第42話
重たい瞼を押し上げると、外の景色をぼかしてしまう分厚いガラスから眩しく光が溢れていた。いつもより光が強いような気がして時計を見ると、時計の針はお昼を指し示している。
急いで起き上がるが、オスカー様の姿はない。少しの安堵と不安を抱きながら周りを見渡してみれば、机の上に食事と一枚の紙が置かれていることに気付いた。文字が書いてあったのが見えたので手に取り、視線を文字へと落とす。
◇◇◇
ジェシカへ
体調は大丈夫かい?
昨日は慣れないことをしたから疲れてしまったんだろうね。ゆっくり休むといい。
お腹が減ったらこれをお食べ。また夕食のときに会いに行く。
愛しているよ。
オスカーより
◇◇◇
整った上品な文字はそう締めくくられていた。朝と昼にオスカー様は来ていたようだけれど、どうやら私を起こさずに食事だけ置いていってくれたようだ。
オスカー様は、とても優しい。怖いくらいに。私がもしスイリュウ様たちに出会わなければ、もしかしたら妹のようにオスカー様を好きになっていたかもしれない。だけどそれは所詮、もしもの話。現に私はスイリュウ様たちに出会い、スイリュウ様を好きになった。それが現実。
だけどこの何もない部屋の中にずっと押し込められていると、余計な事ばかり考えてしまう。相変わらず魔法は使えないし、部屋から脱出することも叶わない。オスカー様が来るまでに出来ることといえば、いつの間にか置かれていた本を読むことか、考え事をするか、ボーッとするか。優しい監禁生活に、私の頭はおかしくなりそうだった。
見上げれば鮮明な青空が見える窓が張られた私の部屋とは違い、辛うじて晴れていることが分かる程度のことしか分からないこの部屋の窓は、私をとても窮屈で不安な気持ちにさせる。いつまでたっても、この部屋には慣れない。けれど慣れるようなことなど、ない方がいい。
私はあそこへ、あの洞窟へ帰るのだから。
食事を食べる気にもならず、窓の外をなんとなく見つめていると、ふいに頭の中に何かが木霊したような気がした。意識を窓から頭の中へと持っていくと、何か声のようなものが響いているのが分かる。
その声のようなものを聞き取ろうと集中すれば、数日ぶりに聞く、愛しい切望してやまない声がした。
『ジェシカ。ジェシカ。』
目頭から涙がこぼれそうになるのを堪え、何とか返事をしたくて必死に念じてみる。
何度か試してみたが手応えはなく、叫ぶように愛しい方の名を心の中で呼んだ。
『スイリュウ様!』
『ジェシカ!』
力強く、確実に私の言葉に応えて名を呼んでくれたその声のなんと愛しく、心強いことか。
ついに堪えきれずに涙が頬を伝った。
『スイリュウ様…その声はスイリュウ様でいらっしゃいますか?』
『ああ、そうだ。そうだよ、ジェシカ』
『スイリュウ様…ずっと、会いたかったです…』
『我もだ。大丈夫か?ジェシカは無体は働かれておらぬか?元気か?』
『はい、大丈夫です。むしろ部屋に監禁されている以外はとてもいい生活を送らせていただいております』
『そうか…まずは無事でなによりだ。我はジェシカを迎えに行こうと思っておる。……ジェシカがそこでの生活を気に入っているなら無理には行かぬ。どうする?』
『私は、スイリュウ様とまた一緒に暮らしたいです。あなたのお側で、生きてゆきたい。だから、どうか迎えに来て下さい』
『そうか…』
そう呟くような大きさの声は、小さく頭の中に響き渡った。とても優しくて、温かい声色に再び目頭が熱くなる。
『では、お主を迎えに行こう。…だが、まだ我はジェシカの居場所を突き止めて居らぬ。相当な魔法の使い手がいるようでな。すまぬ、ジェシカ』
『いいえ…いいえ!迎えにきてくださるというお言葉だけで、私は胸がいっぱいになります。居場所については、ここでの生活で分かった範囲でですが、お伝えします』
監禁されている間に得た情報をスイリュウ様に伝えると、暫しの沈黙の後に返事が頭の中に木霊した。
『……やはり、精霊が王国を支援していたか』
『やはり、というのは…』
『お主には辛い話かもしれんが、それでも聞くか?』
『…はい、聞きます』
『では話してやろう。あくまで憶測にすぎぬが、限りなく真実に近いであろう現実を』
スイリュウ様がまず話してくれたのは、ユリという現在はオスカー様の側近になっている例の精霊に関する話だった。スイファさんたちが調べてくれた情報によれば、ユリさんはスイファさんたちがいる水の精霊の集落とは別の集落に元々住んでいたらしい。彼女は膨大な魔力を持ち、魔法に関心があったようで数多の魔法を使いこなしていたそうだ。
というのも、彼女は知的探求心が強い方だったらしく、魔法に関する文献を徹底的に漁って鍛錬に励んだ結果そうなったそうだ。魔法をある程度習得して満足し、次に彼女の好奇心を惹いたのは他種族の存在だった。彼女は集落を出て他種族に積極的に接触し、知的好奇心を満たしていた。
ある時、強く惹かれる歪な魔力をフィーデン王国の方から感じ、髪の色や目の色を変え、フィーデン王国に入り込んだ。自分の魔力を察知されないよう魔法で魔力の気配を消し、数年間フィーデン王国に潜伏して歪な魔力の正体を探っていた。そして分かったのが、この歪な魔力の持ち主がこの王国の第三王子であるオスカー・フィーデンであることだった。なんとか接触しようと試みるも、知的好奇心を満たす為だけにしてはリスクが高すぎる為、王国に留まり様子を見ていたらしい。
名も姿も偽り、下っ端のメイドとしてフィーデン城で働くようになって数年。風魔法や馴染みの風の妖精を使って情報を集めていた時に「ジェシカ・オールストン」をオスカー様が探しているという情報を手に入れた。これをチャンスだと思い、自身が精霊だということを明かして協力するようになった、というのがスイリュウ様たちが入手したユリさんに関する情報の全てだった。
次に話してくれたのは、王国が意図的に誕生させた忌み子の話だった。こちらは憶測に過ぎないらしいが、これが真実そうであったとすれば昨日のオスカー様の『僕が彼女にとっての愛し子』という言葉の意味が分かる。
手が震えて血の気が引いていき、心臓が破裂するのではないかと言う音を鳴らした。もし、愛し子を秘密裏に王宮に監禁し、その魔力が失われることのないようにと王族の子孫を残す為に使い潰されてきたのだとしたら。その結果、実際にそれが叶ったのだとしたら。
このまま意図的に生み出した愛し子が増えていき、精霊程でないとしても魔力を持った人間が溢れたらきっと、争いが起きる。まず条約違反のことで精霊と争いが起きるかもしれないし、魔力を持った人間がいるフィーデン王国を恐れた他国が攻めてくるかもしれない。
それで苦しむのは、何も知らなかった王国の民だ。好きでも何でもなかった国だったけれど、ライアンさんが愛した国が亡ぶのは見たくない。
だけど、私を誘拐してまでオスカー様が欲した理由が分かった。私が愛し子だったから、彼はどうしても私が必要だったのだ。その魔力を保有する体質を後世に残していく為に。
驚くほど優しかったことには疑問が残るが…もしかしたら優しくすることで、監禁されているという現状を逃れるために自殺してしまわないようにしているのかもしれない。大事な子孫を残す為の器なのだから。
『……大丈夫か?』
その優しい声にはっとすれば、部屋には濃くなった夕闇が差し込んでいた。どうやら随分と考え込んでいたらしい。
『大丈夫です。…少し、考え込んでしまっていました。すみません』
『気にしなくてよい。念話をして魔力を消耗しておったし、精神的にも疲れていたのであろう。ゆっくり休むのだぞ。……例の男が来る時間はそろそろか?』
『夕食はいつも18時頃に持ってくるので、恐らく』
『ジェシカの気配が遮断されていて、気配を探るのにもう少しかかる。場所はお主のお陰で絞り込めたので明日には必ず連れ出そう。今日中には迎えに行ってやれなくてすまぬ』
『いえ、迎えに来て頂けるだけで嬉しいです』
『今日を乗り切れ。明日、また会おう』
『はい、また明日』
その声を最後に、頭の中にはなんの音も響かなくなった。あの優しい声が離れてしまい、心細さに泣きそうになるけれど、明日には必ず会える。今日さえ乗り切れば、きっと。
深呼吸をしていると、トントンと無遠慮なノックの音が静かな部屋の中に大きく響く。
今回は何を要求されるのか分からない。でも、もう私は泣かない。消えてしまった優しい声の残滓を胸の内に仕舞い込み、ピンと背を伸ばして扉が開くのをじっと待った。