第52話 アリス(4)
家に帰ってからメアリー様に言われた時間まで、ずっと落ち着かなかった。それを屋敷の皆は明日の結婚式が待ち遠しいと思っていると勘違いしていた様だけれど、都合が良かったので訂正せずにいた。
夜になって部屋でベッドに入り、寝たふりをして過ごす。カチッカチッと正確に刻まれる時計の針が進む音だけが聞こえる部屋は、見慣れた自室のはずなのに、見知らぬ部屋の様だ。
そして0時になって時計の針が重なると、部屋の机の上に一通の手紙が静かに出現した。
私も持たされているけれど、あれはきっと緊急連絡用の魔法のカードを使用したんだ。
机にそっと近づき、封を開けると便箋に綺麗な文字が並んでいる。それ以外は特に入っていないようなので、私は手紙の内容を読み始めた。
◇◇◇
親愛なるアリスへ
急に手紙を送りつけてしまってごめんなさい。
でもどうしても、今日の貴女を見ていたらこのことを伝えなくてはと、そう思ったの。
王家の血を引くものは皆、自分の身を守る為に特殊なカードを所持しています。
それを持っているとどんな攻撃も跳ね返す、と言われている貴重なカードです。
その魔法のカードは、所在地さえ知っていれば貴女の持つ緊急連絡用のカードで転移させることができます。
使用方法は命に危機があれば自動使用、故意に使うのであればカードを所持して念じれば王族とその伴侶の二名までなら使用することができます。
これを使用すると、自傷行為を除いた攻撃を防ぎ、魔法を全て跳ね返すそうです。
王家の者しかこのことは知りません。
何故私が知っているのかと言えば、それはきっと彼の罪悪感によるものだったのでしょう。
…今はそれは関係ありませんでしたね。
アリス、私は夫を…レオナード様を愛していました。
けれども私も貴女のように彼に裏切りを受け、酷く傷つきました。
彼を憎んで、憎んで…一度は、自分も、家族も全てを捨てて、彼を亡き者にしたいとも思ったわ。
どうしても、私は彼の裏切りを…許せませんでした。
だけど…私には実行することはできませんでした。
彼に愛想を尽かせば良かったのに、私にはそれができなかった。
憎しみよりも、まだ愛の方が優っていた。
それに、彼の他に王になれる人などいないと、今もそう思っています。
この国の為にも彼に将来この国を導いてもらいたい…だから、私は私の復讐を諦めました。
貴女が昔の私に重なって見えて、このことを貴女に教えたかった。
この情報をどうするかは、貴女に任せます。
まだ彼を本当に愛しているなら…この情報は墓場まで持って行きなさい。
もう愛想が尽きたなら、好きに使いなさい。
この情報を外部に漏らしたのが明らかになれば、私はこの世からいなくなることでしょう。
でも、それでも私は構いません。
情報を渡した先に貴女がいることは分からないようにしてあります。
だから安心して下さい。
これでも私、昔興味があって魔法を研究させてもらっていたの。
精霊様とも話す機会をいただいたことがあってね、この国の人間の中では一番魔法を知っているのではないかしら。
そんなところが王家に嫁ぐに好ましいと思われてしまったのだから、皮肉なものだけれどね。
この手紙は封を開けて20分もしたら消えるように魔法をカードを使ってかけてあります。
王家に嫁ぐとこういったカードの使用も必要になるのだから、王家は隠し事がいっぱいで嫌になっちゃうわ。
見張りがいるからこれ以上は書けそうにないわね。
本当はもっと色々と教えてあげられれば良かったのだけれど…。
私の力不足ね、ごめんなさい。
大好きな人に裏切られるのは、心が切り裂かれてしまうかのように痛い。
貴女には、私のような思いをこれからもずっと抱えて生きてなんて欲しくない。
だからどうか、アリス…この情報を貴女に伝えた私に言う資格なんてないけれど、願わくは貴女が幸せになれる選択をすることを祈っています。
愛しているわ。可愛い可愛い、私の妹。
どうかどうか、幸せになってね。
メアリー
◇◇◇
「メアリー、お姉様…」
便箋からは、メアリー様が好んで使っていた香水の香りがする。
乳白色の便箋に水滴が落ち、小さなシミを作った。
国家機密を打ち明けられて最初は戸惑ったけれど、内容を追っていくにつれてメアリー様の想いが痛いほど伝わり、胸が苦しくなった。
メアリー様は王太子であるレオナード様と私の目からも周囲からも仲睦まじいように見えていて、正直大きな裏切りが二人の間にあったなんて信じられない。だけれどきっと、メアリー様は今の私みたいだったんだ。一見周りには仲睦まじいように見せて、心を殺してきたんだ。
だからこそ、自分に似た私にこの手紙を送ってきてくれたのだろう。
この手紙を送るのはかなりリスクが高かったはずだ。もしかしたら明日、メアリー様は結婚式には来れなくなってしまっているかもしれない。だってもしバレたらきっと…殺されてしまう。
それでも送ってくれた手紙を、私は声を殺して泣きながら、手紙が消えるその時まで頭に刻み込んだ。
いろんなことがあり過ぎて、沢山泣いてしまった。
マリッジブルーだったら良かったのに、なんてもう思わない。
覚悟を決めた。
それを実行するかどうかは、明日のオスカー様次第。
さあ、愛しくて憎い貴方に、私の愛を知らしめてあげる。
◇
花嫁衣装を着て化粧も全て終わった頃、部屋にノックの音が響いた。
「入ってもいいかな?」
「どうぞ」
入ってきたのは、白い礼装に身を包んだオスカー様だ。
少し見惚れてしまった自分が悔しい。
「綺麗だよ、アリス」
「ありがとうございます」
不審に思われないよう、いつも通りの笑顔を浮かべる。
「式の前に、君の姿を一目見ておきたくてね。…本当に綺麗だ」
だけど、きっとその言葉は私に言っているのではない。私を通して見た、お姉さまに言っているのだろう。
だって視線が合っているはずなのに、視線が合わない。
「オスカー様も…とても素敵です」
「ありがとう。こんなに綺麗な人と結婚できるなんて、僕は幸せだね」
幸せいっぱいといった顔をして、彼は綺麗に微笑んだ。部屋の隅でメイド達が頬を赤く染めているけれど、皆この人の笑顔に騙されている。
彼が結婚できて幸せなのは、私ではないのだから。
「じゃあ僕は行くね」
「はい…あの、オスカー様」
「うん?」
私は幸せな花嫁のフリをして、いつも通りに我が儘を言った。
「少しだけ…オスカー様の胸を借りても、いいですか?」
驚いたような顔をした後、しょうがないなと困った風に笑って頷いた。
化粧がつかないようなギリギリまで顔を近づけ、手を彼の胸に添えて寄り添えば、彼は少しだけ抱きしめてくれた。
「…ありがとうございます、もう大丈夫です」
「うん、それじゃ行くよ。また式の時に」
「ええ」
ぱたんと扉が閉まった後、メイド達が黄色い声を上げてはしゃいでいた。彼女達には、さぞかし私と彼は仲睦まじい二人に見えただろう。
そうだったら、どんなによかったか。
ありえない想像をして漏れたのは、自分に対する嘲笑だけだった。
「あの…ほんの少しでいいの。ちょっとだけ、私を一人にしてもらえるかしら」
そう言えば、メイド達は「かしこまりました」と言って部屋を出た。足音は聞こえないので部屋の前に待機しているのだろう。
私がマリッジブルーになっていると思って気を遣い、私の言葉に従ってくれたのだと思う。その優しさが苦しかった。
それより時間があまりない。実行しよう。
オスカー様の左胸のあたりに、メアリー様が言っていた例のカードがある。さっき手でなぞったときに確認した。
震える手を押さえ、深呼吸をして隠し持ってきた緊急連絡用の魔法カードを取り出す。ゆっくりと念じれば、持っていたカードは消えて見たことのないカードをいつの間にか持っていた。
「成功…したのかしら」
複雑な模様が幾重にも描かれたそのカードは、とても軽いのにとても重く感じた。
コンコン、とノックの音が聞こえ、この辺りが潮時だと私はドレスの胸元へとそのカードを隠す。まるで肌に吸着するようにカードはくっつき、落ちることがなさそうなことに安堵した。
手袋には別の、もう一枚の緊急連絡用のカードを忍ばせている。
もう、準備はできた。
「はい」
「アリス様、そろそろよろしいでしょうか」
「ええ、もう大丈夫よ。ありがとう」
そして私はやってきた父とともに、小教会へと歩みを進めた。