表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/59

第55話

 私の泣き声だけが響く建物内に別の呻き声のような声が聞こえてきたのは、私が泣き始めて少しした頃だった。

 アリスの冷たい手を握ったまま顔を上げれば、スイリュウ様に薙飛ばされて気を失っていたユリさんが、頭を押さえながら目を覚ましていた。


「…一体何、が、」


 顔を上げた先にいたのは、折り重なって倒れている新郎新婦の二人。白い礼服は赤黒く染まっており、彼女は自分が気を失っている間に何かが起きたのだと直ぐに察した様子だった。


「オスカー…様…?」


 ふらふらと近づいてくる彼女の目は血走っていて、危険を感じたスイファさんに離れるように言われて二人の側を離れた。


「オスカー…オスカー様…」


 彼女は魔法でアリスを横に無造作に転がした。


「アリス!」


 転がされたアリスに駆け出そうとする私をスイファさんは羽交い締めにして止めた。


「ダメです!今彼女に近づくべきではない!」

「でも!」

「どうして!」


 大声に驚いて声の方を向けば、ユリさんが信じられないという顔で何度もオスカー様に手をかざしていた。


「なんで!?なんで魔法が効かないの!?…まさか」

「そのまさかです」


 スイファさんの声に振り向いた彼女は、血走った目で鋭くスイファさんを睨みつけている。


「彼が負傷した後、その魔法はかけられました。いくら治癒魔法をかけようと、もう魔法は効きません」

「彼はカードを持っていたはずなのに、何故…」


 オスカー様の方へ戻した視界の端に映り込んだのだろう。アリスの方をゆっくりと向くと、彼女の周りからみるみる強い冷気が立ち昇った。


「まさか……おのれ…おのれ小娘が!」

「アリス!」


 アリスに魔法を放ったようだったが、アリスもオスカー様同様魔法が無効になっている為、無傷のまま横たわっている。魔法が効かないとわかっても、彼女は声にならない叫びを上げながら、一心不乱にアリスに魔法を放ち続けた。

 それを、私もスイファさんも呆然と見つめているしかできなかった。彼女は怒り狂い、もはや正気を失っている。大事な人を失った喪失感を怒りに変え、アリスにぶつけることしかできないのだろう。スイリュウ様の方を見れば、スイリュウ様は彼女の様子を静かにじっとただ見つめている。

 ようやく魔法での攻撃が終わった頃、彼女はふらりと立ち上がり、スイリュウ様の方を向いた。


「お願いします…私を殺してくれても構いません。…どうか、どうか彼を助けて下さい」

「……すまぬ。いくらドラゴンとて、死者を蘇らせることなどできぬのだ」

「そんな!ドラゴンなら…ドラゴンなら、どうにかならないのですか!?」

「魔法に関しては、お主の方が詳しいであろう。お主がどうすることもできないのであれば、我にもどうすることもできぬ。死者を蘇らせるなど、神にしかできはせぬ」

「あぁ…あぁ…オスカー様…」


 枯れた声でオスカー様の名を呼び、その冷えた体に縋る彼女は見ていて痛々しい。何か彼女に声をかけるべきかと考えていると、急に体温が低下し、何かがパリッと割れた音がした。


「スイファ!この精霊、魔力が暴走するぞ!防御魔法の一部に亀裂が入った!ここを立ち去るぞ!」

「はい!」


 何が起きたのかを二人に確認しようとすると、


「いやああああああああああ!」


 という絶叫と共に、ユリさんを中心に渦を巻く大量の水が発生した。その水はすぐに地面に叩き落ち、建物内の水位がみるみる上昇していく。膝まで水が浸かったところで急に視界が変わり、気付けばスイリュウ様の上にスイファさんと共に乗っていた。


「ここを出るぞ!飛ぶからしっかり掴まっておれ!」

「はい!」


 口を開くまもなく体は浮遊感を覚え、強い風圧を受けながら気付けばもう晴れ渡った晴天へと移動していた。

 何もかもが急すぎて頭が追いつかない。一体何が。


 下を見れば先程までいたはずの建物は崩壊しており、あの場所を中心に水が吹き出て流れ出している。城の中までも水が入り込み、水が波打って城壁に打ち付けられ、壁が削れていた。沢山の人が逃げ惑うも激流に流され、水の底へと沈んでいく。


 その光景はまるで、悪夢のようだった。


 ◇


 目が覚めると、見覚えのある天井があった。水晶ガラスからは光が差し込み、青々とした空がガラス一面に映り込んでいる。

 帰ってきたのだと、目頭が熱くなる。あの洞窟に、私は帰ってきたんだ。

 体を起こすと、ベッドの周りを瑠璃色のものが囲んでいるのに気づいた。何事かと見回すと、スイリュウ様と目があった。


「スイリュウ様!」

「ジェシカ!」


 私のベッドを囲うようにして寝ていたスイリュウ様が、自分の顔を私の顔に押し付けてきた。


「もう、目を覚さぬかと思うたぞ…」


 その声には隠しきれぬほどの安堵が滲んでいて、私は自分がしばらく目を覚さなかったことを知った。


「私が意識を失ってから…どれくらい経ちましたか?」

「もう三日ほど経っておる」

「三日!?」


 思わず叫ぶと、堪えきれぬように何度も咳が出た。


「ジェシカ!安静にしておれ!」


 スイリュウ様にベッドに寝かされ、程なくしてようやく咳は収まった。目覚めたばかりの私の体は、どうやら激しい活動は出来ないみたいだ。

 私はまだ掠れる声を振り絞り、ずっと言いたかった言葉を紡ぐ。


「…ただいま帰りました」

「…ああ。おかえり、ジェシカ」


 ゆっくと細められる金色の目が、優しい眼差しで私を見ている。私は手を伸ばしてその存在を確かめるように、真珠のような角や瑠璃色の鱗を撫でた。

 手から伝わる感触が、少し冷たい体温が、間違いなくこの愛しいドラゴンが目の前にいるのだと信じさせてくれる。夢じゃないんだって、教えてくれる。

 ずっと見ていたいくらい大好きな優しい眼差しは、まやかしでも何でもなく確かにここにあった。


「スイリュウ様…ずっと、会いたかった」

「…そうか。我も、ずっとお主に会いたかったよ、ジェシカ」


 やっぱり私は、このお方が好きだ。一度離れることでその想いは、より強くなった。

 ずっと当たり前のように続くと思われた日常が当たり前ではないのだと、当然のことに私は今回改めて気付かされた。

 私は幸運にもここに戻ってくることが出来たけれど、戻って来られず、あの城の中にずっと居続けた未来もあったはずだ。未来永劫続くわけではないのだから、後悔だけはしたくない。

 そう思った瞬間、頑なに閉じ込めていた心の奥底から、その言葉は隙間をぬってするりと簡単に零れ落ちた。


「愛しています、スイリュウ様」


 大きく見開かれた金の目は、まんまるになってまるで満月のようだ。


「…我も愛しておるよ、ジェシカ」


 その愛の意味が違うものでも構わない。

 大切な存在にきちんと自分の気持ちを伝えられることが…何よりも嬉しかった。


 こんな風に…アリスにも、伝えればよかった。伝えたかった。



 その後、スイリュウ様からフィーデン王国の顛末を語られた。

 フィーデン王国では精霊と条約を結んでいたが、それはフィーデン王国だけではなく他国も同じだった。そんな中でフィーデン王国は条例違反をし、人工的に魔力を持った人間を生み出そうとしていたことが明らかになり、それは他国を震撼させた。その事実に恐れた隣接する国々に攻められそうになったようだが、精霊が仲介に入り、最終的にフィーデン王国は隣国のユーリティア王国の属国となった。


 あの日建物の倒壊とユリさんの魔力の暴走によって多くの人の命が失われた。そしてあの結婚式に参列していた人々の中で生き残っていたのは、例の特殊なカードを所持していた王、王太子、第二王子の三人。それ以外の結婚式の参列者は皆、残念ながら亡くなってしまったそうだ。

 生き残った王族は、王のみが処刑された。

 何故王族が全員処刑にならなかったかと言えば、それは愛し子が望んだからだった。


 詳細を聞いてみると、王太子であったレオナードの妻であるメアリー妃の代わりに子を産んだ、メアリー妃の姉である愛し子のリリーが、王太子の処刑を拒んだからだとのこと。

 リリーは一度ソーファさんたちに救出され、精霊たちの集落にいたが、レオナードに会いたいと泣き続けていた為、後日彼と会わせることとなった。

 リリーはレオナードを真実愛していたそうで、彼に再会すると精霊たちの元へ戻ることを拒み、レオナードの側を離れず、彼を殺すなら私も殺してと泣き叫んでいたそうだ。隣国としてはレオナードを処刑したかったようだが、精霊は愛し子までも殺す気かと大反対し、結局隣国側が折れて彼は命を救われた形になった。


 ただ二人の子供に関しては今後子供をもうけた際にオスカーのような魔力持ちが誕生する可能性を危惧され、子供は精霊たちに引き取られた。子供たちは両親との別れを泣いて拒んでいたそうだが、こちらは一緒にいることを許されなかった。可哀想だが、これも仕方がないだろう。

 レオナードとリリーは今後子をもうけることは許されず、精霊に引き取られた二人の子供もそれは同様だった。彼らの代でフィーデン王家の血は途絶えることとなるだろう。

 これはフィーデン王国の王家の血に恐れを抱いた他国の総意であり、フィーデン王国に下した絶対の決定であり、フィーデン王国の王族が行ってきた罪の結果だった。


 レオナードは以前のように王国の上に立つが、あくまで隣国であるユーリティア王国の指示のもと働くことになるそうだ。レオナードには隣国と精霊の監視が常につくようになり、彼は死ぬまで国のために裏切らず尽力することを、破ると死ぬこととなる精霊の特殊な契約書に名と血を持ってサインすることで許された。


 レオナードの本来の妻であるメアリーだが、彼女は城の地下で酷く拷問された状態で発見された。かろうじて生きていた状態らしく、命が危ぶまれていた彼女は精霊たちの治癒魔法によって一命を取り留めた。

 メアリーは王家の秘密を知り加担していたが、調査したところその情報を誰かに伝えようとしていたことが分かり、また彼女も王家の被害者であると判断されて処刑は見送られた。

 レオナードはこのことを知らなかったらしく、彼女を見たとき酷く動揺して気が動転していたそうだ。彼女に拷問をかけていたのは王と…精霊であるユリだったようだ。

 まだ回復が必要なメアリーは人間の医療技術で今後治療されるのは不安だと、知り合いの精霊が引き取ったらしい。

 レオナードはそれを拒んだらしいが、もちろんそれが認められることはなかった。


 レオナードと愛し子であるリリーは王国に。神の子であるメアリーは精霊の元に。

 元王太子夫妻に関してはこのような結末になった。


 第二王子であるアルフレッドだが…彼はどうやら自死したようだった。

 あの日結婚式に参列していた彼の妻であるアンジェラが、あの建物(小教会というらしい)がユリさんの魔力の暴走によって破壊された際、それに巻き込まれて亡くなっていたのが次の日に見つかった。

 アルフレッドは彼女の亡骸に何時間も泣き縋り続け、彼女の亡骸が発見された晩、隠し持っていたらしい毒を飲んでこの世を去ったそうだ。


 ちなみに監禁されていたところを救出されたローラさんは無事で、ソーファさんたちとともに精霊たちの元にいる。彼女はあの恐ろしい塔に監禁されていた間に随分辛い思いをしたらしく、第二王子の死を知らされてもそれを無表情で聞いていたそうだ。

 彼女は今後も、精霊の集落で暮らしていくらしい。


 条約違反をしていた件に関しては、フィーデン王国は精霊に今後もフィーデン王国で生まれた愛し子を引き渡すことになったが、以前はあった魔法のカードの譲渡が一切なくなった。そしてもし今後愛し子を一人でも引き渡さずに隠していた場合、フィーデン王国は滅ぼす。

 それが精霊たちの出した答えだった。

 セイファさんが私からフィーデン王国が条例違反をしている話を聞いた後、直ぐに精霊たちの集落の長が集まり会議をしてこれが決定した。これを王国に通達しようとしたところで私が誘拐されたらしく、それどころではなくなっていたらしい。

 こんなことになってしまったこともあり、属国となったタイミングで精霊たちはフィーデン王国にこれを伝え、ユーリティア王国もこれを認めている。

 ちなみに私の他にも同じようにスペアとして育てられていた愛し子や、神殿で秘密裏に育てられていた愛し子が何名かいたらしく、その愛し子たちも皆無事保護された。

 それぞれの持つ魔力に適した精霊の集落で、今後保護された愛し子たちは暮らしていくらしい。中には私と同じように軟禁された暮らしをしていた子もいたそうなので、どうか新たな地で幸せになってほしい。


 そして最後にユリさん。彼女もまた、亡くなっていた。

 生命を削る程に魔力を暴走させ、オスカー様にしがみついて死んでいたのを発見されたそうだ。王族の罪に加担していた彼女は生きていたとしても処刑される予定だった為、オスカー様の側で死んでゆけたことが彼女の唯一の幸いだったかもしれない。



 正直、色々なことが一気に起こりすぎて情報を処理しきれない。

 妹の死はまだ受け入れられないし、当然だとは思うけれど属国となってしまった祖国に呆然とする。何もかもが夢なんじゃないかと思うくらい、信じられないことが短期間の間に起き過ぎた。


 ぼーっとした頭でそばに寄り添ってくれている蒼いドラゴンをじっと見つめていると、そんな私に気付いたらしいスイリュウ様がそっと金の眼を開く。

 その目を見ていると、哀しい目をした緑の竜を思い出す。


「…どうした」

「……フウリュウ様は、お元気ですか」


 少しの沈黙の後、消え入りそうな小さな声が頭の中に響く。


『あやつは昨日…あやつの愛し子の元へと、旅立って行ったよ』


 思わず、息を飲んだ。


『ライアンの為に滅ぼすことをやめたあの国の最後を確認して…ライアンの隣で、眠っていた』


 ああ、そんな。


『愛し子の愛した国は、あやつの中ではもうなくなったのだろう。心置きなく旅立ったようで、安らかな顔をしておった』

「そう…ですか」


 まだ。まだ、受け止められない。

 急すぎる別れの数々に、私はもう何も考えることが出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ