あるクズの日常
「はーい、注射終わりですよ。よく頑張ったね」
目の前で泣きわめく子どもの肩を抱く。
うるせえガキ。
頭の中で、何本も何本も注射を刺す。泣き叫ぶ針山を思い、心からの笑顔を浮かべた。
「すごいね、頑張り屋さんだね」
涙を拭いた男の子が、俺の「すごいね」で満足したように笑う。
「ほら、お兄ちゃんすごいって」
手を引く母親が頭を撫でた。
俺は、はにかむ子どもの頭を、思いっきりブン殴る想像をする。
吹き飛ばされたところに馬乗りし、何度も何度も殴打した。
「ほんと、すごいよぉ」
とても嬉しくなって、頬の筋肉が強張っていく。
「じゃあね」
「うん、バイバイ」
固まった面で手を振る。
いつも笑顔の優しい看護師――周囲には、そう見えているだろう。
「さてさて」
カルテの挟まったバインダーを、顔の前にかざす。
その陰で、少年の行く方向を睨んだ。
うるせえガキが、帰りにでも車に撥ねられろ。
泣く子を放置するなんて、母親もクソだな。
生きてる価値ねえよ。死ねよ。二人で死んどけ。今日中に死ね。
「静かにしてね?」
ガキは嫌いだ。
言うこと聞かねえし、うるせえ。
好き勝手に動き回る。
「次の方、どうぞ」
バインダーを下げ、次の患者を呼び込む。
でも、ガキは簡単に屈服させられる。
殴ったり骨を折ったり、果ては切り裂いたり――容易に想像できる。
俺のストレスを解消させてくれる。
メンドくせえから現実じゃやらねえが、『それ』が、俺の人生に潤いを与えてくれる。
午前の仕事が落ち着き、溜息をついている研修医に声をかけた。
「先生、もしかして子ども嫌いですか?」
メガネは肩をすくめる。
「苦手かな」
頼りない笑顔を貼り付かせた。
苦手っつうか、あんた嫌いだろ。
俺と同じだな。
まあ、小児科にいる理由は違うが。
俺の理由は単純だ。
患者にジジイやババアがいないから。
もちろん、見舞いに来る老害はいるが、それでも少ない方だ。
ホント、ジジイやババアってのは、なんで生きてんだろうな。
汚らわしい。
生理的に受け付けねえ。早く死ねよ。
臭えし、ワガママだし、プライドばっかあるくせに、ガキよりルール守れねえし。
せめて隅で生きてりゃいいのに、普通にどこも歩いてんじゃねえよ。
ジャマだろ。死ねよ。
「小児科は大変でしょう」
「ああ、まあね」
「せっかくの男同士、今度呑みにでも行きません?」
「悪いが、研修医は忙しくてね。機会があれば行こう」
わかってるよ。
断るだろうとカマかけて誘ったんだ。
嫌ってないふうを装ってんだよ。
てめえみてえな根暗と、本気で呑み行きたいなんて思わねえ。興味ねえよ。
偉くなった時に嫌われてたら煩わしいから、媚売ってるだけだ。
しかし、俺みたいなのが看護師になれるんだから、世も末だな。
俺は、別に看護師になりたくてなったんじゃない。
母親が看護師だった。それだけだ。
父親も母親も、忙しさにかまけて家庭をかえりみるような人間じゃなかった。
だからって、別に二人を恨んでるワケじゃない。なんとも思ってない。
高校の時、母親が死んだ。
忙しさどころか、過労で体を壊して死んだ。
それで?だった。
悲しみは皆無だった。
思ったことは二つだけ。
『葬式で学校が休める』
『顔も名前も覚えてない親戚の相手は面倒だな』
そんなことしか思わなかった。
やがて高校3年になって進路を考えた時、ふと思った。
『母親と同じ看護師になろう』と。
理由は単純だ。
母親がそうだった、と言えば理由になるから。
進路なんて思い浮かばなかった。
教師は、人は、職に理由を求めたがる。
意味がなければ、志しがなければ、何もしちゃいけないのか?
お前は、本当にその職を誇れるのか?
本当に、その職に才があるのか?
――亡くした母が就いていた職だから――
これは文句なしの理由だ。
勝手に憐れみ、勝手に尊んでくれる。
自分でも意外だったが、俺は看護師に適性があった。
言われた通り、あるいは決まった通り、症例の通りに動けばいい。
ミスさえしなければいい。楽勝だ。
ついでに言えば、ミスするのは医者だ。
俺は患者の兆候は見逃さない。報告も怠らない。
どんな方針や結果になろうが、それは医者のミスだ。
患者が死のうが、半身不随になろうが、俺のせいじゃない。
ガキどもは特にデリケートだ。
大変だな、お医者さまってやつは。
「うるさくせんようにな」
待合室にババアが孫?と座ってた。
「はっぱさんが来るで」
「ほんま?」
おいババア、ガキども怖がらせんじゃねえ。
メンドくせえだろうが。
「おらんようなってまうで?」
うるせえババア、さっさと死ねよ。
おめえが『おらんよう』なれや。
生きてるだけで迷惑なんだ。
金だけ落として死にやがれ。
「おばあ、はっぱさんってなに?」
ガキも聞くなよ。
話が長くなるだろうが。
しかし、はっぱねえ。
ぜんぜん怖くねえ。
「今回呼ばれたんは、そのせいや。昔この辺はな、湖があったんや。はっぱさんは、そこの主さんでな。子どもの歯が抜けたら、湖のはっぱさんに投げとったらしいで」
「歯ぁ食べんの? こわ……」
「たぶん、歯を沢山投げとったから、歯がいっぱいで『歯々』さんなんやろうね。でも、そんなん言うたらあかんよ。人っちゅうんは、誰しも誰かに迷惑かけとる。まして相手は神さんや。障りっちゅうんはな、事故と一緒や。誰が何か悪い訳でもない」
これだから年寄りはダメだ。
自分の観念を人に押し付ける。
お前らが世の何を知ってるってんだよ。
我が物顔で……耳が腐る。
ロッカールームに入った。
今日も一日が終わる。
「はあ」
息を吐いて着替えていると、人の気配を感じた。
……俺しかいなかったよな?
マジかよ。
疲れてるんだからカンベンしろよ。
病院じゃ、たまにある。
誰もいない部屋から人の声が聞こえたり、人の気配がする。
まして俺は見える。
こういうのは無視するのが一番だ。
「ふぅ」
着替える振りしながら後ろを見ると、背を向けた看護婦が立っていた。
ここは男子更衣室だぞ。出てけ。
それとも、誰かに恨みでもあるのか?
迷惑だからそいつんとこ行けよ。
それかとっとと地獄行け。
「きゃあああああああ!」
突然悲鳴が聞こえてきて、体がビクッと震えた。
なんだ?
少しドアを開けると、待合室にいたガキが倒れているのが見えた。
隣に足がある。
ちぎれた足首だけが立っていた。
ガキの顔がこっちを向いている。ゆっくりと目を閉じていくところだった。
やば。
とっさにロッカールームに戻った。
あぶね。
目え合わなかったよな?
ありゃ明らかに面倒ごとだ。
就業時間外だし、見つからないように帰るか。
翌日出勤すると、研修医が疲れた顔で座っていた。
「先生、大丈夫ですか?」
「あ? ああ、大丈夫、です」
「何かあったんですか?」
十中八九、昨日の足首だろう。
関わらないで済んだな。
気にはなるから情報だけ抜く。
「それが、昨日うちに来た子の……お祖母さんがいなくなってしまってね」
「いなくなった?」
「そう、足首だけ残して」
あの足首、やっぱりあのババアのか。
「それで、その子は?」
「少しショックが大きくてね。はっぱさん、はっぱさんと騒いでしまって。検査もかねて、うちに入院したよ」
「はっぱさん?」
「よくわからないんだが……ほら、子どもに言い聞かせるための迷信じゃないかな」
病院から連絡もなかったし、あのガキと目は合ってなかったみたいだな。
休憩が終わり廊下を歩いていると、パシャパシャとシャッター音を鳴らし、そこかしこに電話をかざしている女がいた。その周りをウロウロと歩き回っているガキがいる。
この病院は新進気鋭の建築士がデザインしたとかで、けっこう珍しい構造をしている。だから、たまにこんなアホが勝手に撮影しやがる。
メンドくせえ。
周りに人はいない。
このまま気付かないふりをして通るのもいいが、万が一「言われなかった」と後で吹聴されても困るしな。
「あの……」
「なに?」
茶色い髪にサングラス。
見るからに頭の悪そうな女だった。
「院内は撮影禁止です」
「は? どこに書いてあるのよ」
書いてるっつうか、そもそも考えろよ。
個人のプライバシーとかで、たいていの施設はそうだろうが。
「ホームページや……」
「そんなの」
「病院の入口にも、書いてありますが?」
「もっとわかるように書きなさいよ!」
お前は入口が見えずに、どうやって入って来たんだ?
もっとわかるように、まずそのサングラス外せ。
だいたい、室内でサングラスかけてんじゃねえよ。
お前は有名人かよ、クソだせえ。
フラッシュたかれる訳じゃあるまいし、どんだけ蛍光灯ごときが眩しいんだ。
それとも、お前は人前で顔を出せないほど醜いか?
「申し訳ありません。皆さんに守っていただいているルールですので」
笑顔を作って頭を下げていると、女の足元が光っていた。
なんだ?
いきなり、女が光に包まれた。
「なっ!」
目の前を、『何か』がそそり立っている。
大人が両手を広げるほどの太さで、真っ白いミミズみたいだった。その頭が、まるで床を水面であるかのように出てきて、女をバクンと呑みこんだのだ。
全身はキラキラと光り、ゴリゴリと骨が砕けていく音が聞こえてくる。
なんだ、これ。
よく見ると、真っ白いと思っていたのは『歯』だった。
全身を、びっしりと人の歯がおおっている。
こいつ、人を喰ってんのか。
もしかして、昨日のババアもこいつが喰ったのか?
「へえ」
素直に感心していると、女のガキがズボンにしがみついてくる。
化け物は沈んでいく。
と思ったら、途中で止まった。
「まず……」
ゆっくりと、こちらに先端を向け、開いた。
何重にも、びっしりとノコギリのような歯が並んでいた。
まるで『歯のトンネル』だった。
「ま……ま、ま……?」
足元のガキが声を上げる。
ミキサーの中には、女の頭や手が散乱していた。
「ま……」
俺は、ガキの口を手でふさぐ。
「む……」
「おいガキ、俺は逃げる。お前は俺を逃がせ。ママ寂しいんだってよ。一緒にいってやれ。片親亡くしたガキより、看護師の方が世間の役に立つしな」
そして、歯が並んだ口に投げ入れた。