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第4話

 私は間抜けに口をぽかんと開けたまま静止した。動くことが出来ない。目はドラゴンに奪われたまま、必死に記憶の中の本棚で『ドラゴン』の項目を探す。


 ドラゴンとは、アインハイド大陸に存在する生態系の頂点である。

 アインハイド大陸には竜族・精霊族・妖精族・人間族の四つの種族が存在している。その中でも一番強い種族が竜族であるドラゴンだ。ちなみに最弱は人間である。

 ドラゴンについては生態系の頂点にいるということ以外はあまり知られていない。私たち人間とは交流がないから知ることができていない、といった方が正しい。人間と一番交流がある種族は精霊、次いで妖精だ。ドラゴンは他種族との交流を好まないとされている。だからドラゴンについて知ることが出来るのは精霊や妖精がくれる情報と一つの記録からのみ。

 交流がない人間にとってドラゴンとはどういう立ち位置の生き物なのか。

 答えは畏怖。それはとある歴史書に書かれていた記録によると、ある事件に起因しているようだった。



 とある村の男性が立ち入り禁止とされている深い森へ入っていった。その年は食糧が少なく、食料を求めて森へ入っていったとされている。だがその男性がその日森から帰ってくることはなかった。

 男性の安否が心配され森に入るべきかどうか村人たちが話し合いをしていると、大きな風が村を襲ったという。驚いて風が吹いてくる方を見れば、そこには大きな緑色のドラゴンが翼をはためかせて地上に降り立つところだった。口に何かを咥えており、その何かをドラゴンは村人たちの方へ投げた。

 何かは、森へ入っていったはずの男性だった。男性は意識を失っているだけで、死んではいないようだった。

 ドラゴンは言った。


「我の住処に入り込んでくるとは貴様らはどういうつもりだ?我ら種族と結んだ古き掟を忘れたか。今回は見逃してやろう。だが今後また我の元へ来るというならば次はない。貴様らの村ごと吹き飛ばしてくれる」


 ドラゴンはそう言い残し、村から飛び立っていった。村人たちには古い掟が何だかは分からなかった。唯一つ分かったのは、あの森が立ち入り禁止と言われていた理由だけ。

 村人たちは二度と森へ立ち入らなかったという。そして何故森へ立ち入ってはならないのかという理由を村に残した。今後、このようなことが二度と起こらないように。

 そしてこのドラゴンが村に降り立ったという話は、瞬く間に国中に広がっていった。



 この事件は200年近く前に実際に起きたことで、記録にも残されている。それ以来、この国の人間たちの間ではドラゴンは恐れられているという。圧倒的力を持つドラゴンはただただ恐怖の対象だった。だが強い種族に人間は惹かれるものなのか、恐れるだけではなく敬われてもいる。男性が殺されていなかったことが敬われる理由なのかもしれない。人間たちは慈悲深きドラゴンを敬った。ドラゴンを崇拝する宗教もあるくらいだ。

 だが恐れているのは人間だけではないらしい。精霊も妖精も、ドラゴンは怒らせたら恐ろしいという認識を持っているそうだ。妖精はとても悪戯好きで、他の種族によくちょっかいを出す迷惑な種族。

 あるとき一匹の妖精がドラゴンにちょっかいを出したらしい。そしてドラゴンの怒りを買い、喰われたという。それ以来、精霊も妖精もドラゴンとはあまり関わりを持っていないらしい。


 何故私がそんなことを知っているのかと言えば、誕生日に貰った分厚い歴史書に書かれていたからだ。そっとドラゴンの知識を記憶の中の本棚に戻す。今も目を離せずにいる大きな生き物を改めて見る。


 今私の目の前にいるのは、間違いなく()()()()だ。

 だがこのドラゴンはあの歴史書に書かれていたドラゴンではないのだろう。緑色ではなく、瑠璃色の鱗を持つ蒼いドラゴンだった。まるでラピスラズリを削って一つ一つ嵌め込んだようなその鱗は、蒼く光る石の輝きを反射して煌めいている。月の光を宿したかのような金色の目は、こちらをじっと覗き込んでいる。


 私は身体が震え、立っているのが精一杯だった。だけど私の身体が震えているのは畏怖からではない。


 これは…()()

 やっと出逢うことのできた、喜び。ずっと惹かれてやまなかった何かの正体はこのドラゴンだと、本能が私に告げた。


 物心ついた頃から私は何かに惹かれていた。屋根裏部屋の小さな窓から、いつも外をじっと見ていた。それが何なのかは分からない。それでも惹かれる。奇妙に思いながらも私はいつも屋敷の外の世界に思いを馳せていた。屋敷から出たいと思っていたのは、この惹かれる何かに会いたかったからかもしれないと今は思う。


 その何かに、やっと出逢えた。

 私はドラゴンを見つめたまま生まれての初めて涙を流した。


「娘…何が悲しくて泣いておるのだ」


 その蒼いドラゴンの発する声は、思いの外優しく耳に届いた。それが嬉しくて、私はまた一粒涙を零す。


「悲しいのではありません…嬉しくて、泣いているのです」


 ずっと会いたかった。

 ずっと惹かれていた。

 やっと、あなたに会えた。


「ずっと、ずっとお会いしたいと思っておりました。こんなことを言っては可笑しな娘だと思われるかもしれませんが、私はずっとあなたに惹かれていたのです。やっと、お会いすることができた…」


 涙はぽろぽろと零れていく。涙とは嬉しいときに、喜びを感じたときに流れるものなのだと初めて知った。あの屋敷にいたときには涙を流したことがなかったから。こんな気持ちになったことなどなかったから。


「…ふむ、我の魔力に惹かれておったのか。どうりでのう…お主は『愛し子』だな」


 涙が止まる。

 聞いたことのない呼び名だった。私は『忌み子』だ。

 私のような存在が呼ばれていいはずのない、愛に溢れた呼び名で呼ばれて戸惑う。何かの間違いではないだろうか。


「私は…『忌み子』です。『愛し子』などではございません。私は…私はそのように呼んでいただける存在ではございません」

「卑屈な子よの。しかしなるほど、人間はお主のような人間のことを『忌み子』と呼ぶのか」


 何かに納得したようにその蒼いドラゴンは一度目を瞑り、黄金の目を再び開いた。その目は慈愛に満ち溢れている。


「お前たち人間が『忌み子』と呼ぶ人間を、我らは皆『愛し子』と呼ぶ」


 そう、優しくドラゴンの言葉が頭の中に響き渡った。労わるようなその優しい声色は、私の心を優しく包む。胸が苦しくなったと思ったら、また止まっていたはずの涙がとめどなく溢れた。ドラゴンの視線からは、今まで誰からも齎されたことのない溢れんばかりの優しさを感じる。


 歴史書に書かれていたような恐ろしさは目の前のドラゴンからは感じない。感じるのは、優しさだけ。

 優しさが胸を締め付ける。どうしようもなく苦しくなった私は、いつの間にかその蒼いドラゴンの前で失っていたはずの心を取り戻し、泣き叫んでいた。


 アリスに出会ってから心を殺して生きていた私は、沢山の感情を奥深くに仕舞い込んだまま日々を生きてきた。そうしないと辛くて悲しくて死んでしまいそうだったから。だから何も感じないように心を殺した。何も欲しがらないように生きてきた。そうするしか、自分を守る術を知らなかったから。


 本当はずっとずっとアリスが羨ましかった。沢山の愛を、沢山の優しさを知っているアリスが羨ましかった。何もしなくても沢山の物を与えてもらえるアリスが羨ましかった。両親に愛される、素敵な婚約者や友人がいるアリスが羨ましかった。

 羨ましくて、妬ましかった。アリスが先に生まれていれば。私が後に生まれていれば。何度そう思ったか分からない。どうして私がスペアなの。どうして私はアリスじゃないの。どうしてどうして。

 私なんて、生まれてこなければ良かったのに。そうすればこんな思いをしなくて済んだのに。私はいつしか両親を恨んでいた。


 知らなかった…いや、見ないフリをしていた自分の心の内を泣き叫びながら知った。

 こんな風に私は人を羨み、妬み、恨んでいたのか。こんなに醜い人間だったのか。優しさに触れて露わになった自分の心に落胆と絶望と同時に納得する。

 私はやはり『忌み子』なのだ。こんな感情を養ってくれていた両親に、血の繋がった妹に抱いてしまうなんて。『愛し子』などと呼んでもらえるような存在ではない、醜く汚らわしい人間だ。

 叫び過ぎて掠れた声をやっとで紡ぎ、蒼いドラゴンに言った。


「私はやはり『愛し子』と呼んでいただけるような人間ではありません。だってこんなにも醜い人間なのです。どうか、どうか私を呼ぶならば『愛し子』ではなく『忌み子』と呼んで下さいませ」

「強情な娘よの…しかし『忌み子』というのは気に入らぬ」

「ですが」

「我に逆らうのか」


 優しさしか感じなかったドラゴンから、初めて怒りを感じた。だけどそれは純粋な怒りではなく、少しの哀しみも含んだ怒り。

 私は慌てて否定しながら、少し嬉しさを感じていた。

 やっぱりこのドラゴンは、とても優しい方だ。


「いえ!」

「それでよい。して、愛し子は何故あのようなところに寝ておったのだ?」

「家から…出てきたのです。妹が出ていけと言ったので、それに従いました。私はあの家では家族の言葉に逆らうことが出来ません。なので今回も妹の言葉に従い家を出ました」

「なるほどのう。それにしては随分衰弱していたようだが…何か理由でもあるのか」

「…はい。本来私のような『忌み子』と言われる子は神殿に献上されます。国の法律で決まっており、法律を破ると罰を与えられます。ですが私の両親は私を神殿には献上せず、こっそり私を妹のスペアとしてあの家で育てました。秘匿されるべき存在であった為、私はあの家から出ることは叶いませんでした。もし私の存在がバレたら処罰を受けるのは両親でしたから」


 俯いて話す私の身の上話をドラゴンは静かに聞いてくれている。私を見つめる目が優しくて、私は安心して頭の中でこれまでの状況を整理しながら続きを話す。


「今回私が家を出ることが出来たのは、妹が怒りで短慮を起こしたからでした。頭に血が上っていたのでしょう、出ていけと私に言いました。私は部屋から出てはならないと両親に言われていましたが、妹がそう言うのならば出ていっても良いのではないかと思い家を出ました。ですが両親の言い付けがあります。私が家の外に出るのは問題です。なので私は走って屋敷から逃げました。そして気付いたら、あそこにいたのです」


 ドラゴンに話しながら、とんでもないことをしてしまったなと思った。妹は出ていけと言ったが、両親はそのことを知らない。いや、今はもう伝わっているだろう。私を追ってくるだろうか。それとも元々アリスのスペアでしかなかった存在、そもそも私という娘自体をいなかったことにするだろうか。

 冷静になって自分のしてしまったことに血の気が引いた。生きているのがもし、ばれたら。そしたら私はどうなるのだろう。

 身体を震わせているとふと近くで視線を感じて顔を上げる。そこには心なしか悲しそうな顔をしているドラゴンがいた。


「神殿に献上されぬ子はこのような暮らしをしていたのだな…今まで辛かったであろう。可哀想な愛し子よ」

「え?」


 まるで神殿に献上された子のその後を知っているような口ぶりに混乱し、戸惑う。だがドラゴンはそれ以上に戸惑うような発言を続けてした。


「お主、帰る所がないのならばここで我と暮らしてみる気はないか?」



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