第34話
フウリュウ様の話を聞き終える頃には、涙が静かに頬を伝っていた。
あまりに残酷で哀しい話は私の胸を深く抉り、鼻をすする音が風に運ばれて広い海原に沈んでいく。
こんなことが、あっていいのだろうか。
だって二人は一緒に生きていきたかっただけで、カルロスさんが王位を継承することを望んでいた。
それなのに、ああいう結果にしかならなかった。
思いのすれ違い、言葉不足の結果なのだろうけど、あまりに悲しい結末が受け入れ難い。
それにしても、この話と似た話を知っている気がする。
あれは確か……。
「『悪魔の使いと神の使い』…」
「ほう、お主は知っておったか。まぁあの国の出身のものなら知っておるか」
「え?」
ぽつりと呟いた私の言葉を拾ったフウリュウ様は、平然とそんなことを言う。
その言葉で、察してしまった自分が憎い。決して認めたくはない。ないけれど。
「ではあのお伽話は…」
「妾とライアン、そしてカルロスの話よ。実際にあった話に多少の脚色をして物語を作ったのだろう。風の精霊たちが昔、教えてくれたよ。あの愚か者がやりそうなことよの…」
フィーデン王国の王家は、あのカルロスの子孫だというのか。
それを意識した瞬間、ひゅっと息を吸い込み咳が止まらなくなる。
「大丈夫かえ?」
フウリュウ様とスイリュウ様が心配そうに咳き込む私を覗き込んでいる。
それに応えたいのに、なかなか咳は止まらない。
私がスイリュウ様と暮らしているあの洞窟は、恐らくフィーデン王国内にある森の中にあるだろう。
私はそれがとても怖くなった。まだ私はフィーデン王国にいて、王族の手の届く範囲にいる。
そう思ったとき、ふと妹の婚約者である美しい青年を思い出したのだ。
私に向けた、あの獰猛な視線。もしかして、彼は私がアリスではないと気付いて…献上されているはずの人間が屋敷にいたことに怒っていたのだろうか。
それにしても、あの視線はまた別な何かを孕んでいた。なら理由は別で、まだ気付いていないかもしれない。
スイファさんとは全然違う、だけど同じ性質を持つ、ねっとりとして恐ろしくなるような視線。
あれは…好意、なのだろうか。
だったら彼は妹にいつもあのような視線を向けているのか。でもアリスは、あんな視線は向けてもらったことはないと言っていた気がする。
不穏な考えばかりが浮かび、汗がしたった。息が苦しく、思考が乱されて考えがまとまらない。まともな考えの一つも浮かばない私は、咳が止まるのをひたすら待つしかなかった。
しばらくして咳が落ち着いたとき、フウリュウ様がぽつりと呟いた。
「……お主を見ていたら、ライアンを思い出してな。昔話をしたくなったのだ。ありがとう、ジェシカ」
一体何がありがとうなのかは分からないが、困惑したままに頷く。
そんな私を見て、フウリュウ様は目を細めた。
「妾はあと数年もしたら、ライアンの元に行けるだろう。その前に、誰かにこのことを話したかったのだ。だから、ありがとう」
「いえ、そんな…」
私は何一つ、力になどなれていないのに。
そんな私の考えを見透かすように、スイリュウ様と同じ陽だまりのような優しい視線が射抜く。
あと数年もしたらこの優しく哀しい方がいなくなってしまうのかと思うと、とても寂しかった。
だけどライアンさんとの再会の日が近づいているフウリュウ様には、待ち遠しい時間なのだろう。
嬉しい出会いの分だけ悲しい別れがあるのだと、初めて身を以て知った。
「スイリュウも、いつも妾を訪ねてくれてありがとうな。恐らく会うのはこれが最後になるだろうが、死ぬ前にお主に会えて良かったよ」
「いや、構わぬ。我もお主との逢瀬を楽しんでおったからな。にしても、そうか…お主ももうそんな歳か」
「妾は長く生き過ぎた…。ライアンと死別してからは、特にな」
「風の噂ではその話は聞いておったが、お主の口から聞いたのは初めてだ。……巣穴から一切出なくなったのは、そういうことだったのか」
「ずっと傍にいてやると、妾は決めたからな」
「愛しておったんだな…その愛し子を」
「ああ、愛しているよ。今もな」
ライアンと刻まれた墓石を見つめる瞳は、とても優しくて哀しい色をしている。
突然強い風が吹き、花びらを攫って空へと舞い上げた。
あまりの風の強さに目を開けられない。
「お主は、失うなよ」
「分かっている」
風に揺られた草木の音が大きくて、その会話は私の耳に届かずに消えていった。
あの後フウリュウ様と少し談話をし、その後別れた。
もう二度と会えないかもしれないのに随分あっさりとした別れだったように思うが、そのくらいの方がいいとスイリュウ様は言う。
私には古くからの友人というものがいないので分からないけれど、そういうものなのだろうか。
夕食後に部屋に戻り、天井から夜空を眺める。気分転換に星を眺めたかったのだが、空は黒い染料を垂らしたかのように暗く濁り、暗雲が月と星の光を喰らって何もかもを闇で覆い隠していた。
明日はきっと、雨が降るだろう。
夜空を覆う暗雲のごとく立ち込める不穏な思考は、それが何かの前触れではないかと私に語りかける。
これから何か嫌なことが起きるのではないか。
そんな予感と考えを振り払えぬまま、私は夢の世界へと逃げ込むことしか出来なかった。