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第51話 アリス(3)

 気が進まないままにやってきたフィーデン城。普段は美しい造形に見惚れるほどの城も、今は鑑賞する気にもならない。オスカー様に会うために城内の一室で待っていると、しばらくしてオスカー様がやって来た。


「お待たせ、アリス。いよいよ明日は結婚式だね。楽しみだよ。大事な結婚式になるから、最後にもう一度流れを確認しておこう」

「はい」


 いつもより弾んだ声でそう言って、気忙しくソファに腰掛けた。本当に待ち切れない、という様子で一見したら幸せそうな婚約者同士に見えるだろう。それは虚構にしか過ぎないけれど。


 一通りの流れを確認して最後の打ち合わせを終えると、部屋に見知らぬ綺麗な女性が部屋に入ってきた。彼女は何かをオスカー様に耳打ちし、オスカー様はそれに頷いていた。


「ああ、そうだ。アリスにも紹介しておこう。彼女はユリ。僕の仕事の補佐や警護をしてくれている。とても優秀な人だよ」

「ユリ、でございます」


 眩しいくらいの銀の髪を靡かせ、湖畔のような瞳のその女性は何処となく、お姉さまを思い出させた。


「アリス・オールストンです。いつもオスカー様をお守り頂き、ありがとうございます」

「いえ、仕事ですから」


 そう言うけれど、彼女がオスカー様を見つめる瞳には恋情が浮かんでいるように思える。気に食わない。


「そうだ、ユリ。例の場所の警護を強化しておいてくれ。念の為にね」

「かしこまりました」


 彼女は去り際にこちらをチラリと見て、すぐにその場を去った。

 その目に、腹が立った。彼女の目はまるで可哀想なものを見るような目をしていた。もしかしたら、彼女は知っているのかもしれない。両親のように、目の前の愛しくて憎らしい人のように、私がこれから辿る未来を。


「馬車まで送って行くよ」

「いえ。…少し、体調が悪くて。少しだけ休んでから帰ってもよろしいでしょうか?」

「勿論だ。気付かなくてすまない」

「いえ、それでは失礼します」

「ああ」


 少しも、気付いてくれる気なんてなかったくせに。すまないなんて、思っていないくせに。

 メイドに医務室まで案内してもらい、ベッドで少し横になった。


 どうして、私を見てくれないの。私は明日、貴方の妻になるのに。

 悔しくて涙が出た。少しでもいいから、愛して欲しいだけなのに。


 涙が止まり、ベッドから起き上がって部屋を後にした。医者が何か言いたげにしていたけれど、結局私に話しかけてくることはなかった。

 帰りの馬車まで案内してくれていたメイドを撒き、人気のない庭の隅を隠れるようにして歩いた。昔もよくオスカー様のあの仮面を剥ぎたくて、彼を知るために城に遊びにきてはメイドを撒いてこっそり彼の様子を覗いていた。

 最近はめっきりそんなことはしなくなったけれど、なんだか今日は一人になりたかったので王城の特に目立たない庭を静かに歩いていた。


 少しすると、近くに見覚えのある人物が2名歩いているのが見えた。咄嗟に私は建物の陰に身を隠す。

 あれは、オスカー様とアルフレッド様だ。


「例のカードはちゃんと持ち歩いてるのか?」


 そんな声が聞こえてきた。カード…魔法のカードかしら。

 オスカー様は左胸を押さえており、あそこにカードを持っているらしい。護身の為に王族がカードを持ち歩くのは何ら不思議なことではないけれど、何かが引っかかった。


「急になんですか。持ってますよ」

「いや。あのユリって精霊の女、気に食わなくてな。気を許しすぎず用心しろよ」

「分かってますよ」


 ユリ、とは先ほどの女性のことだろうか。

 そして今アルフレッド様は彼女を精霊、と言っていた。精霊が人間の護衛をしているなんて聞いたことがないな、とぼんやり思っていると、


「お前、例の彼女より先にあの女とやったんだって?情は移ってないだろうな?」


 そんな声が聞こえてきた。

 思わず体が強張る。私だって馬鹿ではない。その言葉の意味することくらい分かる。


 自分が、とんでもなく惨めだった。


 その後も二人は何かを話していたようだけれど、もう、私の耳には言葉が入ってこない。愛は得られず、オスカー様は私より先に、あの女性と体を重ねていたなんて。

 悔しくて、悔しくて、何より自分が惨めで。せっかく止まっていた涙はまた溢れてきた。


 許せない。あの人は、私を裏切った。そして愛しているはずの、お姉様すら裏切っていたのだ。

 なんて不誠実で、最低な人。愛が、憎しみにみるみる蝕まれていく。


 完全に2人がいなくなってからフラフラと歩いていると、案内していたはずのメイドが探しにきてくれた。


「アリス様!また迷子になっていら…どうしたのですか?」


 このメイドは昔から私がフィーデン城に遊びにくると城の中を案内してくれていたメイドだ。よく撒いては見つかった時、いなくなった理由に「迷子になった」と答えれば純粋にそれを信じてしまうような人。彼女の中で、私は方向音痴ということになっている。

 今もまた、迷ってしまったのかと探しにきてくれたのだろう。泣いている私に気付いてそっとハンカチを差し出してくれている。


「アリス様、どうなさったのですか?」

「…ごめんなさい。マリッジブルーなのかしら。なんだか不安になってしまって」


 そう言えば、純粋な彼女は信じてくれたようだ。


「左様でございましたか…。結婚前の乙女は皆、不安になるものです。ささ、ご自分のお屋敷に帰ってゆっくり心を休めてくださいませ」

「ありがとう」


 裏表のない純粋な彼女の優しさが、胸に染みて痛かった。


 ◇


 帰りの馬車に向かっていると、ばったりメアリー様に出会った。目の赤い私の様子を怪訝に思ったようで、彼女は私を彼女の自室に招いてくれた。

 出された紅茶は香り高く、不思議と心が落ち着いた。


「お久しぶりです、メアリー様。大変お見苦しいところをお見せしまして…」

「いいのよ、気にしないで。私は貴女のことを気に入っているの。だから貴女の目が赤くなっているのに気付いて、明日が結婚式なのに何かあったのかと気になってしまって。ご迷惑だったかしら」

「いいえ!助かりました…」


 正直あのまま帰ったら両親に何があったのかと追及されそうだったので、助かった。

 メアリー様は王太子であるレオナード様の妻で、王太子妃だ。何度かお茶会に呼んでもらい、何故か気に入ってもらえたようで、良くしてもらっていた。


「それで…何があったの?」


 優しく、私の心を解すように語りかけてくるメアリー様に、私は本音を溢していた。


「私は…オスカー様に、愛されていないようなのです」

「愛されて…いない?貴女たちはとても仲睦まじい様に見えていたけれど…」


 一度溢してしまえば、もう気持ちを吐き出さずにはいられなかった。


「オスカー様は…オスカー様は、お姉様を愛しておいでなのです」


 オールストン家には一人娘しかいないと周囲には認識されているので、きっとメアリー様には何を言っているのか分からないだろう。

 それでも一度決壊してしまったものは、止まることを知らない。


「オスカー様は、私を通してお姉さまを見ているのです。一度お姉様に会ってから、彼の世界にはお姉様しかいなくなってしまった。私の居場所は、ないんです」


 嗚咽とともに流れ出る言葉は受け入れ難くとも真実で、自分が溢す言葉に心が無残に傷付けられた。そんな私の背を、メアリー様はゆっくりと摩ってくれる。


「心を裏切るだけならまだしも、オスカー様はいつの間にか見知らぬ護衛の女…ユリという女性と契られていらっしゃった。…オスカー様が、憎くて憎くて、堪らないのです!」


 全て吐き出し、涙も枯れた頃、ゆっくりと柔らかな腕の中に包まれた。


「…辛かったのですね。良く我慢しました」


 そうだ、私は辛かったのだ。見返りのない愛を捧げ続けることが、苦しかったのだ。

 でも好きだから。だから、ずっと我慢していた。

 その言葉はストンと、胸の中に落ちてきた。


「……アリス」

「メアリー様?」

「貴女は彼を、許せますか?」

「……多分、許せないです」

「…そうですか」


 ゆっくりと腕を離されてメアリー様と目が合うと、彼女は真剣な目をしていた。


「今日の深夜、時計の針が同じ時間を刻む時。貴女の元へ一通の手紙を魔法で送ります」

「え?」

「私と同じ様な思いをした貴女に、渡したいものがあるの。私には、結局それは選べなかったけれど。得た物をどうするかは、貴女次第よ」


 そう言うと、メアリー様は貴重なはずの魔法を使って私の赤くなった目を元に戻してくれた。そしてあれよあれよという間に部屋から出て、馬車に乗り込んでいた。

 馬車まで送ってくれたメアリー様は、最後にこう言った。


「どうか、貴女の幸せを祈っているわ」


 それはまるで、最期の別れの様だった。

※補足

ユリの髪が銀髪になっているのは、本来ほとんど交流のないはずの精霊がいると怪しまれるので人間のフリをする為です。

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