区立南宇治上高校
────3月21日 区立 南宇治上高等学校。
丘のような山の中腹あたりに、その高校は建っている。
遠くからその学校の校舎を眺めると、絵文字のようにいちばん高いところに時計台をいただいた立派なレンガ色の校舎があり、その上に山の木々が乗っかるように顔を出していて、まるで飛び出す絵本のように立体的な印象を受ける。
深い木々の緑と焦げ茶色のレンガ、そして群青色のガラス窓が青空を映しているコントラストが美しい、水彩の絵画のような学校だ。
高校までの道のりには小さな商店街が立ち並んでいて、桜が満開の街路樹にはさまれている道路も、綺麗にタイル張りされている。桜の間には南宇治上区を象徴する赤い旗の下げられた街灯が等間隔にならんでいて、今日は街ぐるみのお祭りであることがよくわかる。
この南宇治上高等学校の新2年生の早見雛衣は、今日高校で開催される恒例の花見祭り『開扇祭』のために、商店街から買いつけた物品を荷車に乗せてたった一人で駆け上がっていた。
「すいませーん通りますよー!」
きつね色の腰まである三つ編みが、彼女が駆け上がるのにしたがってポンポンとしっぽのように彼女の腰に叩かれて跳ねる。
南宇治上高等学校は、全校生徒1200人を超える近隣区でも有名なマンモス校だ。
したがって、春休み中に開催されるオープンスクール的なお祭りにも、毎年結構な人数が参加している。雛衣もボランティアの内申点を担保に駆り出されたうちの一人に過ぎないが、ただ家で過ごしているより、みんなでお祭りの準備をした方がずっと楽しいので、結構喜んで参加している。
なにせ、雛衣の特技は運動しかない。
小柄な身体に軽トラックくらいの馬力を搭載しているみたいに雛衣は、一番大きい荷車でもらくらく運べた。
中学生の時は駅伝の大会に出たこともある友達をマラソン大会で追い抜いてゴールしてしまって、絶交を言い渡されてしまったこともある。
しかも残念なことに器用さはもって生まれなかったようで、球技系は暴球暴投の連続。なまじ打つ力や投げる力が強いだけにものを壊すわ人を怪我させるわで散々だったので、部活には入らないことにしている。
──だって、野球ってバットを具体的にどれくらいの力で振ればいいんだ? どうやったら打球が飛んでいく方向を操作できるの?
あと、サッカーボールを蹴る時って、そんなに強く蹴ってないのにめっちゃ飛んでいくんだけど、これどうやったら治るの? それにバスケとかバレーボールとか味方にボールあげたいのにうまくパス回せないんだけど、みんななんで出来るの?
──とこのように、フィジカルに全振りしてスマートさが欠片もない雛衣には、みんなにとって刺激的なスポーツよりも、雑用業務の方が仕事がやりやすくて助かるのであった。
800m続く長い坂道も、ほとんど息を切らさず上がってこれた。雛衣のローファーの靴底は火がつきそうだが、雛衣自身は涼しい顔だ。午前の正門はまだ人だかりが少ないので、大きな荷車でも道の真ん中をつっきっていけそうだ。
開扇祭の、扇の形の大きな飾り門をくぐり、行き交う人に当たらないようゆっくり荷台を引く。
「おはようひな!」
「おはようっ!おつかれ!」
「早見、おつかれー」
「おっつー♪」
雛衣は玄関のスリープの近くに荷台を下ろしてから、ひと息つきつつ空の時計台を見上げた。
「………………まだ11時か」
真下で見るとより迫力のある時計台だ。春休みのうちは太陽が校舎の背になることが多く、時計盤が学校の正門を見下ろしているみたいに迫って見える。
あれはビッグ・ベンをイメージしているらしい。
夕方になるとライトアップされて、高校の前の商店街の人々までもあの時計をあてにして日々を過ごしている。巨大なマンモス校に相応しい、街のランドマークなのだ。
雛衣の持ってきた荷車の中には、頼まれていたダンボールがいくつも積んである。ほとんどが校内で売られる食べ物やドリンクの材料になる予定。これを広大な校舎のあちこちに運ばなければならない。雛衣以外の運搬係はみんなスポーツ部所属の男子ばかりだ。
校舎は大きくわけて3つあり、時計台のある《中央校舎》、その左隣の《A棟》と右隣の《B棟》。それぞれ8階まである。
今回の開扇祭で使用されているのは3階までで4階以上に行くことはないにせよ、校舎は扇形に広がっていて端から端まで近道も出来ないから、かなりきつい。
「重いのはあたしが持ってくよ。水とかさ」
「マジで……?」
雛衣はえっへんと胸を張って言った。かかる労力が労力だけに他の運搬係の男子たちは及び腰だった。ちっちゃい女子がやると言い出しても、俺が代わってやるとは言いづらい。
「マジでいけるの早見?」
「去年もできたよあたし。まあ台車に積んであちこちで下ろすだけだしよゆーよゆー!」
華奢なつま先を上靴に履き替えつつ話す。日焼け跡の真っ赤な鼻の男子たちは、2番目にきつい小麦粉などのダンボールを担いで積んでいく。
「無理すんな早見。オレらも終わったらすぐ行くから!」
「うん!やりながら待ってる!」
雛衣はニコニコしながら頷く。頷きつつ、まるで積み木を移動させるかのように軽々大きな水のタンクを台車に移していく。ひとつ20kg近くあるはずだが、雛衣はSSサイズの軍手をぎゅぎゅっと付けたかと思うとダンボールの端をがっしり掴んでは積んで、あっという間に6箱120kgを積み終えた。
「じゃ、行ってくるよー!」
「お、おう……」
鼻から頬までが線を引いたように赤い野球部少年たちは、しゅぴっと手のひらを立ててほがらかに去っていく雛衣をあっけに取られて見つめる。
「つっよ〜…………」
「女子とは思えねーフィジカル……」
「な。」
身長140cmくらいしかない身体は、かご台車を引っ張ると完全に見えなくなる。もはやかご台車が勝手に動いていくようにさえ見える後ろ姿を、彼らはぽかんとして見送った。