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風竜とライアン 後編

 あの日、初めてライアンと交流してからもう十年が経つ。

 今でも交流して良かったのかと思うときがあるが、ライアンの笑顔を見るたびに、良かったのではないかと思え、気づけばずるずると十年という時が過ぎ去っていた。

 その十年の間にライアンに婚約者ができそうになったときがあったのだが、何故かライアンの感情が高ぶり、魔法を暴走させそうになってしまったことがあった。それが原因で、婚約の話が流れてしまうという悲劇が起きてしまった。


 ライアンは知に優れ、とても優秀で眉目秀麗(びもくしゅうれい)。力のことで恐れられてはいたが、優秀さは臣下にも認められており、次に王となるのはライアンで間違いないと言われていた。

 何故妾がそんなことを知っているのかというと、風魔法で城の人間の言葉を拾っていたからである。ライアンが心配で、敵意を向けるものがいないか探る為に始めたのだ。決して盗み聞きが趣味という訳ではない。決して。

 ともかく、そんなライアンに婚約が殺到するのは自然なことだったのだが、やはり災害を招くと言われている双子の上の子。

 今までそんな様子はなかったが、間違いなくライアンにもその恐ろしい力があったと知り、誰もライアンと婚約を結ぼうとは考えなくなってしまったようだった。

 妾は慰めてやろうと思ったのだが、ライアンはそんな妾の様子に何故かムッとし、恐ろしいくらいの真顔で言い放った。


「僕はフウリュウ様が好きだから、絶対婚約などしてやるものかと思っていたら暴走しそうになったんだ。そのおかげで婚約せずに済んだのだから、幸運だったよね。これから先、きっと僕に婚約の話はそうそうないだろうし、しばらくは安心していられる」


 あのときは目玉が飛び出るのではないかと思うほど驚いた。

 ライアンから好意を感じてはいたが、まさかそういう類の愛情であったとは。

 それからライアンは妾に愛情を表現することを慎まなくなった。甘い言葉を呟き、妾を好きだと申す。どうしてこうなった。


 そんな日々に残念なことに慣れつつあったある日、ライアンの父である現王が亡くなった。流行り病に(かか)り、そのまま息を引き取ったのだ。

 ライアンが第一王位継承権を持つのでライアンが王になるかと思われたが、それに待ったをかけたのは馬鹿で鼻持ちならない、ライアンの弟のカルロスであった。

 先に取り上げられたというだけでライアンが王になるのは反対だと、そう言ったのだ。

 ライアンが優秀だから王位を継ぐ予定だっただけなのだが、愚かなカルロスはそのことに気付きもしない。妾は愚者(カルロス)が嫌いであった。

 あれだけ愛情を両親からもらい、王位までもを欲するか。ライアンには何一つくれてやるつもりがないのかと、憤りを感じずにはおれなかった。

 だがライアンは弟に対してなにも感じてはいないようで、それだけが救いであった。


「僕はフウリュウ様と一緒にいられれば、なにもいらないし、どうでもいいんだ」


 そう当たり前のように言うライアンの思考は少し危険な所があるように思えるが、ライアンはそういう形でしか自分の心を守る方法を知らないのだと思うと、(いさ)めることも出来なかった。


 何度も会議を行い、剣での一騎打ちで王になる方を決めるという形に落ち着いた。

 カルロス派の臣下が食い下がり、粘った結果そうなったようだが、ライアンはそれでいいと言った。


「僕は王になどならない。貴女と一緒にいられなくなるから。弟が得意なのは剣技だ。確実に弟に勝たせる勝負はこれしかなかった。だから僕はそれでいいと、渋る臣下に納得させたのだから」

「両親の愛だけでなく、お主の居場所になれるであろう、王という立場さえカルロスは奪おうとしておるのだぞ。それでライアンはよいのか?」

「いいんだ、フウリュウ様。僕は貴女が好きだ。愛している。貴女以外は愛せない。僕は愛する人以外の子供をもうけることなどできはしない。だから、この国を存続させるためには弟に継いでもらうのが一番なんだ」

「だが…」


 ライアンはあんな扱いを受けていてもなお、この国を愛しているようだった。

 だからこそ学んだ知識を国の為に役立て、発展させてきた。そんなライアンがこの国を導かなくて、誰が導くのだろう。

 妾の考えていることがなんとなく分かったらしく、ライアンは苦笑していた。


「フウリュウ様は優しいね。でも本当にいいんだ。僕はこの国が好きだけれど、この国は僕のことを好きじゃない。いつでも恐れている。そんな者に、王など務まらないよ」


 少し寂しそうに笑うその顔は、すぐに消えて甘く蕩けそうな笑顔になる。


「それに僕はフウリュウ様が好きだから、どちらにしろこの国を去って貴女と残りの生を暮らしたいと思っているんだ。弟に継いでもらえれば、安心して出てゆける」


 聞き捨てならない台詞が聞こえた気がしたが、妾は耳が聞こえにくくなったのだろうか。


「冗談じゃないよ。臣下に色々な政策は全部もう託してある。僕がいなくなっても優秀な部下がいるからこの国はなんとかなるよ。あとは勝負に負けて、貴女が僕を攫ってくれるのを待つだけだ」


 なんということか。顎が外れそうになった。

 妾にライアンを攫えと?


「だってこうするしか、貴女と生きる術がないんだ。僕は貴女と生きていきたい。それが僕にとっての一番の幸福なのだから」

「い、いや、しかしだな…」

「僕はどうして自分が人間に生まれてしまったのかと何度悔いたか分からない。同じドラゴンに生まれれば、貴女と夫婦になり同じ時を生き、死んでゆけたのに。ねえ、駄目かな?」

「いや、駄目ではないが…」

「契約、というものがあると、風の精霊が僕に話してくれたことがある」

「!?」


 いつの間に風の精霊と親しくなっていたのだろうか。

 疑問が顔に出ていたのか、ライアンは可笑しそうに笑う。


「僕は『愛し子』だと最初に教えてくれたのはフウリュウ様じゃないか。愛し子は精霊や妖精にも好かれるらしい。姿は現さないけど、フウリュウ様の他に僕の話相手になってくれていたんだ」

「そうか…」


 妾に何で教えてくれなかったのかと、なにやら不思議な感情が込み上げる。

 それを察したのか、満面の笑みになるライアンは嬉しそうな様子を隠そうともしない。


「風の精霊たちに、僕らと仲良くしていることを内緒にしといたほうがいいよ、と言われていたけれど。なるほど、確かに内緒にしておいて正解だった」

「何故だ」

「僕と契約してくれたら、教えてあげます」

「……ライアン。契約がどういうものであるのか分かっておるのかえ?」

「はい、もちろん。僕と貴女が夫婦になれる唯一の方法だ」

「それだけではないのだが…」

「ええ。僕なんかの望みの為に、フウリュウ様の寿命を削ってしまうのは耐え難い。だけど、それでも僕は貴女とずっと一緒にいたいんだ。僕はいつまでも貴女と同じ時を生きていたい。貴女を残して先に死ぬなど、僕は嫌だ。貴女が僕以外に最愛を見つけて、僕を忘れて生きていくことを想像すると、できなどしないのに貴女を引き裂いてしまいたくなる」


 思った以上の想いの深さに、思わず硬直する。そこまで妾を想っていたとは。

 けれどもそれに対して込み上げる妾の感情もまた、ライアンと似た重く深い愛情だった。

 ああ、妾にとってももう、ライアンは最愛になっていたのか。

 しばらく無言でその感情を噛みしめていると、恐る恐るといった様子でライアンは口を開いた。


「……僕は貴女にとって、契約するに値しない人間でしょうか?」


 その顔が、初めて話したときのように不安そうで、なんだか懐かしくなった。

 そんな不安そうな顔などしなくとも、妾はもう断ることなどできはしないのに。


「…いや。妾にとってもライアンは愛しいよ。契約しても良いと、思えるくらいに」

「では!」

「……お主が本当に王位を弟に譲り、居場所を失ったのなら、そのときはお主を攫ってゆこう。そして、お主と契約しよう」

「二言はありませんね?」

「疑り深いのう…。二言はないから安心せい」

「やったぁ!」


 妾に抱き着き、地面に押し倒される。狼ぐらいしかない今の妾には受け止めてやることができなかったのだが、なにやら物凄く嬉しそうなのでよしとするか。

 その後しばらく抱き着いて離れなかったライアンをなんとか引き剥がし、いつものように帰り支度をする。


「勝負は明日です。僕はそこで負ける予定だから、負けたら僕を攫ってね」

「ああ、そのときは攫ってやるわ」

「愛しています、フウリュウ様。本当の貴女の名を呼べることを待ち望んでいる僕を、どうか攫いに来てくださいね」

「…お主は本当に臆面もなくそんなことがよう言えるのう」

「だって後悔したくないですから」

「左様か。……ではまた明日、攫いにくるから首を長くして待っておれ」

「はい!」


 嬉しそうにはにかんで、妾の額にキスをした。

 別れを惜しみながらも手を振る様は、可愛くて仕方がない。


 それが妾が最後に見た元気なライアンの姿になるなど、このときは思いもしなかったのだ。



 ◇ ◇ ◇



 次の日、城にライアンを迎えに行くと、ライアンは死んでいた。

 カルロスに剣で切られ、止血したが間に合わなかったようだ。勝負は三本勝負で、先に二本取った方が勝ちだと、ライアンは言っていた。

 騎士道に則り、殺したりなどしないと、そう言っていた。言っていたのに。

 カルロスが事故だと言っているのが風で聞こえてきたが、ライアンを見たときに口角が上がっていたのを、妾が見逃すと思うたか。


 許せなかった。カルロスも、自分も。

 こんなことなら、さっさと昨日のうちに攫ってやればよかった。恥など捨てて、愛していると言ってやればよかった。


 こんなに…こんなにライアンを失うことが耐え難いものだなんて。


 ライアンを攫ったのは、妾ではなく天であった。妾に攫ってと、ライアンは言っていたのに。

 悔しくて悔しくて、簡単にこの思いを言葉にすることはできなかった。


 契約をしていれば、こんなにあっけなく死んでしまうことはなかった。

 何故いつも、妾は大切にすべき選択を後回しにしてしまうのだろうか。

 心にぽっかりと穴が開いたように虚無感が襲い、その日はただただライアンの亡骸を見つめるだけしかできなかった。



 次の日、妾はライアンの亡骸を攫うことを決めた。

 負けたら攫ってくれと、そうライアンは言っていた。死んでしまったが、それでも負けてしまったことは確か。最後にした、ライアンとの大切な約束を守らねば。

 そのときの空虚(くうきょ)な妾には、そのことしか頭になかったのだ。


 妾の姿を視認できぬようにし、ライアンに近づく。

 死してもなお美しいライアン。もう少ししたら目を覚まして、いつものように妾を「フウリュウ様」と呼んでくれるのではないか。

 そう考えてしまい、目から温かな雫がこぼれ落ちた。

 しばらくその場に佇んでいると、不愉快な声が後ろから聞こえてきた。声の方を振り向くと、憎きカルロスがライアンへ近づいてきていた。

 妾のことがばれぬよう避けると、カルロスはライアンを見て、吐き捨てるように言った。


「俺の方が王に相応しいのに、どいつもこいつもお前の方が王に相応しいと言った。だがもうお前はいない。俺がお前の命を絶ったのだから。王を継ぐのは俺だ」


 そのときの妾の気持ちを、なんと表現すればよいだろうか。

 憎く、苦しく、真っ暗な闇のような仄暗い感情で心が覆われ、こんなにも殺してやりたいと思ったのは初めてだった。

 妾は頭に血が上り、錯乱して嵐を呼び寄せた。


「なんだっ!?」


 あまりに大きな嵐の襲来に城が揺れ、間抜けなカルロスは取り乱している。

 憎い、憎い。こんなやつが妾からライアンを奪っていったなどと、許せるはずがない。カルロスを殺してやろうとかまいたちを奴の喉に放とうとしたその時、


『弟に継いでもらえれば、安心して出てゆける』


 ライアンの言葉が頭を(よぎ)った。

 今こやつを妾が殺せば、国を愛するライアンに顔向けできなくなってしまう気がして。憎悪を必死に押し込め、寸前で軌道をずらした。


「ひっ、なんだ!?」


 頬をかまいたちがかすめた。少し肉が見えてしまっているが、命を落とした訳でもないのだ、首が繋がっているだけありがたく思え。

 愚者(カルロス)は放置し、妾はライアンの亡骸を攫った。



 城は半壊し、城下にも嵐の爪痕を残してしまったが、それでもこの国が滅びるほどではない。国として存続することはできるので、きっとライアンとの約束は違えてはいないだろう。

 こんな国に、ライアンを置いておきたくはない。

 妾はフィーデン王国の近くに作った巣穴ではなく、元いた自分の巣穴へとライアンの亡骸を運んだ。

 巣穴に着くと、ライアンをゆっくりと寝かせてやる。青白い肌からはやはり生気が感じられず、ライアンが死んでしまったのだということを改めて感じさせられた。


 妾があの日契約していれば、こんなに簡単には死ななかったはずだ。悔いても悔いても、時間は元には戻らない。

 人間が儚い生き物であることを忘れていたわけではない。ただ、あの当たり前の日々が、漠然と続いていくような気がしていたのだ。ライアンが妾を好きだと言って、それを妾が困りながらも受け止める。そんな日々が。

 あの子の太陽よりも眩しい笑顔が失われる日など、想像もできなかった。


 どうして。どうして。


 同じ言葉が脳内を駆け巡る。憎悪に満ちていた心は今や悲しみに満ち、憎んでいる暇などなかった。

 風に乗り、風の精霊と妖精たちが泣いている声が聞こえてきた。きっと、ライアンと仲良くしていたらしい精霊や妖精たちであろう。

 彼らも同じように、ライアンを失った悲しみに暮れているのだ。

 涙はもう、出てはこない。ライアンがいなくなってしまった事実を受け入れることができたら、また泣けるのだろうか。


 それから数十年後、風の精霊たちがライアンの墓を建てようと言ってきた。ライアンには身体が腐敗せぬよう魔法をかけたが、大地に還らせてあげようというのだ。

 最初は拒否していた。大地にライアンの身を(うず)めたら、ライアンが本当にいなくなってしまったのだと、その事実を受け入れなければならない気がして。

 だが地に留めておくのも、ライアンの魂が解放されないような気がしていたのは確かで。最終的には墓を建てることを許した。

 久々に見た風の精霊たちは随分と老け、やつれていた。それだけ精霊たちも悲しんだのだろう。妾だけが悲しみに捕らわれていた訳ではないのだと、改めて気付かされた。


 妾は小さな島のようなところに住んでいる。風が心地よく、温暖な気候のその地が気に入っていたからだ。

 その島には開けた場所に海を見渡せる崖がある。緑豊かで、いつも何かしらの花が咲いている気持ちのいい場所だ。そこに墓を建てることにした。

 精霊たちが持ってきた大きな美しい石をかまいたちで削り、墓石を作る。墓石の手前に穴を掘り、ライアンの身体をそっと寝かせた。

 精霊たちが手に土を乗せ、ライアンに少しずつかけてゆくところを妾は無心で見ていた。

 それはどのくらいの時間だったのか。ついにライアンの身は、大地に埋められてしまった。


 大地に還ったライアンを想うと、自然と大きな雫が目尻からこぼれ落ちる。精霊たちも皆、静かに涙を流していた。

 しばらくし、精霊たちが墓石の前に白い花を置いていく。妾も近くに生えていた白い花を添えた。これはダリアだろうか。

 沢山の白い花に囲まれ、墓石は埋もれそうになっている。ライアンが生きていたときに花を贈ってやったら、喜んだだろうか。ふと、そんなありもしないことを考えた。

 突然強い風が吹き、花びらが上空に舞い上がった。憎らしいくらいに晴れた晴天の空から、白い花びらが雪のように舞い降りる。

 それと同時に妾の心には、ライアンとの日々の思い出が優しく降り積もった。


 もうライアンはいないのだと、その時やっと受け止めることが出来た気がした。

 思い出は優しく、だからこそ現実が辛くてならない。それでも妾は、生きている。

 悲しみと決別した涙を風に乗せ、海へ還す。


 愛しているよ、ライアン。


 ライアンは妾を残して先に死ぬのは嫌だと言っていた。妾がライアンを忘れて他に最愛を見つけるのは耐えられないと。

 だが安心するがいい。

 こんなに愛するのはきっと、お主だけよ。これから先もずっと。


 天に先に攫われてしまったが、どんなに先になろうとも妾も天に迎えられる運命にある。

 それまで妾はずっと、お主の置いていった肉体の傍にいよう。だからどうか、妾の魂が天へと還るまで、安心して待っていておくれ。

 妾の命がこの地で尽きるまで時間は掛かるかもしれぬ。だがそれでも必ず、一番にお主に会いに行くから。









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― 新着の感想 ―
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