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狼が書いた日本史  作者: 木島別弥
鎌倉時代
4/17

牛若・鬼若・旅若

 幼年三歳で読み書きができる歴史探索者の旅若たびわかがこれを記す。

 時は、平安末期。

 日本で源平合戦という大きな戦争があった。

 義経の父は源氏であり、父は源義朝。母は、常盤ときわといった。

 義経は、この二人を父と母として生まれ、幼名を牛若といった。義経は十禅寺で育った。

 義経は、若い頃、勉学に打ち込んだこともあり、その後で武芸に打ち込んだ。

 さらに、義経は、師匠である鬼一法眼が隠し持っていた兵法書「六韜」を盗み読んで、軍略について研究した。「六韜」とは太公望が書いた兵法書である。

 弁慶という男がいた。弁慶は幼名を鬼若おにわかといった。弁慶は書写山で育った。弁慶も、延暦寺で修行した文武両道の男だった。

 弁慶は、世間では自分のお気に入りを千個集めることが流行っていると聞いて、それなら弁慶は千本の太刀を集めようとした。弁慶は太刀強奪をして、九百九十九本の太刀を集めた。

 残り一振りで千本の太刀が集まる。

 弁慶は、千本目の太刀に、義経の刀である黄金こがねの太刀を狙った。

 弁慶は一騎当千の剛の者。弁慶の刀は、岩透いわとおしだ。

 しかし、義経はそれをさらに上まわる剛の者であった。

 弁慶は義経に負け、黄金の太刀を奪うことはできなかった。

 ここで、弁慶は意を決して、義経の家来になることを決めたのである。


 そして、やがて、源平合戦が行われた。

 平氏と源氏の武者たちの戦いだった。

 義経と弁慶は、源氏の大将、源頼朝の軍として戦った。

 さまざまな激しい戦いがあった。その記録は「平家物語」に詳しいが、ここでは省く。

 その源平合戦において、義経の采配は極めて優れているといわれた。

 弁慶もよく戦った。弁慶の千本飾り太刀。千本の太刀で戦う千手弁慶は、有名な豪傑だった。

 合戦は、源氏の勝利に終わり、源頼朝による武家政権が始まった。

 戦が終わると、誰がどれだけの功績があったのかを、武人評議した。

 義経と弁慶、どちらが優れた武人であったか。武人評議が盛り上がった。

 武人評議によって、弁慶は一騎当千の剛の者。義経は、四人の女を与えても良いほどの大功績者だということがわかった。

 これにより、義経は四人の女をもった。この四人の女で最も義経が寵愛したのは、賢い女だと有名な静御前だった。


 しかし、義経と源頼朝の仲が悪くなり、義経は鎌倉殿の差し向けるさまざまな軍から逃げまわらなければならなくなった。

 静御前は、源頼朝に呼び出され、舞を舞うように命じられた。

 静御前は、源頼朝の前で舞を舞い、その後、十九歳で死んでしまった。

 義経と弁慶たち十数人は、源頼朝たちが差し向ける軍を何度も撃退した。義経たち十数人は百人の敵を何度も倒した豪傑の集まりだった。義経の撤退戦はそのようなものだった。

 義経はいった。

「静は本当に死んだのか」

「はい。残念ながら」

 義経は、しかし、静御前が自己蘇生能力を修得した女賢者であることを知っていたので、おそらく、死んでも自己蘇生するだろうと考えた。静御前に再会できるのはいつになるのだろうか。義経は心の中で悩み考えた。

 ある者はいった。

「弁慶よ、おまえほどの剛の者が、なぜ義経に従うのだ。確かに、弁慶は千本目の太刀を奪おうとして義経に負けたと聞く。だが、それだけで家来に甘んじることはないのではないか」

 弁慶が答えていう。

「より優れた主君を探すとしても、義経の上には鎌倉殿(頼朝)がおり、さらにその上には天神の天の政府がある。優れた主君を探してもきりがない。だから、この弁慶は千本目の太刀の時の戦いで敗れた義経が主君で良いのだ」

 義経たちは四国や九州、さらには奥州へ逃げた。最後の戦いで、弁慶は死んだという。義経もその後ですぐに死んでしまった。

 これを書いている旅若たびわかは、義経と静御前の間に生まれて三歳で死んだ幼児の旅若である。父と母と、その家来として有名な弁慶のことを書き記したくて、幼くして死ぬとも、三歳で読み書きを修得してこれを書いている。旅若は、高天原から静御前を母として選んで生まれた歴史探索者である。鎌倉時代の豪傑の記録を探して、この調査報告書を調べて書き伝える。

 旅若は、末法思想の日本を救うために、義経を父として、静御前を母として選んで生まれた三歳で死ぬ思想家である。


参考文献。

「現代語訳 義経記」(河出文庫)

ウィキペディア

子供の頃に読んだ「平家物語」の消えかかった記憶。

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