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第37話 アリス(1)

 私にはお姉様がいる。

 そのことに気づいたのは、本当に偶然だった。


 使用人たちと隠れんぼをするのに良い場所を探していたとき、遠くに自分によく似た少女を見つけた。

 彼女が鏡の中から抜け出してきた私なのではないだろうかと思って驚き、咄嗟に物陰に隠れる。使用人に連れられて向かうのは、お手洗いだろうか。


 彼女をじっと観察していると、瞳が私より濃いので私ではないことにホッとした。

 それくらい、その少女は私に似ていた。

 あとで侍女に問い質し、私に双子の姉がいることを知った。

 私は自分で言うのは恥ずかしいけれど、間違いなく両親に溺愛されている。

 その溺愛の理由を知った。幼い私も神の子・忌み子の話は知っていたので、すぐに現状を理解する。あの子が普段姿を見せないのも、私に存在を知らせなかった、その理由も。

 当時の私は純粋に自分に姉という存在がいることが嬉しくて、それでお姉様にこっそり会いに行くことにした。


 初めて会いに行ったときのお姉様はひどく驚いたけれど、少しだけ嬉しそうに笑った。

 それから数年間はずっと両親に内緒で会いに行って、お姉様との交流を楽しんだ。


 お姉様は外の世界を知らないからとても純粋だ。太陽みたいに、眩しいくらいに。

 私はお茶会などでは一般的な令嬢のように振舞っているが、本当は好きではない。

 別に流行りのドレスも、誰と誰が恋仲だとかいう話も、美味しいお菓子のことも、興味などない。

 両親がそう望むから、振舞っているに過ぎないのだ。

 だからありのままのお姉様が、とても眩しかった。忌み子なんて私には関係なくて、大好きだった。

 きっとこの頃が、私にとって一番幸せだっただろう。


 それが変わってしまったのは、私が王子様に出会ってしまったから。


 婚約者として紹介されたオスカー様は、表面上はとても友好的に自己紹介をしてくれたが、心の内を一切見せないような笑顔をしていた。なので私も心の内を見せず、一般的な令嬢のような反応を返し、その日の交流は終わった。

 最初の頃は貴族的なその笑顔を好きになれなかった。

 だけど、あるとき。ほんの一瞬、本当に一瞬だけ嬉しそうに微笑んだ。忘れもしない、いつものように紅茶を飲んで趣味の話をしていたときのことだ。


 私はそのとき、多分オスカー様に恋をしたのだと思う。


 それなりに付き合いができれば、多少相手が何を考えているかなどは分かってくる。

 いつも笑顔を貼り付けて、でもつまらなそうな顔をしていた婚約者。

 そんな彼が、心から嬉しそうに笑ったのだ。この人はこんな表情が出来るのかと驚いた。


 そして私は、オスカー様を自分があんな風に笑わせてあげたい。そう思った。

 それが、恋の始まりだった。


 それからは大好きだったはずのお姉様への関心は薄れ、王子に移って行った。

 両親にお姉様に会いに行っていたのが気づかれてしまったのはちょうどその頃。

 両親は初めて私を叱った。『忌み子』などに会ってはいけないと。

 私には納得出来なかったが、呪詛のように毎日毎日お姉様がいかに蔑むべき存在か。私がいかに尊ぶべき存在かを言われ続け、私はいつの間にか大好きだったはずのお姉様を蔑むようになっていた。

 それでも会いに行ったのは、やっぱり心の何処かでお姉様に会いたかったからかもしれない。


「お姉様は先に生まれたというだけで、このような扱いを受けてお可哀想に」


 それは最初は純粋な同情からだった。

 私が先に生まれていたら、私があんな風な扱いを受けていたのだと思うと生まれた同情。

 それは、いつから嘲りへと変わってしまったのだろう。

 お姉様が体験できないから私が教えてあげようと思っていた色々な出来事は、いつしか嫌な意味を含み、お姉様を苦しませていた。

 だから距離を置こうと思ったのに、それだけは出来なかった。


 そんな日々の中で、オスカー様に会うことは私の唯一の幸福だった。

 だいたいの令嬢の理想である王子様をわざわざ演じてくれたり、そのつまらなそうな表情を変えたくて言う我儘に付き合ってくれたりする、素敵な方。

 ますます好きになった。

 だけど迎えに行くのを遅くしたり、色々としてみてはいるが私の前でその表情を変えたことはない。


 あの日もそのつまらなそうな表情を変えたくて、わざと出迎えに行かずに様子を見るつもりだった。

 ただ、それだけだった。


 私はあのとき、初めてオスカー様の表情が変わるのを見た。

 愛おしそうに、その存在を熱望するような熱い視線をお姉様に向けていた。

 あの人の表情を変えたのは、私ではなくジェシカお姉様だった。


 真っ先に感じたのは、とてつもない敗北感。次に、感じたことのない憎しみだった。

 あんなに大好きだったはずなのに、お姉様に憎しみを抱くことになるなんて。

 私は自分が怖かった。


 あれは何かの見間違いで、私が会いに行ったらオスカー様はあんな風に私を見てくれるかもしれない。

 お姉様がオスカー様の元から去り、メイドから状況を聞いて彼の元へ向かう。

 心に抱いたのは、期待と不安。そして庭にたどり着いて待ち受けていたのは、期待への裏切りと不安の加速だった。


 ーーああ、私にはあの視線を向けてくれないのね。


 私が婚約者なのに。

 どうして、私にはあんな風に熱い視線をくれないの。

 どうして、がっかりしたような、どこか苛立ったような顔をしているの。

 オスカー様は上手く隠していると思っているだろうし、隠せている。

 だけど、私の目は誤魔化せない。好きで好きで貴方を見ていた私には、表情の細かい変化はお見通しなのだから。

 だからこそ、苦しい。憎い。

 こんなに愛しているのに、私を見てくれないなんて。許せない。

 オスカー様に、愛情ではなく憎悪を抱いたのは初めてだった。

 私はそんな想いを令嬢の仮面をつけて隠し、いつも通りに振舞った。

 オスカー様はそんな私の様子にも、興味がないから気付かない。いっそ、気付いてくれた方が良かった。

 気付いてくれたら私を見てくれたのだと、喜べたのに。


 この苦しい憎悪をぶつけてやりたい。でも、出来ない。

 そうして思い出したのは、お姉様だった。



 ◇



 オスカー様を見送り、向かったのはお姉様のいる屋根裏部屋。

 乱暴にドアを叩く。するとお姉様がいつもの様子でドアを開けた。それが苛立ちを加速させる。


「お姉様!どうしてオスカー様と会ったのよ!」


 こんなの、八つ当たりだって分かってる。

 お姉様だって遭遇したくてしたわけではないことは重々承知している。

 それでも、この苦しみが捌け口を求めて、お姉様に悪意をぶつけてしまう。


「化粧室に行きたかっただけで…その途中で偶然会ってしまったの。私だとバレないようにアリスのフリはしたわ。もしかしてバレてしまった?」


 お姉様の対応は正しい。

 あの場ではそうするしかなかった。


「バレてないわ。私がオスカー様に会いに行っても何の疑問も持たずに私の名前を呼んでくれたもの。…でもお姉様、どうしてあんなに親しそうに…仲良さげに話していたの?」


 現実を認めたくなくて、咄嗟に出てしまった言葉は醜い私の想いを少しずつ露見させてゆく。


「…?アリスはいつもあんな風にオスカー様とお話しているのではなかったの?アリスのフリをする為にアリスがいつも話してくれる様子と変わりないように演じたつもりなのだけれど」


 不思議そうにそう答えたお姉様に、憎しみが募る。

 確かにお姉様には虚栄を張って相思相愛と言っていた。だけど、現実には私の一方通行だ。

 それを、お姉様は知らない。

 そんなこと分かってるけれど、あたらずにはいられなかった。


「あんな目で…あんな目で私を見てくれたことなかったわ…」


 オスカー様は、今日出会ったお姉様が私ではないと確実に気付いている。

 もしまた会いに来たとしても、お姉様を期待して会いに来る。


「お姉様がここにいる限りオスカー様はきっと、私をあんな風には見てくれない…またオスカー様に会ってしまうかもしれない…そしたら私は、私は…。何でなのよ…何よ、何よ『忌み子』のくせに!」


 お姉様が一瞬、傷付いた顔をした。

 私は言ってはいけないことを言ってしまったのだと気付いたけれど、もう言葉は止まらない。


「もう二度とオスカー様の目の前に現れないで!この家から出ていって!」


 ここまで言うつもりなんてなかったのに、口から出てくるのはこんな言葉だけ。

 違うの、そんなことを言いたかったわけじゃないの。

 ただ、私は…。


 私が言い訳をしようとするのを遮るように、お姉様は無表情のままゆっくりと口を開いた。


「…分かりました。アリスの言葉に従い、この家から出てゆきます。今までお世話になりましたと両親にお伝え下さい」

「え?」

「貴女にも大変お世話になりました。沢山の知識を授けて下さったこと、ありがたく思っております。今まで本当にありがとうございました。さようなら、アリス」


 理解する間も無く、お姉様は私の横を通り過ぎて部屋を出て行ってしまった。

 私はしばらく呆然と立ち尽くし、その後部屋を出た。

 近くにいた侍女にお姉様の行方を聞けば、まだお姉様は見つかっていないという。

 かつて大好きだった、今は蔑む憎きお姉様。だけど半身が失われたような喪失感は私の心に大きな穴を開けた。

 自室に戻り、ベッドに横たわる。

 その後のことはあまり覚えていない。両親が大騒ぎをしていて、使用人達がばたばたしていたような気がする。


 あれだけ酷い扱いをしていたくせに、いざいなくなるとこんなに大慌てをするのね。

 おかしな人たち。


 両親を見てそんな風に考えたのが、その日の記憶の最後だった。



 ◇



 お姉様が消息を絶ってもう1週間になる。

 お姉様の存在は隠さなければならなかったので簡単に捜索することもできず、見つからないまま現在に至る。

 外を知らないお姉様は、今生きているのだろうか。

 私のせいでこんなことになったのに、誰も私を責めない。代わりに使用人達が両親に責められていて、それを見るのが辛かった。

 そんなとき、オスカー様が会いにくるという前触れがあった。


 オスカー様に会うような精神状態ではなかったが、それでも会いたくて来るのを待った。

 もしかしたら前回の反応の違いは何かの間違いで、私にお姉様に微笑んだみたいにしてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱かずにはいられなかった。


 だけどオスカー様が私に齎したのは、期待への裏切りだけだった。

 私しか気付いていないけれど、私が出迎えるとオスカー様は落胆と苛立ちの混ざった顔をしている。


 そんなに、そんなにお姉様に会いたかったの?


 愛しているのに、憎しみが募ってゆく。

 笑顔を貼り付け、必死にいつものように繕った。

 心の中では、オスカー様をひたすらに罵倒している。


 どうして。愛しているのに。どうして私を見ないの!


 オスカー様が帰ると、私は自室に一人で篭った。侍女には体調が悪いからと部屋に入らないように言い含め、一人で声を殺して泣いた。


 何が皆に愛される『神の子』よ!

 愛されたい人に愛されないなんて、意味がないじゃない!

 今はあんなに蔑んでいたお姉様になりたくて仕方がない。

 婚約者は私なのに。私が『神の子』なのに。

 どうして私を愛してくれないの?


 許さないわ、オスカー様。

 私を愛さないなら、覚えておきなさい。

 私の愛を、必ず知らしめてあげるわ。





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