第30話 スイリュウ(7)
ジェシカは、我と契約してくれるだろうか。
徐々にその考えは思考に入り込み、最近では思考の半分を占めている。こんなに悩むことなど、生まれて初めてかもしれぬ。
最初に考え始めるようになったのは、スイファがジェシカを好いていると気付いた時だった。奴は集落の女子に人気がある。もしかしたら、ジェシカもスイファを好ましく思うかもしれぬ。そんな所からだったような気がした。
別に、何も問題はないはずだったのだ。ジェシカはいつか、我から巣立つ子供なのだ。だったはずなのだ。
それなのにジェシカがスイファを好くのは、気に入らぬ。いつもジェシカは我に対し、優しく笑う。あの笑顔が他の者のものになるのが、我にはどうにも許せぬのだ。
ジェシカに出会った頃の我ならば、こんなことは思わなかったはず。ジェシカが他人に恐れず笑みを向けられるようになったことを、喜ばしく思っていたはずだったのだ。我は自分で自分の変化に驚いた。
ジェシカはというと、スイファに何かを言われたのか、以前の訪問から帰ってきた日からずっと何かを思い悩んでいる様子だった。
そんなジェシカを見ていると、我から離れていってしまうのではないかという不安に苛まれ、ジェシカにもあまり良くない態度をとってしまった。
普段ならそんな態度はとらないが、ジェシカが離れていってしまうのではないかと思っている我には余裕などなかったのだ。言い訳のようにしか聞こえぬかも知れるが、事実である。
悶々と悩んでおると、自分の部屋から出てきたジェシカが話しかけてきた。
「スイリュウ様!次に精霊様たちの所へはいつ向かわれますか?」
「…ジェシカは早く精霊たちの元へ…スイファの元へ行きたいのか」
率直に思っていたことをジェシカに問うた。
するとジェシカは綺麗なラピスラズリの目を大きく見開き、慌て始めた。
「え!?そそそそんなことはないです!」
この慌てぶり。もしや図星なのだろうか。
少しだけ問い詰める声が低くなる。
「やはり…早くスイファに会いたいのか?」
「いえ、そんなことはないのですが…」
「だが、お前は我に次に精霊たちの元へ行くのはいつだと聞いた。早く行きたいから…会いたい者がおるからではないのか?」
こんなことを言いたかった訳ではない。だが、我の口から出てくるのはジェシカを問い詰めるような言葉ばかり。どうして我は、ジェシカにこんなことを聞いてしまうのか…。
ジェシカは我の様子がおかしいことに気付いたのか、恐る恐るといった様子で口を開く。
「スイリュウ様…どうなさったのですか?なんだか今日のスイリュウ様はいつもと違うような気がして…私、何か気に障るようなことをしましたか?」
「……いや、すまぬなジェシカ。なんでもない。…明後日には精霊たちの所へ連れていこう。それまでゆっくりお休みよ」
「は、はい…」
ジェシカは心なしか肩を落とし、トボトボと部屋へ戻っていった。
悪いことをしてしまった。そう思いつつも、ジェシカがスイファを好いているのではないかという疑念が頭を過り、あたりが強くなってしまう。
我は少し、頭を冷やす必要がありそうである。その日は考えるのを止め、床についた。
◇ ◇ ◇
忌々しいことに、ついに集落に連れて行く日がきてしまった。
ジェシカは朝食を食べ、今は黙々と集落へ向かう準備をしている。どうも楽しそうに準備をしている様子はないが、心の奥に楽しみであることを押し隠しているだけかもしれぬ。
そんな風に考えてしまうことに嫌悪感を抱きつつ、ジェシカが準備を終えるのをひたすら待った。
「スイリュウ様、準備が整いました」
それは数分だったのか、数十分だったのか。長くはない時間のはずなのに、我にはとても長いことのように思えた。
「そ、そうか」
「…スイリュウ様、何か精霊様たちの所へ行くのに気になることでもあるのですか?少し前からずっと様子がおかしいですが…」
「そ、そんなことはない。我は至っていつも通りである」
「左様でございますか…」
どこか納得していない様子ではあったが、やがて諦めた様子であった。
いつも通り森へ転移し、ジェシカを我に乗せて黙々と森を歩く。葉の擦れる音が、やけに大きい。いつもはあっという間に集落へ着いてしまうのだが、いつもの調子で歩いているのに、なかなか目的地へとたどり着けぬ。
ジェシカは何も言わぬし、我もジェシカに言葉をかけることが出来ずにいる。変な緊張感が広い森の中に充満しているような気がして、気の利く言葉の一つも浮かばぬ。
集落へ着いた頃には、我は変な汗が噴き出しそうなのをなんとか気力で抑え込んでいる状態だった。
なおも両者ともに沈黙を破ることはない。風魔法でジェシカをゆっくりと地に降ろし、どうしたものかと思いながらも我の方が先に口を開いた。
「ジェシカ」
「はい」
「ジェシカは…」
スイファを好いているか。
本人に直接聞こうと思ったが、口にするのは戸惑われた。
「いや、なんでもない」
「どうかなさいましたか?」
「いや、気にせんでいい」
結局ジェシカにスイファをどう思っているかを我は聞くことが出来なかった。
ジェシカが何かを言おうと口を開きかけたが、待ちきれなかった精霊たちがやってきていつものようにジェシカをもみくちゃにしていた。
今だけは、精霊たちの騒ぎように感謝である。ジェシカに何かを聞かれても、我は回答を持ち得てはいなかったのだから。
「…ジェシカ、いっておいで」
「……?はい」
不安そうな顔をしながら去って行くジェシカを見送るのが、我にできる精一杯であった。
色々と思い悩むことがあったので、そのことについて考えながら集落の入り口で場所で丸まっていると、スイファの住処に向かったはずのジェシカの気配が近づいてきた。
思わず顔を上げれば、ジェシカはスイファと共に森へ向かって歩いていた。
2人が歩く姿を見たとき、心臓を握りつぶされそうな感覚が我を襲った。身体的に攻撃を受けたわけでもないのに、酷く苦しかった。
そのとき、ふと我のジェシカに対するこの想いは、親心ではないのではないかと思った。
ああ、我は、ジェシカを確かに愛しく想っているのだ。
親心ではない、番のような存在として。
決してセイファとラーファの番同士のような、情熱的な、燃えるような想いではない。だが、ジェシカは共に生きてゆきたいと思える、大切な存在にいつの間にかなっていたのだ。
最初はただの、『愛し子』だったはずなのだ。
それが今は、愛しい者になっている。
共に暮らしている間に、我にとってかけがえのない存在になっていたのだ。
ならば、契約せねばなるまい。人間は、非常に脆弱な生き物よ。すぐに死んでしまう。
我はジェシカにならば、我の寿命を分けても良いと素直に思った。寧ろ、先にジェシカに死なれるのは辛い。共に生きていたい。
森へと入って行ったらしく、もうジェシカ達の姿はなかった。
契約は、生涯1人としかできぬ。だからジェシカがスイファと契約していたら、我とは契約できぬこととなる。
ジェシカがスイファと契約していないことを、我は願うしかなかった。