ここの彼女が見えますか?
「やっぱり、東京すげぇ……」
いかにも鄙人らしい言葉が漏れてしまったが、今の言葉は決して都会のビル群や、人の多さに圧倒されたせいで出た言葉じゃない。
俺の眼前にあるキャベツに200円という値札が貼られているせいだ。
これだけ高いと買い物かごに入れるのも躊躇われる。
自炊のほうが安く上がると聞いていたのだが、どうやら迷信だったようだ。
「あと一週間……」
ポケットに突っ込んだ財布を服の上から握りしめる。悲しいことに俺に残された財産はこのなかにある千円札一枚だけである。今月はだいぶ切り詰めた生活をしていたという自信があったのだが、結局ぎりぎりになってしまった。
俺こと東雲正弥は今年の春、上京してきたばかりの大学生だ。
今こんなに苦労してるのは東京の物価のせいでもあるが、親の仕送りが一円たりともないということが一番の原因だと思う。
俺の実家は神社で、一応そこの長男である。そのため、高校卒業後、家業を継ぐ、ということになっていたのだが、大学には行きたいと思い、父親にその旨を伝えたところ、ぶちギレされた。「千年以上続く神社だぞ!貴様の代で途絶えさせるのがどういうことかわかってるのかっ!」
別に神社を継がないなんて一言も言っていないのだが、理不尽に怒鳴られたことに腹を立てた俺は売り言葉に買い言葉で、
「知らねぇよそんなこと!雫(妹)がいるだろ!俺は東京の大学でお勉強をするんだよぉっ!」
どこぞの優等生だよ、と今思うと笑える発言をしてしまった。いや、笑えないか……。正直、この発言のせいで、ほとんどのお金を自分で払わなくてはならなくなった。さらに、父親の収入もそれなりにあるせいで奨学金申請も通らず、ガチでヤバイ状況のまま、上京するはめになった。
……お、ちょっと上手い?
まあ、そんな感じで苦学生やってます。
今日は自炊をしてみようと思っていたが、キャベツ一個買うより、カップラーメン二個買ったほうがお得だろうと、生鮮食品前を通りすぎ、棚に並んだカップラーメンを手に取った。
豚骨醤油と塩味を選んでかごに放ったのだが……
「……またなんか言われそうだな」
頭のなかで「あの少女」がグチグチ言ってくるのがありありと浮かんできた。
俺の食事に対して、栄養が~、病気になるよ~、など毎回口出すくせに、一度だってどうしたほうがいいと教えてくれたことがない。
せっかく親元離れて上京してきたのに口うるさく言われるとは思ってもいなかった。
「う~ん……」
暫しの間、首をひねりながら、カップラーメンの側面にある栄養表示とにらめっこ。言わずもがな、脂質と糖質が高い。そして、結論が出た。
……やっぱり自炊してみよう。
財布の野口英世が「いいの!?」と言ってるような気がしたが、ほんとに気のせいだろう。
実際、彼女の言うとおり、一人暮らしを始めてから、ほぼカップラーメンと菓子パンしか食べていない。栄養バランスは偏っているし、顔にも出来物がポツポツとできはじめている。つまり。身体が何かしらのサインを出しているのだ。
野菜らしい野菜を少しでも摂らないと、生活習慣病になってしまうかもしれない。大学生で痛風とか、糖尿病などを患ったら洒落にならん。
すぐさま、かごのなかのカップラーメンたちを棚に戻し、キャベツと挽き肉とリプレイス。
お値段なんと、合計450円!!
レジで千円札を出すとき、何故だか、手が震えた。
まあ、しかし、晩飯一食ぶんだけで、全財産の45%が飛んでしまうとはな……。
こうなったら絶対に、なにがなんでも、この挽き肉とキャベツで、アイツにグチグチなんて言わせない。
「フフ……」
アイツがよだれを垂らしながら、俺の料理を物欲しそうに眺める姿を想像するだけで、不思議と笑いが出てきた。
「見せつけながら食ってやろう」
うきうき気分で帰宅したのだが……
「え?正弥くんなにやってんの?」
「料理だよ、見りゃわかるだろ」
「え?料理?味噌に挽き肉が全部くっついてるけど?お団子遊び?」
「ち、違う!料理だ!」
「あーほら、焦げてきてるよー。はやくしないと」
「これは……こ、焦がし味噌だ!あえて焦がしてるんだ!」
「ふぅ~ん、『あえて』焦がしてるんだぁ……流石だねぇ~、よっ、料理男子!」
「…………」
……泣きそうです。
自分の料理スキルを過信していた。というか、料理するという過程を完全に頭の中から除外していた。
パチンとコンロの火を止めて、フライパンの上の真っ黒な球体を皿の上にコロンと転がす。
「…………」
「うわぁ……これ、あれじゃん、調子悪いときの、う―――」
「―――皆まで言うな…………」
もう、イヤだ……
結局バカにされたし、食材も無駄にした……
信じられますか?このガンツ玉のごとき球体は250円もするのですよ。プラス味噌。
どうにかして、食べないと。
カップラーメン二個よりも高価な黒球をとりあえず箸で割ってみた。
「あ、中は全然大丈夫だ」
黒いのは表面だけで、中は無事だった。というよりむしろ、美味しそうにも見えた。味噌の香ばしいかおりがほんわりと、鼻腔をつき、食欲をそそる。
やはり、乾物や菓子パンでは出せないこの感じ、久しぶりだ。上京してからほんの2ヶ月くらいだが、母親の手料理が恋しく思われる。
「いただきまーす」
合掌したあと、うまいこと箸を使って焦げを剥がしていると、
「正弥くん、正弥くん」
隣でずっと調理を見ていた少女が指をくわえて焦げ肉ボールと俺の顔を交互に見始めた。
「お?食べたいのかぁ~?」
おちょくるように、少女の眼前にパカッと割れた肉味噌ボールをスッと近づけた。何でかわからないけど、少女の物欲しそうな表情が、とても嬉しかった。
「べ、別に、そんなの食べたくなんかないし!」
「今の時代『べ、別に○○じゃないし!』は、肯定的な意味合いを持つんだよ。つまり、おまえはこれを食べたいと言っている」
「う、うるさいっ!早く食べてよ!その汚ならしいウンコみたいなヤツ」
「お、おまえ……!」
料理を前にして一番言ってはいけないワードを平然と言いやがった。
自分自身、少なからずそう見えてしまっていたので、よりいっそう怒りが沸いてきた。
「下品だぞっ!」
「あっかんべぇーだ。ウンコでも食ってろ、お口便器マン」
「あー!もう、何とでも言え!どうせおまえは……」
「…………っ」
あ……
陽気そうに話していた彼女の顔が一瞬にして凍りついた。
……やってしまった。
一番言ってはいけないワードを言ってしまった。
こんな顔はもう見たくないと思っていたのに……。
ずっと気を付けてたのに……。
「はは……わかってるよぉ~そんなこと……もう、正弥くんったらぁ~……」
ぎこちない空元気、泣きそうな笑顔をみせる彼女の手が俺の肩を叩こうとして、振られた。
しかし、その手はどこにも当たることもなく、すぅーっと通り抜けた―――
――俺の身体を――。
そう、俺の横にいるこの少女はもう既に死んでいる。
幽霊なのだ。
この中学生くらいの少女は俺のが住む一年前、この部屋で死んだという。しかし、何故ここで死んだのか、死因がなんだったのかなどは、知らない……いや、本人からは聞いていないというのが正しいか。
実のところ、管理人からは『自殺』だと聞いている。
少女が生きているとき、どんな苦悩があったのか、どれだけ辛いことがあったのか、俺には知る由もない。
しかし、この明るい少女が自らの手で、人生の幕を降ろしたというのが俺には考えられなかった。
そのため、俺は入居してすぐ、不躾にもその事を直接訊ねてしまったのだ。
その時も今と同じような表情をしていた。
気丈に振舞い、ひきつった笑顔を見せて「新生活のスタートにそんな辛気くさい話なんてできないよ、ほらほら、荷ほどき手伝うよ……って、できないか……」と。
生まれて初めて見た種類の表情だった。
しかし、それは嬉しい発見ではなく、見つけなければよかったと思うものだった。
だから、絶対見たくなかったのに……。
「……あの……ごめん……」
「なんで謝るのさぁ~……もう、早く食べないと冷めちゃうよ、ほかほかウンコ」
少女がもうこの話題には触れるなと言わんばかりに、ケタケタと笑った。俺も同じ考えであったので、少女のノリに無理矢理乗っかった。
「だから、ウンコはやめろよ。しかも、ほかほかってさぁ~。もう、それにしか見えなくなってきたぞ」
「えへへ、ということはつまり、正弥くんも多少なりともそのように見えているということでは?」
「…………まあ……」
「ほーら、やっぱりそうだ」
「で、でもおまえが言わなきゃ……」
「はーい、言い訳はいいわけ。早くぅ~食べてよぉ~感想聞きたいなぁ~」
「…………」
「おぉっ!一気にいったぁっ!どうですどうです?ウンコとのファーストタッチは?」
「……ん~…………?」
「焦らしますねぇ~」
「めっちゃ苦い……焦げ取り忘れてた」
「おぉっ!世紀の大発見!大ニュースですよ!ウンコは苦い!」
「いや、ウンコが苦い、ってけっこう予想通りなんだけど?ウンコが甘かったら大ニュース……ってかウンコじゃねぇし、焦げの苦さだし。それに女の子がそんなウンコウンコ言ってたらいかんだろ」
「それは偏見だよ正弥くん。女の子はね、男の子の何倍も下品でえっちなんだから」
「えっちって……」
「あー!今私の胸チラッとみたでしょ!」
「い、いや、見てねぇよマジで」
「そういうのけっこうバレてるんだからね。今後気を付けなよ」
「だから、おまえの貧相な胸なんて……」
「…………あ?」
「ひっ……」
……何故だろう今日はよく口が滑る。
彼女に睨まれた瞬間、身体が縛られたように動かなくなった。
「お、おい……」
心霊スポットに入ったときの「なんだか寒いわ……」的な感じの寒さが背中をかけ上がる。
「『おい』じゃねぇだろ。シバくぞ」
「い、いや、あの、シバかないで下さい」
幽霊にシバかれるのはどんな感じなのだろうか。少しばかりの好奇心はあったものの、それよりもはるかに恐怖が勝っていた。
「じゃあやることあんだろ」
少女が、俺に向けて顎をしゃくる。すると、縛られていた身体が急に緩められた。
激おこの女の子に対して『やること』。
言うまでもなくそれは―――
「すみませんでした」
――土下座だ。
最大の謝罪意思表示である土下座はもはや日本の伝統文化、いや、日本男児に遺伝的に備わっている本能とでも言うべきか。
実際、俺自身なんの厭いもなしにこの姿勢になっていた。
「それでいいんだよぉ~正弥くぅ~ん!はあ……大満足……」
少女は恍惚の表情を浮かべ身をくねらせる……俺の土下座を見て。
……こえぇぇぇ~……
こんな幽霊少女と俺の生活はとても奇妙だ。
少女と話をしても、端からみれば、全部俺の独り言。変人だ。
それでも、俺だけに見える彼女と楽しく、笑って過ごせたらいいと思う。
この少女が成仏するまでは。
「ところで正弥くん、キャベツは何に使う予定だったのかな」
「あ……」