第5話 エリオットの気持ち。
「あなた!!やったわ。念願のエステルが私の娘に!!」
夕食の料理を目の前にして、母上がテンション高めに父上の肩を揺さぶっている。
流石の父上も『うむ』としか返事できずに、なすがままである。
あんな揺らすと父上はしばらく食事なんてできないだろう。
気の毒そうな顔をして父上を見る。
というか所々母上の興奮が冷めやらぬせいで、何て言ってるのか聞き取れない。
「アリシアきっと今頃奥歯をすり減らして唸っているでしょうね!」
こんな嬉しそうな母上を見るのは久しぶりだなと嬉しい気持ちがあるものの、俺はとても複雑だった。
「エリオット!エステルが婚約者に来てくれてよかったわね!」
母上が俺に同意を求めるも、『ソウデスネ』としか言えない。
というか、エステル。
俺自体エステルをあまりよく知らないのだ。
しかもさっきの彼女は俺などまるで見ていなかった。
婚約を受け入れた相手だと言うのに、まるでそこに存在しないかのように。
何だか胸が痛む。
言い知れない痛みに、息が苦しい。
◇◆◇◆◇
定期的に母が開くお茶会によく呼ばれて来るのだが、食事も疎かに本を持って消えて行くのだ。
他の女子とは違い華やかな装いを好まず、いつも絵本に出てくる魔女が着てそうな色のドレスを纏い、気がついたら居なくなっている。
まっすぐ揃えられた前髪で顔が半分隠れており、どんな顔をしているかもわからない。
その日はエステルとエステルの妹と俺とセドリックだけだった。
昼食の途中で来客が入り、母上も席を外していたのだ。
いつもの様にエステルはあっという間に姿が消えてしまい、可愛い顔をした妹が大きなクッションを片手に泣いていた。
「どうしたの?」
声をかけたら、大きく見開いた瞳から涙がいくつもこぼれた。
姉を探しているのだろうか?
そう思い、もう一度問いかける。
「一緒に探そうか?」
そう言うと、大粒の涙を拭ってフワリと笑ってうなづいた。
よかった。
セドリックとは1つしか離れていないせいか、兄弟というより双子のような気持ちでいるので、自分より小さい子の扱いがわからず、笑ってくれてホッとする。
小さな女の子は僕の手を掴み、こっちと指差した。
この広い庭で、エステルがすぐ見つかればいいのだけど。
しばらくうろうろしていると、大きな木の上に人影が見える。
枝の付け根にしがみつき、枝の先端へとゆっくり移動してる。
木はユラユラと大きく揺れ、今にも枝が落ちそうだ。
静かに何かに向かって手を伸ばす。
その動作に、枝の根元が大きく傾いた。
とっさに叫ぶ。
「「危ない!!!」」
俺と同時に反対から現れたセドリックも叫んだ。
その声に木の上の人物は振り返る。
風で舞い上がった前髪が、隠されていた瞳を露出させる。
ふと俺と目があった。
だが。
あった瞬間、彼女はゆっくり木から地面に向かって、姿が見えなくなった。
バサバサバサと大きな音とともに、木の枝も折れる。
自分の体から、血の気が引いて行く。
『俺のせいだ…!』
あの時大きな声を出さなければ。
周りに大人が集まり、悲鳴や医者を呼ぶ声にただ怖くて、その場から動けずに立ち竦むしかなかった。
「大丈夫です!生きてらっしゃいます!」
誰かが叫んだ。
気がつくと自分のベッドの上にいた。
どうやら人が落ちたのを目の当たりにした恐怖さに、俺も倒れてしまったようだ。
意識が戻ってすぐ両親を呼んでもらい、もしかすると自分が声をかけたせいで落ちたのかもしれないことを告白した。
自分の罪を告白しているにもかかわらず、父上も母上も驚いた顔から段々と喜びの表情にかわり、最後まで話し終わる前に『よくやった!これは使える!』と母上は歓喜に震えていた。
「お詫びをしたいのですが……怪我の具合はどうか聞いていますか?」
母上には声が届かないだろうと父上に相談したが、まだ意識は戻っていないことを聞き、事の重大さに胸が痛くなる。
俺のせいだ……。
まだショックで、ベッドの上から起きられない自分にも苛立ちが襲う。
自分に弱さに拳を強く握る。
そんな俺の様子を見て母上が、ソッと握った拳を両手で包み込み、言った。
「エステルはこんな事で死ぬような子ではありません。何故なら母親が図太いからです。」
なんとも訳のわからない自信にあっけにとられていると、再び『大丈夫よ』とウィンクした。
母上の手の温もりに、少し心が落ち着く。
ともかく目が覚めたらお詫びがしたいと母上に告げると、ニヤリと笑う。
「お詫びならいい考えがあるの。母に任せなさい」
後にこれを任せたことを、とても後悔することになる。
数日後、彼女が目を覚ましたことを聞いた。
お詫びにいつ伺えばいいのかと、父上と相談して手紙を出そうと準備していたら、執務室の扉が勢いよく開いた。
母上と、母上に引きずられているセドリックがいた。
セドリックは何故自分が引きずられているのかも全く理解できていない様子だ。
片手にフォークを持っている。
「さあ子供達。ジャンケンをしなさい。」
突然のジャンケン強要に皆の動揺が広がる。
「何故ですか?」
セドリックが片手に持ったフォークを振りながらめんどくさそうに言った。
「どっちに婚約させるべきか運に任せようと思って。」
婚約!?
一体なんの話かわからずに困惑していると、母上が満面の笑みで俺たちを交互に見る。
「さあ、早くしなさい」
「あの、母上。ちゃんと説明してください。」
「説明?したではありませんか」
笑顔が崩れなくて意図が読めない。
婚約とジャンケンがいったいどう関係するのか、理解が出来ずに頭が混乱する。
「僕のパンケーキより大事なじゃんけんというのですか?」
あぁ、セドリックはおやつを食べていたようだ。
おやつの途中で連れて来られて、とても不機嫌そう。
「パンケーキよりも大事です。このジャンケンによってあなたたちどちらかの婚約者が決まるのですから。」
「は、母上。それはジャンケンで決めるような話ではないのでは…」
思わず口から出る言葉に母上の眉が上がる。
「あなた達はエステルに一生負わせる怪我をさせてしまったのです。どっちもに責任があるのであれば、公平に償うチャンスを上げるべきかと。しかもエステルがお嫁さんなんてラッキーな事なのですから!勝った方にしましょう。」
『健気な母の愛です』と真顔で言う母上に言葉を失う。
思わず後ろにいる父上の顔を見上げる。
父上、これでいいのですか…。
父上はただ頷いていた。
あぁ、コレは。
父上はこういう時の母上に逆らえないのですね……。
責任は俺にあるのだろう。
たとえ声をかけたのが同時でも、エステルは俺と目があったのだ。
ぎゅっと拳を握り直す。
そうか、一生残る傷ができると他に婚約者が出来辛いなどと言う話を、侍女が噂していたのを聞いたことがある。
それで母上はエステルのために。
それで責任が取れるのであれば、喜んで責任を取らせてもらいたい。
「母上、その責任は私に取らせていただけませんか?」
意を決して母上を見る。
母上が嬉しそうに笑い、俺の手を取った。
「エリオット!!流石です。あなたならそう言ってくれると思っていました!」
『コレでエステルが私の娘に……』
母が小声で何か言っていたのが聞き取れなかったので聞き返そうとしたら、セドリックがフォークをテーブルに投げた。
「面白くない!」
「何が面白くないのです?さっさとおやつを食べに戻ればいいじゃありませんか」
「もう下げられちゃったよ!」
椅子に座って足をバタバタと揺らし始めた。
「母上は最初から兄上と結婚させたかったのでしょ?責任とか言っちゃってさ!なのに僕を巻き込んだのに、こんなの面白くない!」
足のバタバタが激しくなる。
「別にあなたが望むならあなたでもいいのですよ?」
母上はしれっとした顔でセドリックを見つめていた。
「そもそも落ちた原因はあなたにもあるのですから。あなたでもいいのですよ?」
同じことを2回。
何故念を押したのかわからないが、母上の顔が怖くなっていく。
「責任なら、私が……」
俺の言葉は聞こえてないのか、セドリックから目を離そうとしない。
セドリックもセドリックで、母上の顔を頬を膨らませて睨んでいる。
この2人、本当によく似ている。
父上が俺の背中を慰めるように撫でてくれた。
父上もきっと同じ気持ちなんだろうか。
なんとなく表情が読めない顔をしている。
「面白くなーーい!!」
「いい加減お黙りなさいセドリック!」
「もぉー分かった。巻き込んだ事を謝らないんだね?いいよ、僕にも考えがある。」
「あら、一体どう言うつもりかしら?」
セドリックがおもむろに僕の方を向き直す。
「エリオット、僕はグーを出すよ。はい、負けた方が婚約ね!責任ジャンケン、ジャンケン…」
突然のジャンケンに動揺するが、俺の責任なので負けなければと、とっさにチョキを出す。
宣言通りにセドリックはグーを出し、セドリックがジャンケン勝った。
「えっと、セドリック、一体このじゃんけんは…?」
今更疑問をぶつけようとしてセドリックを見ると、笑っていた。
この顔は知ってる。
何か企んでいる時の悪い顔だ。
セドリックは顔が女の子みたいに可愛いのだが、そんな顔とは裏腹に、人をからかったりいたずらをして引っ掻き回すのが大好きなのだ。
一時期ハマっていたのは、城の従者達の恋愛事情を引っ掻き回すと言う遊びだ。
これは俺もあとで知った遊びなのだが……。
疑心暗鬼を誘い出し、ありもしない事実に不安を駆り立てられて、今年だけで5組のカップルが別れてしまう始末。
コレは父上が重く見て、しっかり怒られて辞めたのだが…。
その時と同じ顔をしている。
我が弟ながら、恐ろしい存在だ。
思わず身震いをしていると、母がセドリックの顔を見て目を細めた。
「何を考えているのです、セドリック」
「言わないもーん」
「言いなさい」
「言わない」
「言いなさい!!」
「やだー!母上のばかー!」
そのままセドリックは扉をあけて逃げ出したので、すごい形相の母上が追っていった。
それを父上と黙って見送りながら、一息つく。
「エリオット、婚約の件だが……本当にそれで良いか?」
背中に添えた手の温もりに意思は固まる。
「はい、ぜひそうさせてください」
父上はウンウンと頷いて俺を優しく見つめていた。
しかしさっきのジャンケンは何だったのだろう……?
まさかこのジャンケンが、何年もずっと因縁として残るとは誰が思っただろう。
俺は再びベッドに横になり、目を閉じた。
◇◆◇◆◇
しかし、何故エステルは俺を見ようともしなかったのか。
何度考えても、俺には全くわからなかった。
「エリオット、いいですか。月に一度は会いに行くか来て頂きなさい。2人の仲を深めるにはこまめに手紙も書くのですよ。」
母上はそう言うとキョロキョロと辺りを見渡す。
「そう言えば、セドリックはどこにいったのです?」
あれ、そう言えばエステルが帰った辺りから姿を見ていない。
「セドリック様は体調がよろしくないのか今日はもうお休みになられるとのことで、部屋の方ヘ。」
そばで給仕をしていた執事が言う。
「体調が悪い?だから言ったのです!お昼にあんな大きなケーキを1人で食べるなと……!全く、あの子は……」
母上の機嫌が一気に変わり、扇子をバタバタし始めたので、八つ当たりされる前にソッと部屋へと戻った。
部屋へ戻る前にふとセドリックが気になり、ドアをノックする。
2度目のノックで部屋から間の抜けた返事が帰ってきたので、そっと部屋に入った。
「体調はどう?」
「すっごい悪い!この僕が押されるなんて……!」
セドリックは部屋に電気もつけないまま、ベッドに転がっていた。
「押された……?誰に?」
「あー兄上が思ってる押されるじゃないから。ドンとか押されてないから!」
めんどくさそうに頭をかく。
「そ、そうか」
「相変わらず真面目なんだから。そんなんじゃつまらないよ」
「そうか……」
押されたどころか、つまらないの意味も分からないでいると、セドリックが俺をじっと見つめてきた。
「エステルどんなだった?」
「ん?」
質問が突然変わったので、何を聞かれたかとっさに分からず聞き返す。
「だからぁ、エステル!婚約なんだって?」
「ああ、謹んでお受けしますと言っていた。」
それを言いながら、自分がいない存在に扱われた事を思い出す。
その顔をセドリックは見逃さなかった。
「何なに、どうしたの?何かあった顔だぁ」
さっきと打って変わって悪い顔で笑う。
「お前なぁ、その顔どうにかしろよ……」
セドリックのおでこを軽く叩くと、そんなこと御構い無しにグイグイと寄ってきた。
「何があったの!早く教えて!」
駄々っ子のように俺の肩をグイグイ揺らす。
「婚約受けると言いながら、俺を全く見てなかった。」
「見てなかったとは?」
「存在を気がつかない素ぶりだった。こっち見ないし、挨拶もなかった。」
言っててちょっと切なくなる。
あれだけ聞きたがっていたのに、話すと何かを考え込んで黙るセドリック。
しばらく考え込むと、また悪い顔で笑った。
「僕には微笑んでくれたよ?」
「そ、そうか……」
じゃあ俺だけなんだろうな、と。
言おうとして、やめる。
「もしかしてエステル嬢は、俺に怒っているのだろうか?」
セドリックはじっと俺を見つめる。
「…怒っている。そうかぁ。彼女は怒っているんだね」
セドリックも何かに納得するように呟く。
「あの笑顔は怒りを隠していたんだ。へぇ…」
「セドリック?」
「なに?」
「彼女は一体何に怒っていたんだろうか?やっぱり怪我をさせたことを恨んで…」
「その怒りじゃないことだけはわかるから安心して」
顎に手を当て考え込むセドリックに言葉を遮られる。
「多分、怒らせたのは僕だけど、怒っているのは僕らにだ。」
これ以上ない顔で黒く笑う。
「ねぇ、エリオット。面白いよ、これ」
「おい、また何を考えてるんだ……」
「ちょっと意地悪して泣かせようと思ったら、泣かないで怒りを隠して笑うんだよ!面白すぎる。僕、明日からまた当分楽しめそう!」
「セドリック何を……」
言い終わらない前にセドリックが『色々考えなきゃいけないから、もう出てって』と部屋から追い出された。
セドリックの黒い笑いも気になったが、それとは別に言い知れぬ不安が頭をよぎる。
この婚約は本当に正しい判断だったのだろうか……?
動けずに廊下に立ちすくんでいると、遠くから母上の高笑いと共に、背筋が冷えるほどの風が通り過ぎていった。