第31話 そのメイド、国王に警戒される。
今回より第4章となります。
~ゼロムス=アレクサンドロス国王視点~
「うぅむ……これはどうしたものか」
この国の王だけが使うことが許される、豪奢な執務室にて。どれだけ長い間座っていても疲れない特別製の椅子に座りながら、余は多大なる疲労感に襲われていた。
「どうされたのですか、陛下。さっきからずっと何かを迷われているようですが」
「――すまない、バハムス。ちょっと困った案件ができてしまってな……」
側近の声に誘導され、顔を上げる。気が付けば窓から夕陽が差しこみ、宰相であるバハムスが心配そうな表情を浮かべてこちらの様子を窺っていた。
バハムスは双子の弟であり、余が最も信頼を寄せている男でもある。書類仕事のやりすぎで眼鏡をしているが、それを取れば余にそっくりの顔をしている。
「お前ならこれを読んでどう思う」
「私が読んでも良いのですか?……シルヴァリア公からの手紙? これはまた、随分と珍しい御方からですね」
悩みの種は執務机の上にある一通の手紙だった。遠慮はいらんから読め、とばかりにその手紙をバハムスの方へグイッと押しやる。彼は少し訝し気にその手紙を読み始めると、次第にその顔を曇らせていった。
「成る程。たしかにこれは、陛下が頭を悩ませるほどの案件ですね」
「だろう? さすがの余もこれには頭痛がしてきたぞ」
三日三晩は寝ずに公務を果たせる強靭な体力がある。そう自負する余ではあるが、これにはさすがに参った。長いこと連絡を絶っていた義母――余の第二夫人の母からの手紙には、こう書かれていたのだ。
『あたしの可愛い孫が平民のメイドに恋をした。お前がどうにかしてやってくれ』
その一文だけで、余は頭を鈍器で叩かれたかのような衝撃を受けた。シルヴァリア公の孫ということは我が息子であり、第二王子でもあるジークハルトのことを指す。
あやつは自身の母親たちに起きた暗殺事件を受けて、早々に王座の争いから身を引いて騎士団へと入った。たしかに王の座には長兄であるアモンの方が相応しいだろう。だがジークハルトも負けず劣らず優秀で、もしアモンがいなければ確実に王となっていた存在だ。
「まさかそのジークハルトが色恋沙汰で、ここまで拗らせるとは……」
「ジークハルト殿下は断固として、婚約者を作ろうとはしませんでしたからね」
「それがどうしてこんなことに……」
いったい誰に似たのやら、頑固者のあやつが女に興味を持ち始めたこと自体は良い。だがそれが平民のメイドだと!? いくらなんでも、相手が悪すぎるだろう。
「さすがに王子が平民を妻に迎えるのは問題がある」
相手が貴族ならまだしも、王族の血筋というのはかなりややこしいのだ。余だって愛人などは作らないようにしているし、隠し子なぞもっての外だ。ただでさえ第三夫人まで抱えて後継者争いを起こし、妻を二人も失っている。子供たちにはこれ以上、不要な心の負担をかけたくはない。
「ですが、それはシルヴァリア公も重々承知なはずでは」
「そうなのだ。あの方は余よりもずっと、そのあたりに関して厳格だった。だからこそ、妻を護れなかった余を長年恨んでおられた……それがいったい、どうしてしまったのだ?」
「あの方も高齢ですからね。なにか心境の変化があったのでは?」
ふぅむ、たしかにバハムスの言う通りではあるのだが。戦場に咲くバラと恐れられたあの方が、そう易々と老いるとも思えない。下手すれば余の方が先にくたばってしまいそうなほどの豪傑なのだ。
「――まったく。最近は隣国の動きが怪しいというのに、今度は息子の問題か。なぁ、バハムスよ。王なんて軽々しくなるもんじゃないな」
「僅かでも私が後に生まれて、本当に良かったと思いますよ。……宰相でも十分、苦労をさせられておりますが」
「お前だけは絶対に逃がさんからな。万が一、余に何かが起きた場合。お前が代わりにこの椅子へ座ることになるのだから」
息子たちは優秀だが、王の器となるにはまだ足りぬものが多い。そうなればこの国の指揮を執れるのはこやつしかおらん。それをもバハムスも分かっている。
「はぁ……どうしてこんなことに」
「本当ですね。ああ、早く家に帰ってマヨネーズたっぷりの愛妻手料理が食べたくなります」
「……羨ましいやつめ」
重苦しい雰囲気となってしまった執務室で、疲れ切った男二人が深いため息を吐く。
「――ちょっと待てよ? なぁバハムス」
「はい、なんでしょう。今から立場を代われと言われても、私には無理ですよ」
「そうじゃない。いや、代わってはもらいたいが……変わったメイドについて、少し前にどこかで聞かなかったか?」
あれはたしか……そうだ。アモンの影をやらせている従者から、不穏な話を耳にしていたことを思い出した。
第一王子であるアモンもまた、婚約者が決まらずに苦労している。あやつも中々に強情で、自分で妻を選ぶと言って聞かなかった。だから王妃候補者を順当な貴族令嬢たちの中から決めさせ、交流を深めるよう言いつけておいたのだ。
だが最近、アモンは違う女に興味を示した様子だと従者が口にしていた。
「あやつが候補者の家で働いていたメイドと、楽しそうに会話をしていたとかなんとか」
「そういえばそんな報告が上がっていましたね。ただアモン殿下の場合、恋慕というよりも友人のような関係だと……」
「だがその報告にあったメイドと、この手紙にあったアカーシャというメイドは特徴があまりにも似ておる。なにより平民でメイド学校に通う珍しい奴なぞ、他に聞いたことがない」
今は不仲が噂されるほどにまで兄弟関係が悪化してしまったアモンとジークハルト。だが母親たちが健在だった頃は見た目こそ違えど仲が良く、性格がよく似ておった。息子たちの女性に対する好みが似ていたとしても、何ら不思議ではない。
「ゼロムス兄上。なんだか私、嫌な予感がしてきたんですが」
「奇遇だな、弟よ。俺もだ」
万が一にも、この国の王子二人が同じメイドに恋をしていたとしたら――。そんな考えが頭をよぎった途端、俺たちは口調がくだけてしまうほどに動揺してしまっていた。
「どうするんですか、兄上。この国の一大事ですよ、これは」
「それ以上言うな。どうすればいいかなんて、そんなことは俺が一番知りたいわ」
世間じゃそれなりに頼れる王だと評判を受けられるまでに頑張ってきた。そんな俺でも、息子の恋愛事情までどうにかすることはできない。くそぅ、義母上め。俺に面倒事を押し付けやがったな?
「せめてそのアカーシャというメイドが、聖女であれば……」
「まさかそんな都合の良いことなんて起きませんよ。それに聖女はすでに現れておりますし」
「あくまで聖女候補、だがな。あの家の娘を簡単に聖女と認められるわけがないだろう」
突然現れた聖女の知識を受け継いだとされる少女、オリヴィア。
だがくせ者揃いのグリフィス侯爵家の中でも、最も危険視すべき人間があの娘なのだ。彼女は巷では聖女の再来だと持てはやされているが、アレは見た目通りの性格じゃない。なにか裏があることは俺も直感的に分かっている。もはや聖女というよりも、魔女と言った方が適切だろう。
だからアモンと婚約さえてはどうかという話が出た際も、俺は慎重になるべきだと言って保留にさせたのだ。
「ともかく、だ。そのアカーシャという者をこちらで調べさせてみるか」
「そうですね。出自からメイド学校に入学するまでと、その後。普段の生活から何か怪しい言動がないか。すべてを事細かく調査させます」
「頼んだぞ……この国の未来が懸かっているんだ」
頼むから何かの間違いであってくれ――そう願いを込めて、我が弟に命令を下す。バハムスはいつも以上に真面目な顔つきで、深く肯いた。