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狼が書いた日本史  作者: 木島別弥
室町時代
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足利尊氏伝 2、羅刹の妻

  2、羅刹の妻


 一遍上人の踊り念仏が流行り、時宗が一世を風靡していた。弥陀の本願によって踊り狂えば救われるというなんともけったいな信仰であった。

 足利高氏は、下野国足利荘に帰っていた。いろいろあって正妻を迎える縁談がようやくまとまったところだった。田楽芸人などという卑しい身分の女とは婚姻することは足利の殿様としての高氏にはできなかった。

 婚約者赤橋登子と会って高氏は聞いた。

「登子」

「はい」

「そなたも疲れてか」

「いいえ、あなたさまこそ」

「儂すら少々疲れ気味に思われる。ましてそなたはと察しられるが、しかし、一生の門出である。二人にとっては二度とないこと」

「ええ」

「このまま少し話していたいが、眠とうないか。大丈夫か」

「なんのお気づかいを」

 女はまだ体が震える。男は烏帽子をとった。

「ほかでもないがの、登子」

「はい」

「いっそ、むくつけにいおう。そなたはいったいこの高氏のどこを見て妻となる気を抱いたのか」

 女は声が出ない。

「兄の守時殿の勧めで是非なく嫁ぐ気になったか。それとも」

「上杉殿と兄上のすすめだったのは申すまでもございません。けれども私もすすんで望みました」

「どこがようて」

「わかりません」

「わからぬままに」

「ええ、わからぬままにも、身の生涯をお任せして、どうあろうとも悔いのない、頼もしい殿御と、いつかお慕いしました」

「ならばあらためて告げねばならぬ。高氏が今、申すことにいささかでも不安であり、不同意だったら、いつでもこの家を去るがいいぞ」

「えっ」

「何も知らずに嫁いだそなただ。知らぬがままに連れ添うのならば、それまでのことですもうが、しかし、さまでの秘事を抱きながら、妻となる者へ、おくびにもそれを告げず、後で悔いやら泣きを見せるのは、男として高氏は自身に恥じる。で、いっそ打ち割っていうわけだが」

 女は黙る。

「幼少の時、この高氏はさる人相見から剣難の相があると予言されておる。ひょっとしたら儂は戦乱で倒れる宿命なのかもしれぬ。それでも、和御前は儂の妻として添うてゆけるか」

「なにを仰せかと思えば」

 と登子はむしろほっとした笑みをもって、

「武門誰とて、一生何事もなく過ごせるものもおりましょう。武門に剣難の相があるのは当たり前です。嫁ぐ前から身に言い聞かせております」

「そうか。覚悟してか」

 高氏はいったが、改まった面持ちはなお解く様子もない。

「まこと、この高氏の前途は安穏でない気がするのだ。末恐ろしいと思うたら、今のうちに思い返せ」

「思い返せとは」

「今なれば、ない縁としよう。ほかの口実を設けて、和御前は処女の肌のまま実家方へ帰るがよい」

「おたわむれを」

「たわむれではない」

「むごい仰せです」

「むごくはない。慈悲でいうのだ」

「では、いつの日か、まこと、そのようなお心ぐみが、あおりなのでございますか」

「あるとしたら」

「ないとしても、あるとしても、妻の実には、おなじことに思われます。あなたさまの御一生が、そのまま登子の一生となるばかりのこと……」

「修羅の巷に迷うても」

「ええ、地獄でも」

「良人が悪鬼羅刹と見えても」

「はい。羅刹の妻となります」

「登子っ」

 彼は寄って、いきなりその花の顔を、抱きしめた。

「そなたを妻としよう」


 結婚式が行われた。大遊宴において、舞う田楽芸人は藤夜叉であった。

 足利高氏はうめいた。何の当てつけか。酒宴の最中、登子の隣にあって藤夜叉の舞いを見ていたが、どうしてもあの一夜のことを思い出してしまう。藤夜叉も覚悟して来ているに決まっている。妻、登子にはいえぬ。足利の殿様が妾の一人や二人持とうとおかしくないというものもいるかもしれないが、高氏にはその気は起きない。

 藤夜叉の舞いが終わると、高氏はうまく登子を席に残したまま藤夜叉と話す機会を設けた。

「久しぶりだな」

「はい。あなたさまの御婚儀と聞いてやってまいりました。あの時の御守り、今でも肌身離さず持っております」

「しかし」

「藤夜叉はあなたさまの子を産んでございます」

「おお、一夜の契りでか」

「はい」

「ならぬ」

「良い婚儀でございますね」

「この高氏、登子を妻とすると決めたのだ」

「そうですか。では、あなた様の子は」

「三河の一色に足利の荘がある。そこへ行って隠れ住んでおれ」

「わかりました」

「許せ」

「さぞや、足利の殿様はあのご婦人を幸せにするのでございましょう」

「ああ、必ずや」

 高氏は藤夜叉に背を向けて登子のもとへ去った。藤夜叉は耐え忍ぶのみ。


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