第46話
ハッと目を覚ますと、時刻は12時を過ぎたところだった。もう結婚式はおそらく始まっているだろう。式が終わるには早すぎるだろうし、今は式の真っ只中か…。
ぼんやりとした頭で起き上がり、水を飲もうとコップを手に取ったところで意識が覚醒する。
飲んだら吐き出した意味がなくなってしまう!
慌ててコップを机に置き、ゆっくりと眠りにつく前のことを思い出した。
そうだ、魔法は使えるようになっているのだろうか。
恐る恐る水の魔法を使ってみれば、手で作った皿の中に微量の水が湧き出る。出力を上げれば、皿の中いっぱいに、水は希望と共に溢れた。
魔法が、使える。
魔法を使えることにこれほど感謝したことはない。
朝食を食べてからまだ3時間半しか経過していないのに魔法が使えるということは、封印の魔法は飲食物が体内に吸収されるのと同時に少しずつ効力を持っていくものだったということ。
あんなに辛い思いをして良かった。これならここから脱出できる!
さっそく服を脱いで水魔法と石鹸で簡易的に洗い、風魔法で早急に乾かした。
あの白いドレスを着るなんて、絶対に嫌。ちょっと強かになった自分に苦笑いをし、唯一外へと通じる憎っくき扉の前に仁王立ちで立つ。
今まで魔法を練習してきた成果を見せるときだ。…スイリュウ様から優雅に降りるために練習していたから、こんな形で使うことになるとは思わなかったけれど。
スイリュウ様は以前風魔法を練習した時に言っていた。
『よいか、ジェシカ。風魔法は衝撃を緩和することにも使えるが、使い方によっては鋭い刃物にもなる』
『刃物、ですか?』
『そうだ。ジェシカが練習しているのは物体に対し、物体を包み込むように空気を風で包むといったものだ。だが目標物と定めた物体に向かって切るように風魔法を使えば、魔力の強さにもよるが物体は真っ二つに切れるであろう』
『そうなのですか!魔法も使い方によって傷つけることも、守ることもできるのですね』
『うむ。だから使い方には気をつけるのだぞ』
『はい!』
私は水魔法が一番適性があり、風魔法はその次くらいに使える魔法だ。それにそこまで魔法を使い慣れているわけじゃないから、きっとこの扉を板から破壊することはできない。
それでもあの扉の金具を破壊するくらいなら、きっと出来る。金具は扉の上下に二つ。扉と部屋を強固に繋いでいる上の金具に目標を定めて深呼吸をした。
『よいか、ジェシカ。魔法を使う時は使い慣れていないなら特に心が揺らいでいてはならぬ。精神が安定していないと、魔法は十分に使いこなせぬ』
『はい、肝に銘じます!』
いつだって、スイリュウ様は私を助けてくれる。私に勇気をくれる。
今日だってあの日の記憶が、私がここから抜け出す力を与えてくれる。
私はやっぱり、スイリュウ様が大好きだ。今は早くその気持ちを伝えたい!
「はっ!」
風魔法を目標に向かって放てば、扉に設置されていた金具は高い金属音を鳴り響かせて壊れた。
「やった!」
破壊できたことを確認し、残りの金具も同じように破壊した。飛び散った金具を踏まないように水魔法で足を靴のように覆い、金具のなくなった扉を思いっきり蹴った。するとあれだけ開けようとしても開かなかった扉は、大きな音を立てていとも簡単に床に倒れた。
警戒しながらも部屋を出れば、そこは城内のどこかの廊下のようだ。通路は狭く、右も左も少し遠くに直角な曲がり角がある。城の中の一部屋だと思っていたけれど、もしかしたらここは何かの塔の中なのだろうか。オールストン家の屋敷の中よりも狭いように見受けられる。
そして兵士がいるのではと危惧しながら部屋を出たのに、不自然なまでに誰もいない。そして音が、あまりにもない。出てすぐにわかるほど、ここは何かがおかしかった。
兵士の件は恐らく私は魔法を使えないはずだったので出る手段がないだろうというのと、私の存在が多くの者に知られたくはないというのがあって兵士を部屋の外につけていなかったのではないのだろうか。それとも普段人が立ち入らないような所にこの場所があるからなのか、その両方か。
いずれにせよ、誰にも接触することがなくてよかった。いざとなれば水魔法を使って相手の動きを止めて逃げようかと考えていたが、杞憂だったようだ。
人を警戒しつつとりあえず右に進んで角を左に曲がると、通路の真ん中辺りで左側に下に降りる階段があった。階段を降りずにそのまま進み、角を左に曲がれば通路の真ん中右手に扉がある。扉のところへ向かい、ドアノブを回すと扉はゆっくりと開いた。
「なんなの、ここは…」
そこには見覚えるのある部屋があった。一瞬自分の部屋に戻ってきてしまったのかと錯覚するが、よくよく部屋の中を見てみると多少配色や家具の位置が違うものがあり、部屋の造りが全く同じなだけで別の部屋のようだ。
少し安堵して部屋を出れば、見えるもの全てに既視感があった。私のいた部屋を出た時と同じ風景なのだ。速足で右手に進み、角を左に曲がると通路左手に上へと登る階段がある。そのまま角まで進んで左を見れば、先ほど私が壊した扉の板が通路真ん中にある。
どうやらここは通路が四角に一周しており、この階を出るのは階段を上がるか降りるかするしか方法がないようだ。
「何故、同じ部屋が…」
疑問は湧くけれど、今はそれに時間を割いている暇はない。どこに進めばいいの分からず、とりあえず一番近くにあった上へと登る階段の前に立つ。通路の窓は全てステンドグラスになっており、外の様子が窺えない。不気味なほどに外の音も聞こえないのでこのフロア以外の様子が全く分からず、どう動くかの方針も決められずにいた。
いきなり下に降りて誰かに出くわすのはまずいので、とりあえず上に行ってみて外の様子を見れるところを探してみよう。
階段を登ると、下の階と同じような通路に出た。少し短くなったように感じる通路を左に進んで角を曲がれば、見覚えのある配置に扉がある。
また同じ部屋がここにもあるのだろうかとドアノブを回すとドアノブは途中で動かなくなり、ガチャガチャと何度か試すが扉が開くことはなかった。
「鍵が閉まってる…?」
私の部屋も鍵が閉まっていた。無人の部屋は空いていた。…まさか。
嫌な想像が過ぎった瞬間、扉の向こうから幽かに音がした。
「誰か、そこにいるの…?」
消え入りそうなほどに細い女性の声は、でも確かに私の耳に届いた。
「いるわ」
「女の人の声…ねえ、お願い助けて…」
弱々しいながらも意志のある声に、この扉の先にいる女性もまた私と同じように監禁されているのであろうことが窺える。
この人を助けなきゃ!
そう思った瞬間、くぐもった爆発音がして地面が揺れた。部屋の中から悲鳴が聞こえてくるが、助けようにも大きな揺れで身体を支えきれずに床に崩れるように転んでしまう。小さく呻き声を上げて立ち上がれずに床に伏せていると、しばらくしてから揺れは収まった。音はそんなに遠くないところから聞こえたようだけれど、一体何が起きているのだろう。
もしかしたらスイリュウ様が関係しているのかもしれない。なるべく早く音のした方へ向かわなくては。でもその前に、この扉の先にいる女性を助けなくちゃ。
「大丈夫ですか!?」
そう声をかけてみるも、扉の先から返事はない。急いで扉の隙間から何度か風魔法を打ち込み、部屋内部にある扉の金具を破壊した。水魔法で壊した扉を包み込み、ゆっくりと魔法で水ごと扉を移動させて壁に立てかけ、急いで部屋の中に入ればベッドに女性が倒れ伏している。
駆け寄って仰向けにしてみるが、女性は目蓋を固く閉じたままだ。
「あの、大丈夫ですか!?目を開けてください!」
微動だにしないので心配になって呼吸と心音の確認してみれば、どうやら意識を失っているだけのようだと分かり、安堵の息を吐いた。
冷静になってから女性を観察してみると、女性は私と同じネグリジェのような服を着ていて、美しいピンクブロンドの髪は少し痛み、白い肌にはいくつかの痛々しい痣が呪いの印のように刻まれている。唇はカサつき不健康そうな紫で、まるで病人のような風体だった。
「なんて痛々しい…」
水魔法が得意なものは治癒魔法も適性があるということで、スイリュウ様に教え始めてもらったばかりの治癒魔法をこの女性にかけてみる。
心が動揺するのを無心になって鎮め、ただひたすらに治癒魔法に集中した。
「ん…」
しばらくすると、ベッドに寝かせていた女性は目を覚ました。
「よかった、目を覚ましたんですね」
「あなたは…?」
「私はジェシカと言います。あなたと同じように、ここの別の部屋に閉じ込められていたものです」
「私はローラ。私の他にも、同じような人が…」
か細い声でそう呟くと、苦しそうに咽せる彼女の喉元に治癒魔法を更にかける。
「何故かしら…?さっきよりも喉が楽になったわ」
「よかった、治癒魔法が効いたみたいね」
「ま、ほう…?あなた、一体…」
「ごめんなさい、ゆっくり話している暇はないの。動ける?ここを脱出しなくちゃ」
「無理よ。もう何日も食事をしていないの。一歩も動けないわ」
「何故?」
「食べたくないって、拒否したの。アフルレッドの為なんかに、絶対生きてやりたくなかったから。食事をとらずにいずれ死ぬつもりだったのよ」
「アルフレッド?」
「この王国の、第二王子よ」
第二王子ということは…ローラさんも愛し子なんだわ!
似たような部屋に監禁されていた彼女と私。ならばここは、きっと代々王族が忌み子を監禁してきた場所なのだろう。そう思い至って、背筋を寒いものが走った。
こんな所、早く脱出しなくちゃ。
「ローラさん、やっぱり動けそうにはない?」
「ごめんなさい。動けそうにないわ。こんなことになるならちゃんと食事を食べておくんだった」
ベットに横たわったまま悔しそうに顔を歪ませるローラさんを横目に、私はどうするべきかを必死に考えた。私は彼女を運ぶことはできないし、万が一なんらかの方法で運べたとしても、兵士に見つかったらどうすることもできない。私だけなら魔法を使って逃げることができるかもしれないけれど、彼女を置いていくしかなくなってしまう。それでは駄目だ。
良い考えが思いつかずに焦りばかりを募らせていると、下の方から微かな足音がしていることに気付く。誰かがこちらへ向かっている。
「誰かがこちらに向かっています」
「え!?」
恐怖に顔を歪めるローラさんを庇うように前に立ち、いつでも魔法が使えるように身構えた。額を伝う汗を拭い、じっと足音が近づいてくるのを待っていると、ついに足音の主が正体を表した。
「ジェシカさん!」
「スイファさん!?」
現れたのは、焦燥を顔に浮かべたスイファさんだった。