦りと恐怖で全身に鳥肌が立つ。
これまでの戦闘経験が僕の脳に死を予想させたのか、時が進むのが異様に遅くなっていく。迫りくる刃に自分の顔がはっきりと映って見えた。玉のような汗が頬を伝い、滴り落ちている。
その視界もゆっくりと、暗くなっていく――。