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第31話

 優しい雨はしばらく降り続き、気がつくとやんでいた。森の空気は水分を孕んでしっとりと、けれど涼やかに漂う。

 木々の隙間からのぞく陽の光は、それほど強くないはずなのに眩しいくらいに感じられ、思わず目を細めた。


 頬を触ると、私の頬を涙が伝った跡など最初からなかったかのように、綺麗に消え去っていた。

 そういえば濡れていたはずなのに、自分の体のどこにも水気を感じない。

 不思議に思い、服や体やら、いろんなところを触っていると優しい笑い声がした。


「大丈夫、どこも濡れていませんよ。僕が魔法で乾かしましたから」

「あ、ありがとうございます…」

「気にしないで。僕がジェシカさんを濡らしてしまったから、僕が責任を持って乾かさなきゃ。じゃないとスイリュウ様に怒られてしまいますからね」


 その言葉に、自分が今さっき、目の前にいるこの優しい人の想いを受け入れなかったことを思い出した。

 いまだに変わらず優しいこの人に、私はどんな顔をして向き合えばいいのだろうか。


 困り果て、視線を地面に落としていると、所在なさげに宙ぶらりんとなっていた手を、温かな体温で包まれる。それはごつごつとした、男の人の大きな手だった。

 ふと顔を上げれば、真剣な表情のスイファさんが私を見ていた。

 綺麗な蒼い目は、先程の優しさも、困った感じもなく、ただただ真剣であることを真っ直ぐに私に伝える。


「ジェシカさん。これだけは伝えておきたいんだ。僕は、あなたにそんな顔をして欲しかった訳じゃない」


 視線の強さが、間違いなくその思いが事実であることを、回らない私の頭に分からせる。


「そんな顔をさせているのが僕だってわかってはいる。こういう結果になるって、なんとなく分かっていた。そして優しいあなたが、困ってしまうことも。それでも、僕はあなたに伝えたくて。そんな僕に言われても困るだけだろうけど…あなたが、そんな顔をする必要はないということだけは、覚えていて」


 その言葉に、私は頷くことが精一杯だった。


「僕はあなたが幸せなら、それだけで幸せだから。あなたが嬉しければ、僕も嬉しい。だから、どうか変わらず、笑っていてほしい」


 スイファさんを振った私には、彼のその言葉を拒むことは出来なかった。

 いつもどういう風に笑っていたかが、全然思い出せない。それでも、今できる限りの笑顔で彼に応える。


「…はい」


 弱々しい小さな声はスイファさんの耳にしっかりと届いたらしく、彼は安心したように笑った。


「そろそろ、戻りましょうか。きっとスイリュウ様も心配していらっしゃる」

「そうですね」

「……ジェシカさん。最後に、お願いを聞いてもらえませんか?」

「…?はい、なんでしょうか」


 唐突なスイファさんからのお願い。一体何だろうか。


「…森の入り口まででいいんです。……僕の手を取って、一緒に歩いてくれませんか?」


 期待を込めつつも、不安が滲んだ声でスイファさんはそう囁いた。

 手を取って、ということは手を繋いで歩きたいということだろうか?


 スイファさんは不安げな顔で私を見ている。

 普通に手を繋いで歩くだけ。それを望むスイファさんは、どんな心境で私の答えを待っていてくれているのだろう。

 私には、彼と同じ想いを持って手を繋ぐことができないけど。それがスイファさんの望みならば。


「はい、いいですよ」


 そう答えたときの、彼の花が咲いたような笑顔を、私は一生忘れないだろう。

 スイファさんは恐る恐るといった様子で手を私に差し出す。その手は小さく震えていた。私は彼のその震えを止める為に、そっと彼の手の上に自分の手を乗せた。

 ゆっくりと握られる手は、壊れ物を扱うかのように優しく私の手に絡みつき、重力に沿ってそっと二人の間に落とされた。


 会話をすることなく、いつもよりゆっくりと進んでいく。スイファさんはこの時間を惜しんでくれているようだった。

 彼の気持ちに応えたいのに応えられない自分に、私はどうしようもなく落ち込む。私もスイファさんを好きになれば、彼にあんな辛そうな顔をさせることはなかったのに。どうして自分の気持ちすら、ままならないのだろう。


 あの屋敷にいたときは、自分がこんなに思い悩むなんて思わなかった。あのままあそこにいたら、誰かに自分が好かれ、また自分が誰かを好きになるなんて、想像もできなかっただろう。

 私は確実に変わっている。きっと、妹の替えの人形から、人間へと。

 そんなことを考えながら、静かな森の中をスイファさんと手を繋いで歩いた。


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