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風竜とライアン 前編

 その時(わらわ)は、永い時を生きて暇を持て余していた。他の竜とはたまに交流するが、それも何百年に一度。お喋りな風の精霊が風に乗せて面白い話を届けてくれるのも、数十年に一度。

 それ以外の時間はただ無為に過ごしていた。


 水竜のように精霊たちと交流する気も起きず、火竜のように大陸を横断(お散歩)する訳でもなく、土竜のように友を訪ねて遊ぶわけでもなく、ずっと巣に(こも)って寝ている。

 暇だとは思いつつも、何もしなかったのは妾が行動を起こすのがただ単に面倒だっただけである。妾はかなりのめんどくさがりなのだ。


 そんなある日、気になる気配をフィーデン王国の方に感じた。妾の巣はフィーデン王国とは遠いところにあったが、何やら気になって仕方がなかった。

 それはめんどくさがりな妾に行動を起こさせるくらいには、気にならずにおれなかったのだ。

 重い巨体を起こし、数百年ぶりに巣を出て、妾はその気配の方へと飛び立った。


 王国民に見つかると厄介なことになるなと思い、魔法で巨体を小さくし、妾の姿を視認できぬようにした。

 魔法を使うことすら面倒だったが、人間に見つかる方が余程面倒になるので仕方がない。


 気配は城に近づくにつれ強くなり、妾はそれに近づけば近づくほどその気配に惹かれた。

 今までも何度か何か惹かれる気配があったが、今回のそれは今までを遥かに(しの)ぐ。戸惑いつつも、心は歓喜に満ち満ちていた。


 辿(たど)り着いたのは、厳重な守りが敷かれた一室。そこには一人の男と三人の女、そして生まれたばかりの赤子が二人だった。

 赤子の片方を見た瞬間、妾は悟った。


 この子は『愛し子』なのだ、と。


 それまで『愛し子』という存在にそこまで興味はなかった。風の精霊たちが自慢気に話す愛し子のことも、流して聞いていたくらいに。

 ただ、そんなに何に惹かれるのだろうとは思ったが、思っただけで聞く気にもならなかった。


 だけど今は、理解できる。

 身を(もっ)て感じた。心が震えるほどの愛しさ。これは感じてみなければ分からない、そういう(たぐい)のものだったのだ。


 それから妾はこの愛しい子を見守る為、フィーデン王国の近くに小さな巣を作った。

 風の流れが心地良い、王国から深い森を超えた山の上。王国を一望できるその場所は、あの子を見守るのにちょうど良かった。



 ◇



 あの子はすくすくと大きくなり、誕生からいつの間にか八年が経っていた。

 あんなに暇を持て余し、時間の流れがゆっくりだったのだが、この八年はあっという間であった。急に時の流れが早くなったような気さえするほど、妾にとって充実した日々であったのだ。

 相変わらず巨体を縮小し、狼くらいの大きさになり、身を隠してあの子の観察する。

 それは素晴らしく、幸福に満ち溢れた日々であった。


 そんなある日、あの子が怪我をした。

 心優しいあの子は誰かを討ち倒す為の剣の稽古が苦手で、知識を学ぶのが好きだった。運動は得意ではない。

 だからその日も稽古についていけず、疲労から怪我をしたのだが、誰もあの子を助けてやらなかった。


 あの子は我らには『愛し子』だが、人間たちにはあまり良く思われていないらしい。

 確かに愛し子は魔法の使い方が分からぬ故に、災害を引き起こしてしまうことがある。なので非力な人間には畏怖(いふ)される存在というのも理解出来る。

 だからといって、恐怖からあの子との接触を避け、怪我をしても放置することは、妾には到底許せなかった。

 だが、妾が人間の秩序の中で生きるあの子を手助けしてやっては、あの子が今よりも生きづらくなるだけではないのかと恐ろしく、今まで何もしてやれずに日々を悶々と過ごしていた。

 それでも妾は、その日はついに我慢ができなかったのだ。


 稽古場からとぼとぼと怪我した足を引きずるようにあの子は歩き、自分の住まう離宮の庭の端に(うずくま)った。泣き声もあげず、静かに涙を流す様は、妾の胸を(えぐ)るようだった。

 そんな哀れな子を、どうして助けずにいられたであろうか。

 妾はその幼子に警戒されにくくする為、まずは姿を隠したまま念話で話しかけた。


『怪我をしておるようだが、大丈夫かえ?』


 妾の声に驚き、ひたすら地面を見つめて泣いていた目は今は驚きで大きく見開かれ、丸くなっている。

 きょろきょろと辺りを見渡し、それでも声の主が見つからないことで次第に困惑した表情になっていった。

 あの子が不安に顔を曇らせているのが我慢できず、妾はあの子に言う。


『妾の姿が見たいかえ?』


 そう声をかけると、困惑しながらも小さく頷いた。

 竜族をみてどんな反応を返されるのかが怖くはあったが、あの子の不安を取り除いてやることが最優先だった為、あの子にだけ姿が見えるように魔法をかけ直す。


 妾の姿を見たあの子と目が合う。深き森のような美しい緑は、妾を捉えて離さない。

 いつも変わらぬ鼓動を繰り返していたはずの心音は、初めて高く鳴り響き、妾の身体を揺らした。

 それは今まで感じたことのない感覚だった。

 目の前の美しい少年は硬直したが、やがてぽつりと言葉をこぼす。


「綺麗…」


 思わず口にしたといった様子のあの子の、その言葉のなんと嬉しいことか。妾を見て怖がらず、綺麗と申す。妾の心は歓喜に震えた。

 念話ではなく、あの子と会話がしてみたいと思った妾はあの子に話しかける。


「そうかえ?それは嬉しいのう」


 そう言ってやると、自分が何を口にしたかに気付き、雪のように白い顔を夕陽のように赤く染めていた。

 なんと可愛らしい反応だろうか。


「怪我をしておるようだが、痛くはないのか?」


 妾の問いに答えるか否かを幾許(いくばく)か悩んだ末、とても小さな声で答えた。


「…痛いです」

「では、治してやろう」

「え?」


 治癒魔法をあの子にかけてやると、見るからに痛々しかった傷は癒え、白く美しい絹のような肌が見えるばかりになった。

 あの子は何が起こったのかと、理解が追いついていないようだったが、あの子にとって常識外の何かが起きたことは分かったようだった。

 涙に濡れ、潤んだ目が妾をしっかりと見つめる。


「…治して下さって、ありがとうございました」

「よい。お主は妾の『愛し子』だからの」

「愛し子…?」

「うむ。愛しい子、という意味よ」

「…僕みたいな存在が?」


 双子の弟と同じような教育を受けてはいるが、同じように愛情を注いでもらった訳ではない目の前の少年は、自分のような存在が愛しいと思ってもらえるとは到底思えないようであった。

 それが妾は悲しかったが、諦観(ていかん)するだけでなにもしてやれなかった妾がお前は愛されるべき存在なのだと説いても、この子は納得しないだろうと思い、口を(つぐ)んだ。


 心臓の鼓動がうるさい。妾は竜族であり、人間など恐るるに足らんはずなのだが、この子を目の前にするとどうにも恐ろしくてならない。

 嫌われてはいないだろうか。怖がられてはいないだろうか。柄にもなく、そんなことを考えてしまう。

 今後は関わることはないだろうと思いつつ、知ってはいたが直接この子の口から聞きたかったことを尋ねる。


「お主、名は何と申す?」

「…ライアン・フィーデンと申します」

「ライアンか…お主に相応しい名よの」

「そうですか…?ありがとうございます。父上と母上に頂いた、大切な名前なんです」


 嬉しそうにはにかむライアンが、両親から唯一もらったものが、彼のその名前だった。

 我らにとっては愛し子でも、人間にとっては災害を招きかねない危険な存在だ。だからこそライアンの両親は、ライアンの弟と同じようにライアンを愛してやることができずにいる。

 同じ人間でも、異質なものを爪弾きにする人間たちには『愛し子』は違う生き物のように感じられるのだろう。

 自分たちと同じ姿を持つ、だけど違う生き物を受け入れて愛することは、ライアンの両親にはできなかったようだ。


 妾はそのことを知っているので、ライアンの蕾が(ほころ)ぶように笑うその顔を見るのは、とても複雑な気持ちであった。


「あの…すみません」


 妾が考えに(ふけ)っていると、ライアンが勇気を出したように声を掛けてきた。


「間違っていたらごめんなさい…。もしかして、あなた様は…ドラゴンでしょうか?」


 不安に染めつつも、好奇心を隠し切れないその瞳が、あまりにも美しくて捕らわれてしまいそうになる。

 咄嗟(とっさ)に目を逸らし、動揺を隠しながらライアンに答えてやる。


「いかにも。妾は風を司る竜である」

「お名前を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「うむ。皆には風竜(フウリュウ)と呼ばれておる。お主も呼びたければそう呼ぶがよい」

「ありがとうございます!フウリュウ様!」


 花が咲いたように笑うライアンは、とても美しかった。今から将来が楽しみである。

 真の名ではないが、妾の名をライアンが呼んだという事実は、心の奥深いところを温かくした。


 それから少しの間、他愛の無い話をした。話し相手と呼べるような相手がいなかったライアンは、話が出来ることが楽しくて仕方がないらしい。笑みを絶やさず、楽しそうに妾の話を聞いている。

 こんなに愛らしい一面があったのかと、今まで諦観していたことを悔いた。もっと早くに話しかけていれば。そう思わずにはいられなかった。

 そろそろ帰ろうかとライアンの隣に横になっていた体を起こす。すると賢いライアンは妾が帰ることを察したのか、楽しそうだった顔を暗く曇らせた。


「もう、帰ってしまわれるのですね…」

「うむ。元々我ら竜族は他種族との交流というものをあまりしない。今日も妾の気まぐれのようなものよ」


 そうライアンに言いつつも、妾も自分がこの時間を惜しんでいることに気付いてはいる。だが、果たしてこの交流がライアンに良い結果を(もたら)すのかが妾には分からない。

 それにこれ以上一緒にいたら、なにやら苦しくなってしまいそうだったのだ。

 もう妾は、きっとこの子に関わるべきではないのだ。


「もう…フウリュウ様とは会えないのでしょうか?」

「………」

「僕には、もう会ってくれませんか?もう一度会っていただく価値すら、僕にはないでしょうか?」


 今にも泣き出しそうなその顔を、直視することなどできなかった。

 愛情に飢えているライアンには、妾と話す時間は余程楽しかったようだ。会いに来て欲しいと、その気持ちを隠すこともしないその様子に、この少年が今までどれほど孤独であったかを痛感する。


「……」

「……」


 沈黙が続き、ちらりとライアンを見れば絶望を瞳に閉じ込め、悲痛な顔で涙を流していた。

 やはり、声をかけるべきではなかったのかもしれない。

 それでも。


「……いや、また来る」


 何故、こんなことを言ってしまったのだろうとは思う。先程まではライアンとはもう、関わるつもりはなかったのだ。

 だがあんな顔をさせたままもう二度とライアンの前に現れずにいられるだろうか。

 そう考えると、答えは否だった。


「本当ですか!?」

「うむ。だから待っていろ。ただ、妾はお主が一人でおるときしか姿を現せぬ」

「はい!僕の住んでいる離宮はほとんど誰もいないし、きっとフウリュウ様と会っていたってばれないと思います!」

「…そうか」

「はい!待っていますね!」


 年相応の眩しいくらいの笑顔をして、先ほどの暗い顔は消えていった。

 妾がこのような顔をさせているのかと思うとどうしようもなく気分が高揚したが、ライアンに悟らせないよう平然を装う。

 気恥ずかしく、そのまま振り向かずに飛び立った。

 ライアンをあのまま残していってしまうことは心苦しかったが、これ以上一緒にいると誰か別の人間に見られた時に困る。

 次に会うときはライアンにも他者から視認できなくなる魔法をかけ、誰にも妾とライアンの時間を邪魔されないようにしようと思った。

 面倒なことが嫌いなはずなのに、ライアンと会うことは面倒とは思えないことが不思議だった。


 ライアンに会ってから、ずっと気分が良い。

 精霊たちが言っていたのはこういうことなのだな、とあの子の頬のように染まった空を滑空して、名残惜しい気持ちを無視し、巣へと戻った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 竜の愛子の家族はクズになる呪いでもかかっているのかな。
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