第30話 そのメイド、公爵に見直される。
~シルヴァリア公爵(エミリー様)視点~
あたしには最近、悩みがある。顔のシワが増えて、昔に比べて体力が落ちた――そんなことが些細に思えるほどの、大きな悩みだ。それが始まったのは、半年近く前のこと。
「ねぇ、お婆様。お婆様ってお爺様からどんな風に口説かれたの?」
「――はぁ?」
ある日突然、あたしの屋敷にやってきたジークがそんなことを聞いてきた。
「あんた、今まで恋愛になんて一切興味を示さなかったじゃないか。それなのに、いきなりどうしちまったんだい」
あたしは孫の口から飛び出たセリフに驚き、ジークから貰ったばかりのキンカチョウの花を思わず落としてしまいそうになる。ここへ来る間に頭でも打ったのかとも思いきや、この子はいつも通りの真面目腐った表情であたしの答えを待っていた。
「いや、男女の恋愛ってどうやって始まるのかなぁって……」
「ジーク……」
この子は王国の第二王子だっていうのに、どんな婚約話も乗らず、騎士団に入るような変わり者へと育っちまった。あたしと同じく王族内のイザコザに嫌気がさしていたし、性格が捻じ曲がってしまったのは仕方がないと諦めていた。だけどいつかは孫にも心を許せる伴侶を見つけてほしいとは願っていたけれど……。
「あんたまさか、遂に好きな女でもできたのかい!?」
そう言って我が孫を見やる。すると、みるみるうちにジークの顔がトマトみたいに真っ赤に染まっていくじゃあないか。巷じゃ冷酷な氷の王子様なんて呼ばれて怖がられるほどの、あのジークがだ。あたしゃ寿命が数年縮むくらいビックリしたよ。
「いや、そうじゃないんだ。ただ、初めて異性に興味を持てたっていうか……」
「それを世間一般じゃ、恋に落ちたっていうんだよ」
頭も良くて剣や魔法の腕も立つ優秀な子なのにねぇ……あまりにも経験が無さすぎて、こういう男女関係の機微には不器用になっちまうんだね。
頭を抱えそうになるのを我慢して、あたしはこの子に何が起きたのかを聞き出した。最初は「花屋が予約を無視した」だとか「花屋の店主とケンカになった」なんて、グダグダとあまり要領を得ないことばかりを口にした。だけど話が花屋でアカーシャというメイドの恰好をした女子に助けられたくだりへとなったあたりから一変。いかにその子が素晴らしく慈愛に満ちていたかを、ペラペラと流暢に語りだした。
これで惚れてないっていうんだから、余計にあたしも困っちまった。もう七十を超えた婆さんに、恋愛のレの字から教えろって言うのかい?
「はぁ……娘がまだ生きていれば、もう少しマトモに育ったんだろうに」
くだらない次期国王の後継者争いのせいで、あたしの娘――ジークの母親は暗殺される羽目になった。あの男の元へ嫁に出したことをこんな形で再び後悔するだなんて、あたしゃ思いもしなかったよ。
その日は誤魔化して、どうにか孫を城に帰すことができた。勿論、自分と旦那の馴れ初め話をするのが恥ずかしかったってのもある。だけど一番の理由は、その恋が成就することは絶対に無いからだ。
――悪いね、ジーク。王族に生まれた限り、メイドを本妻にすることはどうやっても無理なんだよ。
孫の初恋は残念な結果に終わるだろう。そんなことをあたしの口からは言えなかった。でもそんなことは本人が一番分かっていることだろう。実際にその日以来、ジークは前と同じ調子に戻ったし、アカーシャというメイドの話を口にすることもなくなった。そうやって苦い思いをして大人になっていくんだと、その時はあたしも納得していた――そのはずなのに。
「お婆様。今日はこれを預かってまいりました」
「キーパーからの手紙? なんであいつがジークにそんなもんを持たせたんだい……?」
あの日から数か月が経った頃。今度は長年の付き合いのあるキーパーからの手紙を持ってジークがやってきた。それも、珍しく機嫌が良さそうに。
「この屋敷にメイドの実務実習だって? あたしゃ嫌だよ。なんでそんな面倒なことを……」
あいつからの手紙には、自分の経営するメイド学校の生徒を見てやってほしいと書いてあった。あたしもあの学校の方針は知っているし、やってること自体は賛成も反対もしちゃいなかった。だけどキーパーもあたしが他人を自分の屋敷に入れることはないと知っているし、今まで実習生を受け入れてほしいと言ってきたこともなかった。なのに今回は、どうしてもその生徒を預かってくれと手紙を寄越してきたのだ。
「いやだねぇ。遂にあいつも頭がボケちまったのかい?」
「それが実は……今回のことは、僕が理事長にお願いしたんだ」
「――それはいったい、どういうことだい」
なんだってジークがメイド学校の理事長にそんな依頼をするのかが分からず、つい機嫌が悪くなって低い声が出ちまった。だけどジークはあたしの様子なんて構わないどころか、むしろ少し頬を染めて口元を緩めている。その時点であたしは物凄く嫌な予感がした。
「お婆様。何か月か前に、僕が世話になったメイドの子のことを覚えている?」
「できれば忘れちまったと言いたいところだけどね。あいにくとまだ覚えているよ」
「その子にお礼をしようと思ってね。メイド学校に行ったら、キーパー理事長が是非ともお婆様のところで実務実習をさせてあげてほしいって言うんだ。彼女にとって、良い経験になるはずだからって!」
正直、そのあとのことはよく覚えていない。いや、あえて記憶から消し去ったと言っても良いかもしれないね。
せっかく孫が失恋を乗り越えたものだと安心していたのに、余計に拗れちまった。それどころか、あのキーパーの奴が随分と要らんことをしてくれたみたいだ。
たしかに仮にもウチは公爵家だ。そんな場所で経験を積んだと言えば、将来どこかの貴族家で雇ってもらうときに箔が付くだろう。だけどあの意地の悪い婆さんが、ただその為だけにあたしに借りを作るような真似をするはずがない。
――いや、最初に借りを作ったのはウチの孫の方だったか。
ニコニコとあたしの顔を窺っているジークを見て、あたしは深いため息を吐いた。
「はぁ……分かったよ。これで断ったら、あたしの度量が狭いと思われちまう」
「良かった! ありがとう、お婆様!」
「ただし。そいつが使えないと判断したら、その日のうちにこの屋敷から叩き出すからね」
「大丈夫! 絶対にお婆様も気に入ると思うから」
いったいその自信はどこから湧いてくるんだい。あたしがいくら脅しても、ジークは微塵も心配せずにそのメイドが来る日が楽しみだという。逆にあたしはどうやってその子を追い出そうか、今日から考えなきゃならないってのに……まったく。
――だけど結果的に言えば、あたしよりもジークの方が正しかった。
おそらく誰からも何も聞かされず、ノコノコとやってきたであろうアカーシャという子。彼女は意外にも、あたしがどんなにいびり倒しても逃げ出さなかった。それどころか、教えたことは忘れないし、なんでも要領よく仕事をこなした。
それどころか、あたしの好みや趣向を予想して行動するまでになった。こんなことは本人には絶対言えないけれど、メイドにしておくには勿体ないとすら思えたほどだ。
ジークも以前よりあたしの元へ訪れる回数が増えた。……というよりも、明らかにアカーシャに会いに来ているというのはバレバレだったけどね。
最近じゃジークの部屋にこもって、二人でコソコソと何かをしているようだ。奥手のジークのことだから、彼女に手を出すことはないだろう。だけど二人の仲が深まっているのは、あたしの目からしても間違いないことだった。それだけが心配していたのだけれど――。
「これを、あたしにかい?」
「はい、私たちからのプレゼントです」
「お婆様が気に入ってくれると嬉しいんだけれど……」
あたしの誕生日に、二人はキンカチョウの花があしらわれたブローチを手渡してくれた。どうやらこの子たちは、あたしに秘密でこのアクセサリーを作っていたらしい。
キンカチョウはあたしの旦那との思い出の花だ。二人とも装飾品を作ったことなんてないだろうに、あたしのために時間をかけて試行錯誤してくれた。それが嬉しくて、つい目が潤みそうになってしまう。やだねぇ、これが年を取ると涙腺が緩むってやつかい。
「……ありがとうよ、二人とも。大切に使わせてもらうよ」
「良かった……」
「お婆様、お誕生日おめでとうございます」
それにしてもジークはアカーシャと出逢って、随分と変わった。こうして女性を気遣うことも覚えたし、最近じゃ笑うことも増えた。特に、アカーシャの前では。以前じゃあたし以外の前ではずっと、ムスっとした無表情ばかりだったのに。
――仕方ない。あたしも死ぬ前に変わる時が来たようだね。
これまで、あのいけ好かない義理の息子とはなるべく関わらないようにしてきた。娘を護り切れなかった男なんて、到底許せなかったからだ。だけどあたしも分かっていた。
本当に悪いのは、娘を殺した奴であって、国王ではないということは。あの義理の息子も妻を喪って心を痛めていたことぐらい、容易に想像できたはずなのに。あたしは意固地になって、独りでこの屋敷に引きこもっちまった。
「ここはひとつ、可愛い孫のために一肌脱ごうかね」
あたしは机から筆を久しぶりに取り出すと、孫の初恋成就のために国王陛下へ手紙を書くことにした。
今回で第3章は終了となります。
次回より第4章となり、アカーシャたちの恋愛模様も加速していきます。また、彼女らの真の敵が明らかに……
週1という更新ですが、嬉しいことに徐々に読んでくださる方が増えております。いつもありがとうございます。
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