第43話
夕飯の時間に来たオスカー様は手のつけられていない食事をちらりと見ただけで、特に何も語らなかった。私の体調を心配してくれたくらいで、あとはいつものように私を見つめて私の食事風景を見ていただけ。
肩透かしを食らった気分だったが、そのおかげで少し余裕が生まれた。なので今は夜の訪れまでスイリュウの話を反芻しながら待機している。
ある程度頭の中を整理し終えた後、気付いたらカラカラになっていた喉を潤すために水を飲んでいると、本日4回目のノックの音が響いた。
「お待たせ、ジェシカ…おや、水を飲んでいる所だったんだね」
「…失礼しました」
「いや、気にすることはないよ。僕の方こそすまない」
「……いえ」
「さあ座って。今日は二着持ってきたんだ。君に早く見せたくて、いつもよりすこし早めにきてしまったよ」
ちらりと時計の方を見れば、確かにいつもより10分近く早い。だから水を飲んでいるところを目撃される羽目になってしまったのかと納得しつつ、促されるままにベッドに座った。
私の座る横に服を置くオスカー様は、何処となく嬉しそうな様子である。何がそんなに嬉しいのかと並べられた服を見ると、私の体は硬直した。
一着は、いつもオスカー様が持ってくるような質素でありながらも上品な深い青の夜着のドレス。彼は青い夜着を好むようで、ここに監禁されてから私は同じような色の夜着を毎日着ていた。夜だけでなく一日中同じ夜着を普段着のように着ているのだが、彼はそういう趣味なのだろうか。それともただ単に服を調達してくるのが困難なのか。彼がどのような生活を送ってここに来ているかを知らない私には知る術はない。
私が硬直した原因となったのは、もう一着の服…純白のドレスだった。本で得た知識を頭の中のから引っ張り出して、まじまじとドレスを眺める。その結果、このドレスに対して思うのは、これはウエディングドレスなのではないかということだ。
何故、こんなものがここに置かれているのか。答えを求めるようにオスカー様を見れば、満面の笑みを浮かべた彼がその美しい形状の唇を動かす。
「明日は僕らの結婚式なんだ」
その言葉はナイフよりも鋭く、私の心を切り裂いた。あまりに急すぎて心に思考が追いつかない。
「ずっとずっとこの時を待っていたよ。やっと、明日だ。明日はいつも通りこの服を着ていていいよ。食事なんだけど、僕は流石に持ってこられないから別の者が持ってくる。夕飯を食べたら、このドレスに着替えてね。大丈夫、夕飯を持ってくる者が着替えも手伝ってくれるから安心して」
言葉は聞こえてくるのに、耳を通り過ぎていく。視界はウエディングドレスのように真っ白く染まり、何も見えない。
「一旦このドレスは預かるね。夕飯を食べ終えて着替える時に持って行かせるよ。ああ、このドレスの隣に君がいると、本当に僕は君と結婚出来るんだと実感するよ。それじゃあ、段々お暇するよ。明日は早いからね。おやすみ、ジェシカ。良い夢を」
私の右手を優雅に持ち上げ、手の甲にキスをしてオスカー様はあの真っ白なドレスを持って部屋を出た。施錠された冷たい音が部屋に響き渡り、やがて静寂が広がる。
私はそれからだいぶ経ってから、夢から覚めたように急にハッと我に帰った。いっそ、あれが本当に夢であれば良かったのに。
洗面台で右手の甲を石鹸で洗い、ついでにお風呂に入って身体を洗い流した。持ってきてもらったばかりの服に着替え、することもないのでベッドへ潜り込む。
スイリュウ様が私を迎えに来てくれるのは、明日。
オスカー様と結婚しなければならないのも、明日。
どちらが先になるのか。どうなるのかなど神のみぞ知ることで、私には予測することなどできはしない。
あまりの急な知らせは私から思考力を奪い、オスカー様から情報を引き出す暇など与えはしなかった。どうしたらいいのかと寝返りを打ちながら考えるも、何も浮かんでこない。無力な私にはどうすることも出来ず、泣きたい気分だった。
これもオスカー様の目論見通りなのだろうか。だとしたら恐ろしい人だ。私はあの人と、結婚することになってしまうのだろうか…。
どうしても眠れなくて、いつのまにか粗い呼吸をしていて渇いていた喉を潤す為にベッドを這い出る。月明かりを浴びて青白く光る水差しからコップに水を移し、喉の渇きを癒した。
いつもは何も感じずに飲んでいた水がとても美味しく感じ、少しの既視感を覚える。いつか似たようなことがあったようなと考え、思い出す。
家を出て、森を彷徨っていたときに飲んだ水の味と同じだったのだ。どうやら相当喉が乾いていたらしい。おかしくて、少し笑った。
懐かしいなぁと思う。きちんと日付を数えていた訳ではないが、オールストンの屋敷を出てからもう3ヶ月近く経過しているはずだ。たった3ヶ月くらい前なのに、私にはもう何年も前のことのように思える。
屋敷にいた頃の代わり映えのない毎日より、スイリュウ様と過ごした毎日の方がずっと濃厚で、時間が経つのがあっという間だったからかもしれない。
スイリュウ様と過ごした鮮明な日々を順々に思い出し、とても温かい気持ちに包まれる。私は少し、弱気になっていたようだ。あんなにオスカー様から情報を引き出そうとしていた強い気持ちを持っていたのに、度重なる精神的疲労で弱ってしまっていた。
でも、もう大丈夫だ。暖かな思い出を胸に、再びベッドへ身を沈めた。
どういう結果になろうとも、私には私の出来うる最善を尽くすんだ。絶対に、スイリュウ様たちのところへ私は帰るんだ。自分を鼓舞し、なんでもすぐ諦めてしまいそうになる私は引っ込め、諦めない私を奮い立たせた。
明日はきっと、大騒ぎになるだろう。だって、伝説みたいな存在のドラゴンがこのお城に来るんだもの。
そういえば屋敷を飛び出して令嬢が大冒険をするお話の中で、その令嬢はピンチの時にドラゴンに乗って危機を脱することが出来たっていうエピソードがあった。私のお気に入りのお話の一つで、何回も読み返したからよく覚えている。
もしかしたら、私もその令嬢みたいになれるんじゃないかしら。柄にもなくそんなことを考えて、小さく笑った。
少しだけ明日が楽しみに思えた頃、私はやっと訪れた微睡に身を委ねた。