第86話 この世界のヒロインは?
ブチブチと髪の毛の抜ける音。
頬を殴られた様な痛み、腹筋で力を入れていたお腹にも足が勢いよく当たる。
痛みより、必死で。
私は泣きながらエリオットとエリナの事を思っていた。
『目を覚ましてほしい。』ただそれだけだった。
「おのれ……!お前はどこまでも私の邪魔をするつもりだ……!早いうちに消しておけばよかった……。
この世界の要らぬ存在のくせに……!」
「……この世界は、要らないモノなんかないんだよ。
誰も要らなくない、全部必要だからここにいる。
……そして誰も自由に生きていいんだよ……!」
私は止まらない涙を拭うことも出来ず、静かにエーコを見上げた。
「……黙れぇぇえ!」
バチンと頬に伝わる鈍い痛み。
エーコの爪がかすり、頬から涙以外の液体も伝う。
それは涙よりも熱いものだった。
「エステル……!」
私の頬から伝うものは、頬から垂れドレスにもポタポタと流れる。
「エステル……!!」
みんなが私を呼ぶ声が聞こえた。
だけど。
「ねえ、もうやめようよ。レンスリー王子も望んでないよ……。
伝えてって言われたから、言うね。
『必ず会えるから、信じて待ってて』レンスリー王子はそう言った。
私なら信じてって言われたら、信じるよ。
だから、信じてるよ……!」
「……信じない。もう出会ってから100年だ。どれだけ待てばいい?どれだけ長い事閉じ込められていたと思う?お前の言葉は、信じない。」
また私の髪の毛を強く引っ張られる。
痛みで顔が歪むが、腕の力を緩めるわけにはいかないので、必死に耐える。
「ごめん、残像を見たんだ。
彼はあなたの姿を『とても静かな夜みたいで綺麗だ』と言っていた。
あなたは何度も、彼が生き絶えた後も泣きながら謝っていたことも。」
「……貴様!」
エーコの掴んだ手に力が篭る。
鋭く尖った黒い爪から、私の髪の毛がハラハラと散らばっていく。
「もうやめてください!!エーコ、エステルさんを離してあげて……!」
「馬鹿を言うな……!離さぬはこっちの女の方だ!」
「離さないよ、絶対……!!」
エーコは髪の毛を掴無手を少し緩め、私を見た。
「……なぜレンスリーはお前に言う?なぜ、切に願っている私には見えない?
何でワタシの前に、会いに来てはくれないんだ!?」
再び『ガッ』と髪の毛が強く掴まれた。
「あっ……!」
痛みで声が出た。
リオンやビクターが今にも飛びかかりそうに剣を抜く。
「……やめて、りおん、びくたー……」
頭を引かれているので、うまく声が出ない。
気がつくと、私のGPS魔法具のお陰か、宰相や騎士たちも到着していた。
もうここは秘密でもなくなった部屋となったなぁなんて。
ぼんやり思うと、意識が遠くなる。
「ねぇ、どうして泣いているの?」
『泣いてないよ』
「じゃあ、これはなぁに?」
ふと。
この会話前にもしたことがある。
薄れゆく意識の中、カッと目を開けた。
「レンスリー王子!!」
私は叫んだ。
その声にその呼ばれた名前に。
エーコが私から手を離す。
私は探した。
声のする方を。
だってあれはちゃんと耳から聞こえた。
エリオットとエリナの解放を手伝っていたクラウドが、突然私に走り寄ってきた。
「クラウド、レンスリー王子がいるはず。」
「うん、ここに。オレ喋るの手伝ってって言われた。」
「……にゃぁ」
どこから来たのか、足元に黒い色の猫が1匹座っていた。
「……レンスリー王子?」
クラウドが猫に触れると、猫も金色の柔らかい光に包まれる。
「エーコ、もう辞めよう。僕の魂はここにある」
「レ、レンスリー?…なぜ……なぜその姿に……」
「君が眠っている間ずっとそばに居たくて、転生したんだ。
ねぇ、見てよ。君と同じ色だよ?」
そう言うと猫はクスクスと笑った。
エーコは肩で息をしたまま、静かに猫を見つめていた。
「転生したから、いくら僕を呼ぼうとしても僕はこの体には入れなかったんだ……。」
「……そんな、無駄だったの?ワタシのした事は……」
「もっと周りを見られば、気がついたかもしれないのに。君らしくなかったね……?」
猫は『にゃぁ』となき、エーコの足元にすりついた。
「……ずっと側に、いたと言うの?」
「うん、ずっと側にいた。僕が僕だと気がついたときに。
僕はずっと何度も生まれ変わった。何度も君の色した生き物に。
あの時、僕は君と同じになりたかった。
君が嫌う姿の魔物に。
そしたらずっと側にいられる、そう思ったのと……。
僕からしたら、人間の方が醜い生き物だったから。
僕は生まれたときから、争いの真ん中にいたからね……。」
静かに猫は話を続けた。
「人間の頂点を競わせる為に子を沢山産ませて、たった一つの席を殺しあって奪い合いさせる人間の方がはるかに醜い。
どれだけ放棄しても、誰も許してくれない。
頂点に立っても、後々寝首をかかれるのではないかと言う恐怖に、兄弟たちを亡き者にする狂気。
僕からしたら、人間の方が魔物だった。
エーコ、君は綺麗だった。
魔物といっても誰も傷つけない。
小さき者まで仲間だと助け、敬い、決して命令せず自由にさせた。
魔族の頂点に立つのに、その座をいつでも欲しいと言うものに与えようともしていた。
そんな君を誰も裏切ることもなかった。
……なんて素晴らしい世界にいる人なんだと、僕は君の世界に生きたかった。」
猫の言葉に、誰も何も言えず、ただ聞いていた。
『人間』としての自分が、ひどく恥ずかしい存在に思えてくるほど、みんな考えさせられていた。
「……あの時、ワタシがあなたを魔物にしていたら……。
何度も後悔したの。
でも、ワタシあなたと一緒に、人間でいたかった……」
「うん、知ってるよ。
エーコ、でも僕はもう人間に戻る気はないんだ。
それでも僕と一緒にいてくれる気はある?」
猫は静かに微笑んだ。
エーコの目から涙が溢れ出す。
それを手で覆う様に隠しながら、何度も頷いた。
「あなたとずっといられるなら、どんな姿でも構わないわ。
姿にこだわっていたのは、ワタシの方だった。
ワタシは間違っていた……!」
「今からでも遅くないよ。
一緒に償って行こう、この世界の隅っこで。
人間じゃなかったら僕らは自由だよ。
何処へだって行けるんだ、ねぇ、エーコ。」
「……そうね、何処へだって行ける……」
エーコの輪郭が崩れてきた。
それを待っていたかの様に、猫はクラウドを見上げる。
クラウドは静かに近づいて、溜息をつく。
「レンスリー本当にいいんだな?」
「エーコもそうしたいっていってくれたじゃない?大丈夫だよ。」
「んじゃエーコは消滅させるよ。」
「よろしく頼むよ、我が国の守り神。僕もこの姿で8年生きた。
そろそろ寿命が来る頃なんだ。
このままエーコと消滅して、次の転生を待つ。」
『もう決して離れない様に』
猫はそう呟いた。
そして晴れた様な顔をして、笑った。
「あ、最後に、エステルさん。」
猫は突然私の方を振り向いた。
突然呼ばれた名前に体がびくりとする。
「僕を助けてくれてありがとう。僕は何も知らない小さな子猫だった。
あの時木から落ちてたら死んでいたかもしれない。
そしたらこうやって彼女と会うこともなく、別の生き物に転生していたかもしれない。
あの時、君が助けてくれたおかげで僕は全てを思い出した。
そしてこうやって、彼女を待つこともできた。
君はこの世界が狂ってしまったといったね?
僕はそうは思わない。
この世界をあるがままに、正しく君が導いてくれたのではないかと、そう思っている。
あの時君が助けてくれていなかったら。
僅かなズレが生じていたら、エーコの転生の魔法は成功して、僕はエリオットとして生きていかなければならなかったのかもしれない。
人間なんかに生まれ変わったら、僕は自ら命を絶っていたかもしれない。
たとえエーコが側にいてくれていたとしても……。
僕にはそれぐらい耐えられないことだった……。」
何も言えず、黙って猫を見つめていた。
涙は乾き、頬から痛みが強くなってきた。
頬を伝う液体も、散々流れ落ちたら、その後は頬で固まっている。
猫の痛みはここにいた人達に伝わった。
私は静かに猫に向かい、膝を折って頭を下げる。
宰相や騎士たちも、猫に膝を折った。
尊んで、礼を尽くした。
「私ではありません。あなたとクラウドがエーコさんを止めてくださいました。
私は腕を掴んだだけ。
私1人だと何もできないので。
いつも仲間がいたから、助けられて今の私がいます。
決して私が何かしたわけじゃないので…其処だけは誤解されない様……」
「……君は謙虚なのか卑屈なのか天然なのか、わかりにくい言葉を使うね?」
猫はそういうとまた少し笑った。
私たちが会話をしている間に、静かにエーコは形を無くしていった。
猫はそれを微笑みながら見つめていた。
表情はわからない。
でも、未来に期待を込めた様な、そんな顔だった。
「おい、レンスリー。置いてかれるぞ?」
クラウドが声をかける。
猫は姿がなくなりそうなエーコに飛び乗った。
「皆さん、ありがとう。
そして申し訳なく思います。
私はただの猫ですが、過去の自分の血を引く者たちにもお礼とお詫びを言わせてください。
人間の争いに巻き込んでしまって本当にすまない。
あとはよろしく頼みます……!」
エーコと一緒に、猫は消えていった。
とても呆気なく、そしてあっさりと。
エーコの姿が消えると同時に、エリオットとエリナが大きく呼吸をした。
「ガハッ……はぁ……」
「……おえぇっぐるぢい……」
起き上がる時まで、エリナで安心する。
私は走って抱きついた。
もちろん、エリナに。
「ばかやろー!!何拐われてんだよ!エリナならこんなのチョチョイのチョイだろう!」
「……グエッ……あんた私をなんだと思ってんだよ!」
「この世界のヒロインだろ?」
「……そうですけど!?」
起きたばかりのエリオットでさえ、笑った。
みんなで、笑った。
私は心底嬉しくて、また笑いながら、泣いた。
今回は感慨深く、書いてて自分で泣いてしまったという回です。
思い入れが強かった様です。ビックリ。




